第16話 宝石箱との共依存
「アストさんは、私を受け入れてくれて、優しくて、支えてくれて。……本当にありがとうございます」ユイちゃんの言葉は虚だ。
「うん」と俺はうなづくことしか出来ない。
ユイちゃん、いや、ユイナの言葉に耳を傾ける。彼女は俺の腰に腕を回して、すりすりと香りを共有している。俺の胸に顔を置いているのは、きっと身長差のせい。
ここは校舎と修練場の間にできた細い抜け道。
気づいたら俺たちは修練場の側面へと回っており、本格的に二人だけの世界を創り出していた。
校舎からも死角になっている位置関係。朝日すらも照らすことの出来ない。そんなしんめりとしたこの空間を、俺とユイナは共有している。
聞こえるのは呼吸音、心臓の高鳴り、ススッと擦れる制服の音。雑音なんてそれらにかき消されてしまう。
背中に感じるコンクリートの壁の冷たさは、俺たちの体温によってすぐに消え失せるだろう。
ユイナはゆっくりと俺に体重を預けて、滔々と話を続ける。
「でも、貴方と再会した時は悲しかったです。まさか攻撃学部のトーナメントで再開するとは……。悲しくて、本当に落胆しました」
俺の心を抉る一言はユイナから。一点、ポッカリと黒い穴を開けるような攻撃力を秘めている。
でも、同じギフテッドだったら分かるだろ? どこまでも続く孤独から抜け出したって、あるのは期待を抱く群衆の目線だけなんだって。
「なんで? ……俺はヒーラーじゃなきゃダメなの?」
「はい、アストさんはヒーラーなんです。アタッカーでもないし、タンクでもありません。貴方の価値はヒーラーとしての価値です」
「じゃあ──」俺は言葉を飲み込む。
『ヒールが使えなくても? 回復能力のない俺でも?』そう言う寸前、何かが俺を引き止めた。
ああ、抉られる。純粋な刃が一番鋭いのさ。平然を装っている俺の顔も、何かのキッカケでパチンと消え失せるだろう。
「昨日のアストさんはおかしかったです。倒れたエレナちゃんに『ヒール』を使わないし、変な魔力の流れでした」
「この話、もうやめない?」
「魔力が『ヒール』の流れ方をしていないと言うか、まるで『ヒール』が使えない人みたいな……」
ユイナに俺の声は届いていないらしい。
「ユイナ、やめよう?」
「私、アストさんのヒール、また見たかったです。でもアストさんは『あんな事』をしようとして、頑なにヒールしないし……」
ユイナは下から目を合わせる。「……何かあったんですか?」
「これ以上はダメ。これは、ユイナに受け入れてもらえない秘密だから」
これ以上話すとユイナの夢が消えてしまう。禁忌を犯したあの日、ユイナを救った『アスト・ユージニア』は死んだ。
──残ったのは価値のない俺。
俺の背中を支えるコンクリートは冷たいままだ。ヒンヤリと、ヒタリヒタリと、俺の背中を押してくる。反対にユイナは温かい。彼女は俺の胸に顔をうずめて、透き通った青い瞳で見つめてくるのだった。
「私は聞きたいですよ? アストさんの秘密。どんなことでも受け入れますし、相談だって聞きますから」
「誰だってそう言うし、誰だって後悔するよ。」
俺はどうにかユイナを諭す。『ユイナの王子様を守りたい』俺はその一心で、あの日の出来事を隠し続けている。
これは俺のエゴ。ユイナの記憶の中で生きている俺が、きっと最後の『アスト・ユージニア』だ。俺に回復能力が無いことを伝えてしまえば絶滅してしまう。
「ユイナ、お願いだから素敵な記憶にしてて。その記憶の中の『王子様』を大切にしてよ」
「嫌です。ありのままの王子様がいいです。それが私にとって最悪な事実だとしてもです」薄暗闇、ユイナの一人はキラリと光る。
「お願いだから──」
「いやです。もう私に隠さないで」ユイナの声は俺の骨に刺さった。
ここは校舎と修練場の間にできた細い抜け道。俺とユイナがこうやって『仲良く』している間も人間は通らない。
彼女から俺に縋り付く。俺の腰に回された腕も、発言も、皆等しく俺にまとわりついてくる。
「あすと、教えて……」ユイナの瞳に映る、怯えた俺の顔。
何が正しいのか分からない。真実を話せばユイナの王子様は死に、黙秘を貫けばユイナの疑心は永遠に追ってくる。
(話して楽になれよ。ユイナは受け入れてくれる)誰かが語る。
(ユイナの夢を壊すのか? 現実を叩きつけてなんになる?)誰かが語る。
天使も悪魔もいないのさ。
「分かった、分かった。じゃあ俺、全部話すわ」心に決めた。
決定的な理由はない。ただ、目の前の少女に甘えたかった。弱くて、無価値な俺を受け入れて欲しかった。
──エゴイスト
俺に語りかけた奴らも毒吐く。
知らねえ。どうにでもなればいいさ。堕ちるところまで堕ちていこう。
「うん、全部話して」ユイナは俺の目を見て言う。
俺は真摯に向き合う姿勢をユイナから感じ取った。狭く薄暗い空間、ここから俺の思考は過去へと飛んで行き、拙い言葉で全てを話す。
「長くなるけど、まずは──」
俺は話した。過去も、トラウマも、弱い自分と現実のギャップも。全てを失ったあの日と、禁忌を犯したあの日。その代償と制約、俺の内側に溜まって濁り続けていた過去を、ユイナに八つ当たりみたいに全てぶつけた。
「俺は……もう、ヒーラーじゃない」
今の一言は、言うだけでも苦しかった。避けてきた現実とか、叶わない夢とかを全て受け止めたみたいで不快だ。心が裂ける。
「ふふっ、アストさん」
ユイナは話の途中、常に相槌を打ち、俺の全てを受け止めてくれた。それでもなお俺から離れない。
「俺、全部話したよ?」
「はい、全部聞いて、咀嚼しました。だからもう離れません。私がアストさんを支えるんです」
ポキリと折れた。決壊して、感情が流動する。それは幼い俺の心。成熟せぬまま摘み取られた俺の精神は、想像以上に脆かった。
「いいの? こんな俺も愛して、仲間でいてくれるの? ……ありがとうぅぅ」
「いえいえ、私も感謝してます。だって、貴方は私の理解者だから」
ユイナは俺の心を掬い取り、彼女の水瓶へと注ぐ。二人の呼吸音は既に同時に流れる。ただ、ただ、愛を初めて享受した俺は涙が溢れて止まらない。
太陽はようやく光で俺たちを照らす。
輝かしい宝を見つけた二人の男女はここにいる。
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