第28話 怒鳴りこんでくる

すごい形相の女性が、久志の実家の玄関口に立っていた。雨が降っているせいか、肩口を少し濡らしながら、その肩を震わせている。

「すいません、ちょっと、誰もいないいんですか。」

ここら辺では聞き慣れない関東訛りのトーンが、実家の新宅に響き渡る。

<は~い!>新宅の奥から、祥子が姿を現す。目尻が吊りあがり、今にも爆発しそうな女性の姿が瞳に映る。

「ここ、霧島久志の家なんでしょ。霧島って、男、出しなさいよ。」

ものすごい勢いで、そんな言葉を捲し立てる。歳の頃にして、四十ぐらいだろうか、人の家に来て、失礼極まりない態度に、祥子のボルテージが上がってしまう。

「失礼ですけど、どういったご用件でしょうか。」

言葉は丁寧であるが、言葉の節々に棘を尖らせている。祥子は立ち上がり、臨戦態勢を整える。

「中谷美香の母親よ。ちょっと、霧島って、奴に話があるのよ。出しなさいよ。」

目の前の女性も、負けてはいない。こんな態度で乗り込んできた理由に、自信を持っているのか、態度を変えようとしない。

祥子は、(美香の母親)と云う言葉に反応してしまう。

「美香ちゃんの…ちょっと、待っていてください。」

急に、慌て出す祥子。少し駆け足になり、新宅の勝手口を抜けて、母屋の久志の所へ足を向ける。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん、起きて、起きてよ。」

母屋の縁側で、身体を丸めて寝入っている久志の身体を、勢いよく揺すり出す。まだ、京介との酒盛りをしている最中の久志。

<もう、飲めない>そんな寝言を発しながら、なかなか起きない。いきなり、オデコの所を、激しく叩き出す祥子。さすがに、目を覚ました久志は、夢見心地で、祥子の顔を見つめる。

<なんだ、祥子か>重たい目蓋を必死に開こうとする。細い瞳には、慌てている祥子の表情が映っていた。

「何、寝ぼけているんね。お兄ちゃん、美香ちゃんのお母さんが来とるよ。」

そんな祥子の言葉に、一瞬に瞳を見開くが、その後、表情が落ち着いていく。

「そうか。連れてきてくれるか。」

祥子は、そんな久志の言動の移り変わりを見ていて、慌てている自分が馬鹿らしく思えてくる。

「えっ、そうか…じゃあ、連れてくればいいんね。」

祥子も、慌てていたのが、不思議と気持ち的にも落ち着いてくる。ゆったりとした足取りで、新宅の玄関に直接向かい、イライラとした表情のままの母親を、母屋の縁側まで連れてくる。ゆったりとした表情を浮かべる二人とは対照的に、イライラとした気持ちを表に出しまくっているお母さんの姿が、縁側にあった。

「どうも、初めまして、霧島です。」

久志は、土間で顔を洗い、タオルで顔を拭きながら、縁側に現れた。そんな言葉を添えて、深々と頭を下げる。

<どうぞ、中の方へ…>続けて、そんな言葉を口にする久志。落ち着き、冷静でいる久志に対して、頭も下げず、目の前の久志を睨みつけているお母さん。

“ドサッ!”乱暴に履物を、履き捨てる様に、中に入っていく。そんな履物を、きれいな姿勢で整えて、祥子も母屋に上がっていく。

<どうぞ>久志が差し伸べる手の平の先に座るお母さんは、ますますイライラしている様である。

「祥子、麦茶が冷蔵庫に入っているから、出してくれるか。」

座る前に、土間の方に姿を消した祥子に、そんな言葉を掛けて、いつもの席に座る。

<で、今日は…>だだ広い仏間に、そんな言葉の響き、待っていましたと云う表情をして、勢いよく、口を開き出すお母さん。

「どうゆう事ですか。何やら、うちの美香に、ツリーハウスを造る手伝いをさせてるとか聞きましたけど…いったい、どういう事で、そんな危険な事をさせているわけですか。あなたに、どんな権限が合って、そう云った事をなさっているわけですか。」

久志は、勢いよく言葉を並べている、目の前のお母さんから視線を逸らさない。とにかく、お母さんが、思いの丈を言い切るまで待った。

祥子が、お盆の上に、氷が入った麦茶のグラス二つ、持ってきた時、仏間に響いていた言葉が途切れた。久志は、おもむろに立ち上がり、二枚の紙を手に取り、お母さんの目の前に差し出した。

