第15話 ツリーハウスの絵

「えっ!」

駄々っ子になっている美香は、久志の言葉を理解できていない。

「えっ、じゃないよ。ツリーハウスだよ。秘密基地だよ。私と美香ちゃん。そうだ、修二って子も入れて、ここに、ツリーハウスを完成させれば、ここは共有の場所になる。いいアイディアだろ。どうだい、美香ちゃん。」

冷静だった久志が、何やら、盛り上がっている。頭の中には、夕日をバックに、完成したツリーハウスが浮かび上がっている。

興奮をしている久志を目の前にして、口をポカーンと開けている美香は、何も理解していない。

「わかんねぇか。ぅ~ん…美香ちゃん、書くものあるか?」

そんな言葉を言われた美香は、素直に赤いランドセルから学習ノートを取り出し、久志に手渡した。

「よく見てろよ、美香ちゃん。」

久志は、そんな言葉を口にすると、学習ノート一ページを丸々使って、絵を描き始める。映画を撮る時、役者やスタッフに分かりやすいように、絵コンテを描いて撮りたいものを説明する久志にとっては、頭の中の風景を描くのはお手のものであった。

「ほら、こうして、こうなって…」

久志は気づいてはいないだろうが、そんな言葉を口にしている。そして、ランドセルの中の色鉛筆を見つけた久志は、これも借りるな、そんな言葉を発して、乱暴に色鉛筆を取り出し、色まで付け出す。興奮しているのが自分でもわかる。大の大人が、子供のように興奮している。この勢いは、もう止められないと、自分で悟っていた。

美香は、そんな久志の言動に釘付けになる。見る見るうちに、学習ノート一面に、夕焼けが背景のツリーハウスが描かれていく。

「こんなもんだろ。」

そんな言葉の後、ペンを置いた久志。何の迷うもなく、一気に描きあげた絵に、身を乗り出して見つめる美香の姿。

「どうだい。これを、造ろうってんだよ。」

久志は、湧き上がってきた興奮を、静める事が出来ないでいた。子供の頃、持っていたもの。何でも出来るという想いが、込みあがってきていた。

「おじさん、本当にこれを造るの。」

「ああ、そうだよ。美香ちゃんには協力してくれるんなら…」

「すごい!すごいよ、おじさん!」

何の曇りもない瞳をキラキラさせて、久志に視線を向ける美香。そんな美香の表情を見ていると、【やる気】と云うものが湧いてくる。これは、久しく感じていなかったもの。

「美香ちゃん…」

笑みがこぼれていた久志の表情が、一瞬にして変わるのを、美香のつぶらな瞳に映っていた。

「ツリーハウスを作るにあたって、一つだけ条件を出してもいいかな。」

真剣な目つきで、美香の事を見つめる。

「うん、いいよ。何でも言って、何でも手伝うから…」

「学校に行く事!」

「えっ…」

美香の顔から、笑みが消えていく。学校に行きたくないから、ここに居るのである。周りの環境に馴染めないから、この秘密基地にこだわっていた。なのに、【学校に行く事】が条件なんて、今まで盛り上がっていた気持ちが、一瞬に冷めていく。

「美香ちゃんが、何で、学校に行きたくないのかは知らないよ。何か、心に秘めているものがあるのだろう。でも、学校には行かなくちゃ。これが条件だ。わかるね。これを守らないと、ツリーハウスの話しはなしだ。いいね。」

突っぱねるような言葉を、言い切る。久志が提示した条件に戸惑ってしまう美香。どう答えていいのか、わからないでいた。

「美香ちゃん、学校にどんな嫌な事があるのか分からないよ。標準語を喋っているという事は、関東から越してきたんだろうし、おじさんが想像するには、言葉や環境に戸惑っているだけだと思う。この町の人間に悪いやつはいないよ。それは、田舎だからね、美香ちゃんが、今まで出会ってこなかった奴もいるかもしれない。おじさんもあの小学校を卒業したんだよ。いわば、私は美香ちゃんの先輩になるわけだ。その先輩が言うんだから、間違いないよ。」

久志は、美香を諭すように言葉を続けた。大人の対応。小学校の運動場で逃げられた。そして、今日この場所で再会した。この女の子と、何か縁があるのかもしれない。そんな事を考えると、久志は、美香の事を愛おしく思えてくる。だから、学校には行ってもらいたい。ツリーハウスを造るという事が、美香が学校に行くきっかけになってもらえれば、それでいいのである。そして、久志自身の為でもある。この場所で、この生まれ故郷で、この高崎町で、何かが変わるかもしれない。そんな事を考えていた。

コクリ

弱々しく頷く美香。頷くしかなかった。久志の描いた絵に魅かれている。心の底から、このツリーハウスを造りたいと思っている。だから、頷くしかなかった。

「おじさん、学校にいかなちゃ駄目。」

頷きはしたが、まだまだ、煮え切れていない美香。

「駄目だ。」

「あぁ~…」

そんな言葉を発して、頭を抱え、悶え苦しんでいる美香の姿が、おかしく思えてくる。まるで、自分の娘にお説教をしている様にも感じる。

「うん、わかった。わかったよ。おじさん。私、学校に行く。」

美香は、こんな言葉を言い切った。笑みを浮かべる久志。ぶ厚い手の平は、美香の頭を撫ぜている。六十を前にした男と、十歳足らずの女の子と、心が通じ合った瞬間であった。

「よし、約束だ。」

久志は、ぶっとい小指を美香の前に差し出す。美香は、当たり前の様に、自分のかわいらしい小指と絡めていた。

『指切りげんまん、嘘ついたら、針千本飲~ます。指切った。』

言葉を揃えて、発する言葉は、元気で明るいものであった。指を切った後、お互いに笑い声を上げていた。

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