第52話 改造学の始祖

「私、昔から変わってない……」シシリーは、ベッドの上で膝を抱え込んだ。


 シシリーの自室、カーテンの隙間から注がれる月光が唯一の光源となっていた。彼女はアストに脳内を蝕まれていた。


「忘れてた、彼のこと……」シシリーは涙を流した。


 ポツポツとベットに水滴が広がる。まるで静かな水面に石ころを落としたかの如くの光景だった。


「ヒーラー、私の憧れ……」


シシリー・クリフォード。


 他人の為に処女を散らした女は、今日も知らないふりを続ける。ユイナの出生と、不思議な力。


なぜ自分にも与えられたのか。


姉妹の『ギフト』は呪いとして……。







──コンコン


「入って良いよ」学園長は伸びやかに返事をする。


ギィィと開いた扉。太陽はすでに落ちている。


「失礼します……」その向こうからカトレアは顔を覗かせる。


 彼女は特に何か言うわけでもなく、学園長の断りなしに、部屋の真ん中にあるソファに腰掛けた。


無表情なカトレアと対照的に、学園長は満面の笑みを溢していた。


「どこまでも無愛想な女だねぇ。笑顔の一つくらい練習したらどうだい?」


「別に、私に愛想などなくても──」


「アストは殺せるって? まぁ、そりゃあ昔の話だよ、アンタ」


 学園長、クルス・エマン。魔法使いたる風貌は、彼女の本質を捉えていない。しかし、あくまでも自己主張の要素を一つ失っているだけである。


「もう少しですよ。彼、エレナの攻撃でも意識を失ったんですから」


「そりゃあ、たしかにいい報告だねぇ。けどね、私がわざわざ、面倒臭い能力を失くしてやったんだ。むしろ遅い、もう死んでなきゃあおかしい」


 クルスは、まだ学園長の椅子に座っている。一向にカトレアの向かいのソファに座ろうとしない。


そしてカトレアはクルスの方を見ずに、正面だけを見て話す。


「彼の受け身の恋愛観が邪魔をしています。全てに至って、ただ享受するだけ……。私の能力でも、さすがに心は操れません」


カトレアは抑揚のない調子で会話を続ける。


「それに、強引に迫ったエレナ、マリオンも不発……。彼、本当に男なんですか? 私には理解できない……」


 カトレアは爪を噛み、貴重な心理状況が露わになる行動をとった。それだけ彼女にとって、アストの生態が読めないのだ。


「この老体じゃあ……。むしろ、私が出た方がってこともあるかい?」


「クルス様、ご冗談を言ってないで、早く打開策を見つけましょう」


 カトレアはクルスの冗談を軽くあしらう。場は和んでいないが、クルスの顔はより笑顔になっていた。


彼女達の目的は単純。


改造学の始祖、『アスト・ユージニア』を始末すること。


「打開策とは言ってもねぇ? アストは、エレナに毎日犯されても落ちない男だよ? むしろ、アレのお陰でより落ちなくなって……」


──コンコン「アカツキです、学園長はいらっしゃいますでしょうか?」


二人は無言で見つめ合う。そして、コクリと同時にうなづいたのち、学園長の「いいよぉ」という言葉で扉が開いた。


「失礼します。……おや? カトレアも来ていたんだね」


 アカツキはカトレアの対面、下座に位置するソファに「よろしいですか?」と学園長から許可を取って腰を下ろした。


「アカツキか。突然どうしたんだい?」学園長は愛も変わらずの笑顔。


「いやぁ、ボクもそろそろ強くならないと、と思いまして……」


「お前は十分強いじゃないか」


「いえ、先日の防御学の件で、ボクは本格的に弱くなってしまいましたよ」アカツキは自身の背筋をピンと伸ばして、いつもの風貌であった。


「……アカツキ、貴方はおかしなことを言っている」


「ボクが?」カトレアの指摘に、アカツキは首を捻った。


「防御学の件って、未だに解明されていない。でも、貴方は言い切った」


「ボクは生まれつき変化に敏感でね。それに防御学の異変に、委員長たるボクが気付かない方がおかしな話だよ」


「……」カトレアは黙って、ただ無表情でアカツキを見つめる。


 彼女達に挟まれた、ソファの間にある小さなテーブルは心なしか窮屈そうにしていた。ガラス製のテーブルの上、特になにも乗っていない。


「そこでです学園長、ボクに学部移籍の許可を下さりませんでしょうか?」


 カトレアの方向から学園長の方を向き直して、アカツキは声の調子を高めて言った。学園長は驚く様子を見せない。


「おや、それは勿体無い。お前の力を持ってすれば、防御学の未来にも希望があるかもしれないのにねぇ?」


 アカツキは学園長の言葉に対し、深く息を吸った。そしてゆっくりと、自分で確認するように一言だけ宣言する。


「その覚悟はしてきました」アカツキの視線は真っ直ぐ学園長を捉える。


「それなら話が早い……。じゃあ、お前に条件を──」


「生徒五名の押印と、教師一名の押印ですよね?」


 アカツキの確認に対して、学園長はピクリと眉を動かした。やはり、都合の悪い男を敵に回したものだと、学園長は内心で呟く。


「アカツキ、それは誰から聞いたんだい?」笑顔を崩さず、丁重なセリフで学園長は質問を投げ出す。


「アストから聞きました」


 やはり……と学園長の不安は的中。アストに掲示した、適当な条件が今になって戻って来るとは。


「そうかい、分かってるんならいいさ……」ゴソゴソと学園長は周辺を漁る。


 そして一枚の紙をアカツキに見せ、それが移籍の紙であることを告げた。アカツキは大きくうなづいたのち、学園長の前まで歩いてそれを受け取った。


「ところで、お前はどこに移籍したいんだい?」アカツキに手渡した紙を見て、学園長は言った。


「……アストのいる回復学部です」


 あの男、女を誑かす能力でもあるのではなかろうか。学園長は心中で毒吐き、しかし表面に出さず、自身の机の引き出しからハンコを取り出した。


「……ほら、これで私の署名はできたよ」


紙にポンと押された赤い印には『クルス・エマン』としっかりと残っている。


「学園長、本当にありがとうございます」アカツキは笑顔で一礼すると「失礼致しました」と言って校長室を去った。


するとこの空間、しばらく沈黙が訪れる。


「……アストは女を落とし過ぎですよ。だってわ──」


「お前の任務は変わらないよ。アスト・ユージニアを早く手篭めにしておくれ」


「分かってます。ええ、本当に……それでは」カトレアはスッと立ち上がり、校長室を後にした。


「天災の時は近いんだ。しっかり頼むよぉ」


学園長は一人そう呟き、椅子に深く座り直す。





──はぁ、はぁ、はぁ


 シシリーの自室、ベッドの上。先ほどよりも水滴は広がり、湿度はより高くなっていた。


「あすとぉ、あすと……」


 シーツの上に滴る水分も、涙とは言い難いほどに粘着性を有している。衣類のはだけたシシリー、行動はもはや自明であった。


 切なく喘いだ彼女には、かの資料室から奏でられるオーケストラなど届くはずもない。ただポッカリと空いた心の穴を、一人虚しく埋めることしか彼女にはできないのである。


シシリー・クリフォード。


──アストに関する記憶を取り戻した、この世界で三人目の少女。

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