第17話 ゼロ点は終着点

──コンコン


学園長『クルス・エマン』は、ノック音に反応する。


 そこは学園の校長室。学園全体を一望できるように作られた窓の正面。かの老婆は、ふっくらとした校長席に座している。


「……入っていいよ」クルスはしゃがれ声でそう言って、入室を許可する。


 ギィィと年季の入った音と共に、部屋へと足を踏み入れる男。丸メガネをかけ、風貌は普遍的な二十代男性。背筋をピンと伸ばし、校長室へ入ると深々と一礼した。


「ご無沙汰しております、ゔゔっ、クルス学園長」丁重な口調にノイズが入る。


「その様子、うまく出来たみたいねぇ? それで今回はどれくらい『使ったんだい』? 私に見せてくれ」老婆は軽快な口調だった。


 男は、黙って服の裾に手をかける。ゆっくりとめくり、鍛え上げられた腹筋のあるべき場所を見せた。腹筋の、あるべき場所を。


しかし、そこには虚空が広がっている。


 黒い穴は男の腹を食っていた。ゆっくり、ゆっくり、しかし確実に心臓へと食っている穴だった。


「あと二、三日ってところだねぇ。私に『借りたんだ』きっちりと返しておくれよ。……ふふっ」


「学園長。私はこれからどうなるのでしょうか? このまま死ぬのですか?」


 男は怯えている。狂気を纏うこともなく、ただ近づいてくる死に怯えている。所詮、彼も人の営みの中からは逸脱できぬザコ、凡人だった。


ただ一時的に力を借りて、A組の生徒を蹂躙したに過ぎない。


 そう。この男は先日、アスト・ユージニア一向を襲い、エレナ、オリヴィア、マリオン、イザベル、シシリーの計五名を殺害した男だ。


「死ぬだろうね。みーんな死んでった。唯一、他の奴とは違う所を挙げるとするなら……。そう、お前は作戦を成功させたってことだよ」


「学園長、わわっ、私に救いは無いのですか?」男の声は震えている。


「救いならあっただろう? あの力を『借りた』時点で、お前は正の領域に踏み入った。いい景色だっただろう?」


「たしかに、景色は鮮やかでした。ですが学園長……たったそれだけの事が、私にとっての救いなのでしょうか?」


「たったそれだけ? そうさ、たったそれだけ。お前が楽して手にした力だよ、むしろ多すぎるくらいだねぇ」


 老婆はケタケタ笑っている。依然として座ったまま、男の心情なんて知らないといった風に。


「なら! でしたら! 貴方を救って差し上げますよ!」


 男は半狂乱になり、懐から剣を取り出した。これでもかと魔力の込められたそれは、刀身を中心にぐにゃりと空間ごと曲げてしまうほど。


「バカな奴は嫌いだよ。……まぁ、命日くらいは選ばしてあげるさ」


「この現世から救い出してしまいましょう!!」


 ブゥンと鈍い音を立てて男は剣を振る。ぐにゃり、ぐにゃりと空間ごと持って行く剣技。男の剣技によって、まるで粘土のように空間が歪んでゆく。


「お前は正の領域。……私は負の領域。この意味がわかるかねぇ?」


「死して世界に救いをー!!!!」男は学園長に攻撃を行った


学園長は動かない。ヒュンと彼女の手前を剣が通過する。偶然か、必然か。


「救いを! 救いを! 信者に救いをー!」


何回も、何回も、男は学園長に剣を振りかざす。


 しかし当たらない。いつもスレスレで当たらない。それでも男は剣を振り回す。相対する老婆は努めて動かない。


「救いを! 救いを──」


シャクン。


ついに刃は、温かい肉を切り裂いた。この時ようやく、男の攻撃が報われた。


「あれ??????」


「ほうら、これでゼロ点。お前さん、因果応報だよ」


 ああ、なんと皮肉なことか。男が横に切り込んだその時、男の手から剣が滑り空中に放たれる。そして剣は、この世界の常識通り、慣性のまま横に回転。


男の肉を切り裂く。


ドシャリ


 そのまま重力に従って落ちた上半身。送れて下半身もドサっと覆い被さる。男の体から出ている血液は、真っ黒な光沢を放っていた。


「お前はこうやって殺したのかい? やーねぇ、残酷だねぇ」


学園長は椅子に座り直す。さっきより深く、さっきより楽な体勢。


「これで私も、お前も、ゼロ点満点さ」学園長は優しく呟いた。


 クルス・エマンは窓の外の景色に興味を持った。老婆の視線の先には、修練場と校舎の隙間で抱き合っている二人の生徒。


──アストとユイナは肌を重ねていた。






 俺とユイナは修練場の脇から出る。いくらか時間が過ぎていたらしく、すでに修練場の空きはなくなっていた。


