第6話 実家 母親
…
お見事!と叫びたくなるほどと、二人の呼吸が合っていた。そんな中、一人取り残される男性。もちろん、久志である。子供達が、なんで振り向き、自分の顔を瞬きもせずに見つめていたのか、久志にはわからない。
「逃げられた。」
そんな言葉が、むなしく響く。只、話がしたかっただけなのに、逃げ去ってしまった。寂しさを感じてしまう。
「こんな展開になるか。」
想像もしていなかった展開に、肩の力が抜けてしまう。子供達の会話から、久志は色んな事を想像してみる。(知らない人)から逃げた行動は、正解である。当たり前の事である。子供達からすれば、知らない大人が近づいてくるだけで恐怖だといえよう。つまり、自分が、変質者扱いをされたことに気付く。しかし、言葉にしない。言葉にしてしまえば、自分がもっとみじめになるからであった。
「さぁ、行くか。」
子供達が取った行動を理解するのだが、ショックは隠せないでいる久志。背を丸めながら、トボトボと歩き出す。本来の目的である妹夫婦の家(実家)に向かって、歩き出した。
小学校から歩いて二十分ぐらいの距離に、妹夫婦の家がある。町中を外れて、汽車(電車)の線路、脇道を山の方に向かって歩いていた。
グウィーン・ゴットン・ガットン…!
久志が歩く後方から、そんな轟音が聞こえてくる。民家の並びの風景は、もう視界にはない。周囲一面田んぼが広がっている。
久志が振り向くと、老人が麦藁帽を被って赤いトラクターに乗っている。久志は慌てて、道を譲りトラクターが走り去るのを待っていた。時間が時間だけに、農作業を終えて帰宅するのであろう。久志と進む方向が同じという事は、顔見知りかもしれない。ゆったりとした速度、トラクターの振動で身体を震わせながら、久志の脇を通っていく老人。通り過ぎ間際に、軽く会釈をしてくれる。久志は、つられる様に頭をペコリと下げた。小学校からの道のり、毎日の様に通った道。今は、アスファルトで舗装されているが、当時の砂地の道であった事を思い出す。周囲一面が田んぼの農道を、赤いトラクターが走っている。子供の頃は、荷車を牛が引いていた。形は違えど、何か懐かしさを感じる。久志は、しばらく立ち止まり、赤いトラクターを見つめていた。
茅葺屋の母屋。隣には、鉄筋造りの二階建ての民家が見える。家の周りには、簡単な垣根。庭には、松の木、紅葉の木が綺麗に植えられ、キチンと手入れされている。十数年振りの里帰り。我が家を正面から見入ってしまう。父親の葬式以来の我が家、懐かしさを覚える。
「あれ、誰かと思ったら、お兄ちゃん…」
しばらく、我が家に見入っていたら、母屋の脇にある農具などが置いてある小屋から、懐かしい顔が現れる。妹の祥子。頬被りの姿のまま、久志に駆け寄ってくる。
「やっぱり、お兄ちゃん、どけんしたと。」
「祥子か、祥子、元気してたか。」
老けたおばさん、祥子に怒られるな。自分の年を思い浮かべる。当たり前ある。五十七歳の兄であるのだから、妹も、もう立派なおばさんである。
「お兄ちゃん、何、戻ってくるんやったら、電話くれんな、びっくりするやろが。」
祥子は、立て続けに言葉を重ねてくる。
「いやぁ、ごめんごめん、急に来たくなってな。それにしても、お前、老けたな。」
「なんね、十年以上も顔も出さんで、そげんな事ゆうとね。相変わらずやね。」
そんな言葉を口にするも、二人は笑みを浮かべている。十数年振り、兄妹の会話が始まる。祥子は、久志より、七つも年下の五十歳になる。
「母さんは、元気か。」
「元気も元気、今ね、夕飯の支度、やっとるよ。」
「ほぉ、そうか、昌幸君は…」