<これを見てください>久志がそんな言葉を添えた時、祥子が冷たい麦茶を、二人の前に出されていた。

久志が差し出した二枚の紙は、修二と美香に、親からのサインを貰って来る様に求めた同意書であった。

美香が提出した同意書には、三文判の【中谷】印だけが押している。

「こんなの、私、知りません。」

自分の娘が提出した同意書を、瞳を大きく見開き、見つめているお母さん。

<そうでしょうね>そんな言葉が、仏間に響いていた。久志は、知っていた。美香が、この同意書を、お母さんに見せていないと云う事に気付いていた。

「できれば、ツリーハウスが出来上がるまで、バレなければと思っていました。」

続けて、そんな言葉を発する久志に、無責任さを感じるお母さんは、突然に、目の前のテーブルを強く叩いて、上半身を久志に突き出す。

「あんた、何、無責任な事を言っているんですか。まだ子供なのに、危険な事をさせて、怪我させるとか、木から落ちてしまうとか、考えていないんですか。」

落ち着き払っている目の前の久志の態度にも、イライラが爆発する。すると、今まで、穏やかであった久志の目つきが鋭くなり、睨つける。

「美香は、居場所が欲しいだけなんですよ。わかりますか、お母さん!」

怒鳴りつけた。鋭い目つきで、一方的に、自分の言葉しか、口にしない母親に対して、久志の方が怒りをぶつけてしまう。上半身を突き出しているお母さんを睨みつけて、ものすごい迫力で、恫喝をした。久志の変貌に、穏やかだった久志の変わり様に、何とも言えない迫力に、押される形で尻もちをついてしまう母親。

<あっ、すいません…>思わず、取り乱してしまった自分に、落ち着かせようと、そんな言葉の後、深く深呼吸した。

「フぅ…お母さん、怒鳴ったりしてすいません。」

久志は、そんな言葉を、一息置く事にする。表情を穏やかに変えて。もう一度、お母さんの前に、同意書を差し出す。

「美香、いや、美香ちゃんが、この同意書を渡された時、お母さんにこの同意書と、私の手紙を渡していないんだなぁと、思いました。私は、あえて、その事には触れませんでした。何でか、わかりますか。美香ちゃんの気持ち、美香ちゃんが、この同意書を、あなたに見せなかった理由。わかりますか。」

<えっ!>お母さんが驚いた顔をする。木づちで、後頭部を叩かれたような衝撃が走る。考えもしなかった、自分の娘が、目の前の同意書を見せなかった理由。そんな理由の事など、考えもしていなかった。

「美香ちゃんは、あなたに、駄目だと言わえることが、怖かったんでしょう。駄目だと言われるのだと、思ったんでしょう。それぐらい、自分の秘密基地を、自分の居場所を、造りたかったんじゃないでしょうか。」

久志は、あえて【秘密基地】という表現をする。自分を美香の目線、子供の目線に下げて、話しをしている。

<よいしょ>立ち上がる時に、そんな言葉をあげる。久志は、おもむろにツリーハウスの模型を持ってくる。

「お母さん、これを見てください。」

久志の言葉で、ふさぎこんでいたお母さんに、にこやかな表情で話しかける。

「今ですね。この三層のウッドデッキが出来上がった所なんですよ。」

分解できるように造った力作。三層のデッキだけを残して、ハウスの部分と柵の部分を取り外した。模型を手にして、楽しそうにツリーハウスの製作、作業の進み具合の説明を続ける久志。

<あの…>意気消沈をしていたお母さんが、申し訳なさそうにそんな言葉を入れる。

「すいません。私、どう言っていいのか。失礼な事を、言っていましたよね。」

自分の娘、美香の気持ちを考えていた。久志の言葉が、胸に突き刺さって、気持ちを重たくなっていた。

<えっ…>自慢げに話しをしてしまっていた自分に気づき、話しを本筋に戻す。

「あのですね。明日からの事は、お母さんが決めてください。納得できず、美香ちゃんをこさせなくても、かまいません。あなたが、私に対して、どんな行動を起こしても、私は、全て、受け入れるつもりでいます。私は、それだけの覚悟を持って、この秘密基地を造ろうと、美香ちゃんに提案したのです。そして、一番に美香ちゃんの事を、真剣に考えてみてあげてください。」

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