仕方ない。授業開始までの間、俺たちは校内を散策することにした。




「畑に、発電所、修練場って、なんでもありますねーこの学園」


 ユイナは指折り数えながら感心している。俺達は室内を一周した後、今度は屋外に興味を持ったユイナに連れられ、校舎外も歩き回っている。


「あっ!アストさん、ファイアーバードがいますよ!」


ユイナはそう言って駆け出す。彼女の指差した方向には小屋があった。


「あっ、ちょっと──」俺は背中を追う。


 そして数秒後合流した俺は、既にユイナが入っている小屋の中を覗いてみた。どうやらここはファイアーバードの飼育小屋らしい。


「アストさん見てくださいよ! 雛がいますよ雛が! うわぁ! かわいいよー!」


 ユイナは雛を両手に一匹ずつ乗せ、親鳥に囲まれている。状況的にはほぼ火葬だ。ユイナは轟々と燃えるファイアーバードの中心に位置している。


「可愛いけど……それ熱くないの?」


「たしかに熱くないですねー。 なんだか不思議です!」


「安全確認してから飛び込めよ……」


 もしかしたら本当に火葬場になっていたかも。……そんなことになったら洒落にならないな。


「あっ、あの!」


人の気配と共に、俺の背後から声がした。


「あ! アストさん、マリオンちゃんですよ! 四天王の一人、『死神リーパー』ですよ!」


「しっ、死神じゃ、ないです……」


振り返るとマリオン・リーパー先輩がオドオドと立っていた。


 緑色の髪の毛をショートボブにカットしている少女。俺が蘇生した内の一人で、人見知りのあの子。死神なんて二つ名つけられてるんだ。


「ふっ、ふっぁ、ファイアーバードは、身を守るためにしてて。その炎は、飾りというか、害は無いんです」


「へー! アストさん、飾りらしいですよ!」


「マリオン先輩、詳しいんですね」


「だっ、伊達に生物学を専攻してないぜ!」マリオン先輩は決めポーズをした。


 場は冷ややかな空気に包まれる。心なしか、ファイアーバードの炎も小さくなった。対照的に、マリオン先輩の頬は赤くなる。


「いっ、生き物のことなら何でも任せてくだされ……」後半にかけて口調が頼りない。


「え!?」とユイナが驚いた様子で質問する。


「攻撃学部でも、生物学の専攻って出来るんですか? 生物学はヒーラーのイメージがあるんですけど」


「たっ、単位さえ取れれば、選択は自由です。だけど、私はその単位が取れないんですよね……」


「そんなに難しいんですか?」俺にとっては、生物学が難しいなんて意外だ。


「わっ、私アタッカーだから、生き物の、ヒールの課題が出来なくて……」 


「そんな」ユイナは鳥達に囲われながらも真剣だった。


「シシリーちゃん、最近部活に来ないし。でも今日提出の課題終わってないし。このままじゃ私、留年です……」


「……来ないんですね」シシリー先輩の名前を聞いて、俺は罪悪感を抱く。


 俺が蘇生したために、彼女の記憶がリセットされている。今のシシリー先輩に回復学を目指す動機はない。


「アストさん! 私、思いついちゃいました!」


 ユイナは小屋の中から大きめに声を出す。未だにファイアーバードに囲まれているのが心配だが自信満々。彼女なりに考えたらしい。


「マリオンちゃんにヒールを教えましょう! 私が魔力の流れを見るんで、アストさんは……コツとか教えて下さい! あと、ついでに私にも!」


ユイナの特性を踏まえれば、たしかに良い提案だ。しかし一点、マリオン先輩に教える立場の人間として、俺やユイナでいいのだろうか。


「俺とユイナはD組だよ? マリオン先輩は、もっと質の良い人を探してるかも知れないし──」


「しっ、師匠、お願いします!」マリオン先輩はブンと礼をする。


「そっか、この人、結構な人見知りだった」


 自分から話しかけて来たってことは、俺たちに警戒をしていないわけで、意外と唯一無二の存在ってことか。それは盲点だった。


 そのままトントン拍子に予定は組まれてゆく。要約すると、今日の昼休みにここへ集合らしい。


「そっ、それでは! 師匠!」マリオン先輩は敬礼をしている。


「はーい! マリオンちゃんまたねー! 雛ちゃんもまたねー!」


「では、またこの場所でお会いしましょう」


 俺もビシッと敬礼を返して、ユイナと小屋を去る。マリオン先輩は小屋に残り、俺たちは授業へと向かう。


──まさか、これがキッカケだったとは

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