「うちの旦那は、もうそろそろ帰ってくるとちゃうかな。そんな事よりか、上りんしゃい、お兄ちゃん、いつも急で…」
祥子は、何か興奮している。今、この霧崎家には、母親の千鶴子、妹の旦那昌幸と祥子、二男の孝、長女の利美の五人が住んでいた。後、今は住んではいないが、長男の賢二は、福岡の大学に通っている。
「母さん、母さん、お兄ちゃんばぁ、戻ってきたとよ。」
鉄筋建ての家の方に向かって、そんな声を張り上げて駆けていく祥子の後ろ身を見つめている久志。気持ちが重たくなっていく。母親の表情が、想像できるからである。間違いなく、いい顔はしていない。
慌てて、興奮をして、甲高い声が響く。母親の千鶴子は、まな板の上の動きを止めた。お兄ちゃんイコール、久志の顔が頭に浮かぶ。老いた身体が、瞬発的に動いていた。急いで、玄関まで駆けてくるが、平然とした表情を装う千鶴子。そんな千鶴子の行動など、外にいる久志の視界には入っていない。恐る恐る息子の前に顔を出す千鶴子は、久志と目を合わせようとしない。
…
黙ったまま、ゆったりと母親の千鶴子に近づいて行く久志。父親の葬式から、十数年間、連絡を取っていなかったわけではない。季節の節目、父親の命日には、必ず手紙と贈り物は送っていた。家業の農業を捨てて、自分の夢を志した事に負い目を感じているのか、久志も、千鶴子の顔をまともに見られないでいた。
「母さん、元気そうで、良かった。」
そんな言葉しか出てこない久志は、千鶴子に睨まれる。
「久志、それだけね。」
…
「言う事は、それだけねって、言うとるがよ。十年以上も顔も出さんで、あんたは、長男なんよ。わかとうとね。」
千鶴子は、十数年も顔を見せなかった息子、久志を叱咤する。そんな言葉をぶつけられた久志は、苦い表情を浮かべていた。母親からしたら、当たり前の事なのかもしれない。跡取りである長男坊が、家業を捨てて、自分の夢に走った。父親の葬式以来、十数年も親に、顔を見せに帰ってこなかった。本当であれば、この家にずっといるはずの息子が、手紙だけで、顔を出さなかった息子に、怒りを覚えるのが当たり前の事なのである。
そんな千鶴子の言動に、久志は、怒りが込みあがる。両拳に力を込め、目尻が釣りあがっていくのを、自覚する。
「手紙で報告していただろうが、俺も俺の仕事で、忙しいんから、仕方がないだろ。」
「親に向かって、その物の言い方は何ね!」
素直に頭を下げればいいだけなのに、乱暴な言葉を千鶴子にぶつけてしまう久志。
「母さんも兄ちゃんも、いい加減にしいや。もう、玄関先で…とりあえず、中に入ろう。」
傍でそんな母子のやり取りを聞いていた祥子は、呆れた表情を浮かべる。一緒に住んでいる祥子は、千鶴子が、久志の事を心配しているのは知っていた。本当は抱き締めたくなるほど、うれしいはずの母親の心境をわかっている。
「ほら、なんばぁしとるね、玄関先で喧嘩ばァしとっても、仕方なかろうも、早く入って…」
七つも離れている兄の久志には、子供の頃から可愛がってもらっていた。祥子は、(お兄ちゃんっ子)という言葉が当てはまる。だから、久志の性格もわかっていた。本音は自分のやってきた事、親の期待を裏切り、親に対して申し訳ないという気持ちでいっぱいなのである。季節ごとに送られてくる手紙には、祥子宛てのものもあった。その手紙には、毎回の様に、千鶴子を心配する文章が書き綴られていた。
「お母さんもお兄ちゃんも、仏壇のお父さんに、報告せんと。」
喧嘩のする二人の思いは、わかりすぎるほどわかっている祥子が、二人の背中を押す。これから先の事を心配する祥子の姿がここにあった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます