第15話 パンドラの箱は開けないと
テストの終了と、エレナの「ヒーラーを目指していない」という発言の翌日。
今日は晴天。しかしながら俺の頭には朝から霧がかかっており、どうにも気分が乗っていない。
「どうやって説得すればいいのやら……」
制服を着て登校中、俺は右手で杖をクルクルと弄ぶ。
エレナが『ヒーラーになる』と夢を抱かなければ俺の出る幕がない。必然的に推薦書にハンコなんて押してもらえることもなくなる。学園長の契約も満たせなくなり、攻撃学部への移籍が不可能に近づいてしまう。
さて、『ヒール』の使えない回復学部の生徒は、何日で退学になるでしょうか?
「ああっ……。どこから手をつければいいんだよー」
現在は早朝。俺のぼやきは誰にも聞こえない。ただ何処かに飛んで行き、水の泡の如く消えて無くなる。ただ俺は独りトボトボと通学路を歩く。
これから毎日通うことになる学園は、この通学路の先にズドンと聳え立っている。この学園の歴史は長いと聞いていたが、外観はもちろん、内装までもつい最近創立したのかと疑いたくなるほど美しい。
俺は校門を抜けて学園に足を踏み入れる。
今日、わざわざ早起きした俺の目的。それは『修練場』に向かうためだ。
学園の中でも一、二を争う人気のこの施設。蘇生の代償に『ヒール』を失ったので、入学前に何回か覗きに行ったが使用できなかった。満員がデフォルトの人気施設は、早起きをした者の特権というやつだ。
だから今日こそは──
修練場の入り口に人混みができている
「お姉ちゃんなんで!? 私とヒーラーになるって約束したじゃん!」
「言ってないから。ユイナ、お姉ちゃんはアタッカーなの。練習に行くから、もう邪魔しないで」
校門から歩いて数十歩。早朝にもかかわらず形成され、ザワザワとしている人混み。その中から聞き覚えのある声が二人分。二人の少女の声には、怒りと悲しみの感情がこもっていた。
俺は輪のようになっている人混みを掻き分け二人を視認する。
『ユイナ・クリフォード』と『シシリー・クリフォード』は、その輪の中心でで言い争いを繰り広げていた。
「嘘つかないで! なんで急に辞めるとか言い出すの!?」
「嘘じゃない。私がヒーラーだなんて、ユイナの妄想でしょ? テストの疲れで変な夢でも見たのよきっと」
「ゆめ? お姉ちゃん、何言ってるの? あの日からずっとヒーラーを目指してたよ、ねぇ私たち……」
「あの日っていつ? 私知らない」シシリー先輩はかなり冷淡な対応だった。
そして悪意のない、シシリーの純粋な瞳は真実を語っている。
しかしそれはユイちゃんにとって、救いようのない現実として映っただろう。現に目の前の姉は忘れてしまっているのだから。
「しらない? おぼえてない?」ユイちゃんの瞳が曇る。
ユイちゃんは何かが壊れたかのように、ブツブツとうわ言を繰り返すようになってしまった。それを見て呆れた様子のシシリー先輩は「じゃあね」と修練場へと入って行った。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん……」
集まった野次馬も散り散りに。結局、修練場の前に残されたのは俺と、今にも泣き出してしまいそうなユイちゃんのみとなった。
ユイちゃんは水色の透き通った髪を肩のあたりまで伸ばし、髪型は姉と同じくセンターパートだ。少し変わった点といえば、姉は左目が隠れているのに対して、ユイちゃんは右目が隠れているところ。姉妹といえども、こだわりがあるらしい。
ユイちゃんと目が合う。
決壊しそうな目尻を必死に堪えている彼女は、俺に抱きついてくるのであった。
「ううっ。アストさーん……」
「はい、ハンカチ」
「ううぅ……。ありがとうございます」
俺は予めポケットから取り出しておいたハンカチを渡す。
禁忌を犯して蘇生してしまったのなら、制約も正しく機能している筈だ。つまりシシリー先輩は俺に関しての記憶がないということ。おそらく消えた記憶には、ヒーラーを目指す動機もあったのだと思う。
しかし、生きているだけで幸せなんだと伝えたい。マイナスからゼロに戻したんだ。『ヒーラー』としての最後の仕事は十分過ぎるくらいだと思う。
後はユイちゃんとシシリー先輩の辻褄を合わせるだけなんだ。これで俺の過去は精算される。
「ユイちゃん、悲しい? それとも悔しい? どっちの感情に近いかな?」
俺はユイちゃんの肩をポンと叩き、顔を寄せて様子を確認する。呼吸、瞳、表情の要素を組み合わせる。俺はヒールをする時みたいな診察をした。
「わけわかんないです。悲しいし、悔しいし、でもアストさんを独り占めできるし。頭がおかしくなりそうです」
ユイちゃんはギュゥと抱きつく力を強める。女性特有のふわふわとした身体と、花のような香りが、俺を何処かに連れて行こうとする。
(ダメだ、紳士的に)と俺は理性を総動員させ悪意の撃退に臨んでいた。
「……わたし、ダメな子かもです」
ユイちゃんはボンヤリと話す。ただ俺だけを見つめて、視線が依存する。
「……ダメだよ、ユイちゃん。これ以上はホントにダメ」
「アストさん……」スルスルと彼女の視線は俺の全身を通る。
彼女の意識は吸い込まれる。意識と感覚は溶けて、剥き出しの理性がそこにあった。『あの時以来の再会、王子様』女の子にとって、それはパンドラの箱。
──開けずにはいられない。
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