第32話 打ち上げ
また一人なった久志は、おもむろに立ち上がると、そのまま、二層目のウッドデッキに繋がる階段に腰を下ろす。視線の先の方に、清二と姪の利美の姿が目に入る。
(まさか)と、心の声。さっき、山中のおやっさんに呼ばれていた清二が、利美と仲つづましく会話をしている。
「もしかして、奴ら。」
今度は、言葉を口にする。別に、腹が立っているわけではない。若いもんは、若いもんでうまくやってくれればいいのだが…。
そんな二人に視線を向けていると、久志の視界に、また影が出来る。明らかに、千鶴子のシルエットであった。
<母さん、どうしたん>そんな言葉と一緒に、視線を上げてみる。
「あの時よりも、立派なもん、造ったんやね。」
京介と造り上げた秘密基地の事を知っていた千鶴子、見比べている。
「当たり前だろ。あの時とは規模が違う。」
久志は、重ねた手のひらを腰に置いた千鶴子の姿を、視界に入れる。いつもであれば、喧嘩腰の口調になる久志であったが、なぜか、穏やかな口調で話している。
「お兄ちゃん、お母さん!」
何やら、慌てて、後方から声を掛けてくる。祥子は、二人が重なり合う姿が、視界に入った瞬間、何やら、揉めているのかと思ったのだろう、考えるより先に、身体が動いてしまった。
「祥子は、何を慌てているとね。」
「母さん、日陰行くか。」
祥子は、キョトンとした表情のまま、二人の背中を見送る。缶ビールを、指先全体で提げる様に持つ久志の隣で、千鶴子は、腰に手を置いたまま、仲慎ましく歩いている後ろ身。祥子は、初めて目にするかもしれない。慌てて、後を追いかける。
「母さん、何か、飲まないのかい。」
<わしは、いいわ>クーラーボックスが置いてある木陰のテーブルに腰を掛けた二人が、そんな会話を進めていた。
「お前は、飲んで大丈夫やっとね。バイクで来たとやろ。」
「ああ、飲まないつもりだったけど、祥子の軽トラの荷台に積んでもらうわ。なぁ、祥子!」
久志は、後を追いかける祥子に、そんな声を掛ける。またまた、キョトンとした表情になる。
<何、お兄ちゃん>いつもとは違う二人の空気に戸惑いながら、二人の会話を聞き逃していた。
「ほら、久志は酒飲んどるから、帰りの事や。」
千鶴子が、久志の言葉に補足を入れる。ますます、頭の中が混乱してしまう。
「母さん、バーベキューの準備とか、ありがとうな。この人数分、大変だっただろ。」
「何もないよ。わしも、こんな楽しかこと、なかなかないもんね。」
嬉しかろう、楽しかろう、千鶴子は、ニコリと、笑顔になっている。
「もう、母さんに、お兄ちゃん、どげんしたと。いつもと、全然違うやん。」
今度は、二人がチョトンとした顔をする。
「何、言うとるんやろね。この子は…」
「祥子、お前、おかしいぞ。」
それぞれ、お互いに言葉を発する。さすが、親子と云うような発言。妹として、二人の溝が埋まっている事は、喜ばしい事であるが、こんな急激であると、どう表現していいのか分からない。
夏も、終りに近づいてきている。山の緑の香りを運ぶ風も、秋に近づいてきている。納得がいかない祥子を入れて、楽しい時間を過ごしている霧島親子。
「あっ、母さん、明日、東京に帰る事にしたから…」
楽しい会話の中、久志がそんな言葉を入れてくる。
<えっ!>祥子は驚いているが、千鶴子はそうでもない。
「何よ。お兄ちゃん、せわしかね。」
慌てて、そんな言葉を口にする。なんでも、突然の久志に対して、母親千鶴子は、驚かないのであろうか。
「そうね。今回は、長居したからね。そろそろ帰らんと。」
久志のそんな言葉を、予想していたかのような返答。
「ああ、やる事もやったからな。あとは、私自身の事だ。」
<…>千鶴子は黙り、俯いて、ニコリとしている。これ以上言葉を交わさなくても、久志の心の中をわかっている様な雰囲気。
「もう…!わからん。何よ、急に仲良くなったかと思えば、今度は、東京に帰るって、何なんよ。お兄ちゃんも、母さんも、もう知らん!」
そんな言葉を口にして、この場から勢いよく立ち去った。
「祥子、帰り頼むぞ。」
立ち去る祥子の後ろ身に視線を送り、そんな言葉を叫ぶ久志。そして、濃い緑の中、静かな時を過ごす。二人は、言葉を交わさない。もう何も言葉のいらない空間。親子の時間が流れている。久志は、この二ヶ月間の事を、思い返している。この数年、味わっていなかった濃い二ヶ月を過ごした。
<母さん>真っ青な空を見上げて、おもむろに言葉を発する。
<なんね>千鶴子は、久志に視線を向ける。
「長生きしてな。」
「何ゆうとるん。わしは、もう長生きしとる。」
久志の言葉が、よほどうれしかったのだろう、視線を逸らす。
「もう少し、生きていてな。一年か、二年か、いつになるかわからんけど、この町を映画にするよ。」
<…>言葉を返せない千鶴子。
「私が生まれ育ったこの町を、映画にするよ。」
そんな言葉の後、二人の空間だけシーンとしていた。周りは、賑やかである。美香と修二、そして美香の母親の楽しそうに声。迫田市長と後輩の勇蔵に、山中のおやっちゃんのホロ酔の声。何か気になる、清二と利美との会話。
<そうね>ボソリと、千鶴子の声が久志の耳に入ってくる。
「ああ、だから、長生きしてくれよ。」
二人は、それ以上言葉を発しなかった。久志は、照れくさいさがある。千鶴子は、うれしくて、言葉に出来ないでいる。しかし、その場から、動こうとしない二人がいた。
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