第28話 賞賛の吐息と降参の嘆き
「ふわぁぁあ。……退屈だ」
エレナとエレナの父親が剣術を訓練しているのを背景に、俺は大きな欠伸をする。
エレナの記憶の真っ最中、俺はもはや冗長的な映像に飽き飽きしていた。ついさっき、アストとエレナの感動的な別れを目の当たりにしてからというもの、エレナの記憶には剣術の訓練しか表れていない。
お父様は一度、剣を鞘に収める。
「エレナ、最後の爪が甘い。一撃一撃に魂を込め、相手を尊びなさい。それが剣士としての礼儀というものだ」
「それならお父様、最後にありがとうって言ったらいい?」
「そういうことじゃない。いいか、相手を心から信頼するんだ。この攻撃も、あの攻撃も、全てにおいて相手が上回る。そう常に心がけ、最後の一撃まで研ぎ澄ますことが大切なんだ」
「相手を信頼する?」
「そう、信頼だ。例えば──」
俺が地面に胡座をかいているそばで、なんとも哲学チックな話題が繰り広げられる。俺はもはや聞く意味なしと断じ、とある歪みについて考えを巡らせる。
それは過去と現在の記憶違いについて。さっきの場面、アストはお花畑に現れたカトレアに向かって『リーダー』と言った。納得いかない点はまさにそこで、どれだけ記憶を辿っても、カトレアがリーダーであったことすらないどころか、彼女と会った記憶がないのだ。
そして更に、エレナと出会った覚えもない。
つまりさっきの一場面。俺の記憶には全くない、エレナの中にしか存在しない記憶ということになる。
「エレナの記憶が美化されてるのか?」
俺は顎に手を当てて思考と回想に耽る。
人間の記憶が美化されるというのはよくある話。武勇伝なんて美化されまくった人工物に過ぎないし、人々もそうだと割り切って聞いている節がある。この記憶の世界も大方当てはまるだろう。
「だったら、一から十まで覚えておく必要もないか。フィクションとして楽しもう」
これが俺の結論だった。
ジュジュ!!と世界にノイズが走る。場面が飛躍する合図にも慣れてきた今日この頃、この間にお願いするのはたった一つ。
「どうか他の場面を見せてくれ……」
「やあっ! せいっ! とおりゃゃあ!」
「遅い、遅い、雑。やり直せ」
聞こえて来る声と、変わらない空気。今度もまた剣術の練習だった。
変更点はエレナの年齢が今に近づいていること。すらりとした腕や足、ちょうどよく引き締まった筋肉質な体。外見や雰囲気が今のエレナに限りなく近づいていた。
お父様は相変わらず。しかし髪の毛には白んでいるものもチラホラ。そんな極小な変化でも嬉しかった。
「はあっ、はあっ……」
エレナの呼吸は乱雑。時折「ゴホッ、ゴホッ」と咳き込んでいる。
「もういい、休憩だ」
お父様はそう言うと近くのベンチへ歩いてゆく。エレナも少し遅れてベンチまで。お父様は立っているが、エレナは構わずに座った。
「ほら、暖かくなっているとは言え風邪ひくぞ。」
お父様はエレナに大きめのタオルを被せる。
「ん、ありがと」
エレナは受け取ったタオルで体を拭いてゆく。顔から首、腕から足へと露出している部分をスリスリと拭く動作。陶器のような白い肌に日光があたり、思わず俺は「ゴクリ」と片唾を飲む。
その後お父様が破るまで、少しの沈黙が訪れる。
「それでお前、学園に通うんだって?」
お父様は遠くの山々に目を向けて言った。タオルを首にかけ、ドリンクを片手に持っている。
「通う予定よ、お父様には言ってなかったかしら?」
予定と強めにアクセントを入れたエレナ。彼女はお父様の反対方向に視線を向けた。
「初耳だ。まったく、こんな重要な話を隠し持っていたとはな。母さんが教えてくれたからいいものを」
「お父様には関係ないもん。それに私の決めたこと、ダメって言われても行くから」
「別に咎めてるわけではない。ただ、少し小耳に挟んだんでな。お前の生きたいように生きなさい」
「じゃあ、お父様聞いて?」
と、ここでエレナは改まる。お父様に体を向けて、赤い瞳を見開く。そして蛇すら足のすくむような眼光で次の言葉を綴る。
「私、回復学部に行くつもりなの。そこでいろんなことを学んで、将来はヒーラーとして生きて行くわ」
また流れる沈黙。しかし今回のは訳が違う。凍りつく空気とお父様の表情、太陽も場面を察してか雲隠れしてしまった。
お父様の手からドリンクが落ちる。まだ中身が入っていたのか、地面と接触する際にピシャリと響いた。
「お前が、決めたのか? 誰にも、命令されてないよな?」
お父様の声は震えている。たまに裏返るし、音程もテンポも凸凹。
「そう、これが私の行く道」
ヒュルリと吹く風が全身を撫でる。肌寒い。
「ならば、私のしてきたことは何だったんだ? お前に対して行ってきた、残酷な指導は全て無駄だったのか?」
「そうよ。そして今日から無くなるの」
あまりに酷い言い回し、お父様には同情する。愛娘の為、心を鬼にして行った修行が水の泡。親の心子知らずとはよく言ったものだ、現実にもそれをなぞった場面が登場しているではないか。
「そう、か。無駄だったか……」
お父様は怒りを露わにしない。むしろ落胆や後悔といった方向で、彼自身を責めているように見える。そして実際そうなのだろう。
ジュジュ!! ジュジュ!!
またもや合図。この場面の切り替えには、一切の干渉ができない。
「ちょっと早いって、この話まだ終わってないだろ。それに──」
融通の効かない世界はぐにゃりと曲がって一点に集まる。俺は抵抗もせずに飛ばされる。
ジュジュ!! ジュジュ!! パアンッ!!
バルーンが弾けるように世界が無くなって、俺は真っ暗な空間の中を猛スピードで飛んでゆく。ビュンビュンと空を切る音以外に何も感じない。
その空間には、重力と空気以外に何もなかった。そして突如光に包まれる。理解は出来ないし、抵抗もできない。俺はその光に突っ込んでゆくだけだった。
「……んた! アンタ! しっかりしなさいよ!」
朧げな意識の中、俺が仰向けだということと、誰かに揺さぶられているということだけ認識できた。薄く開いた瞼を貫通して入る光が日光であることも分かった。
「よかった! アストさん目覚めたんですね!」
俺を揺さぶっているのはエレナ、そしてエレナの声の反対方向からユイナの声がする。
ふわりと香って来る女子の匂いが、次第に俺を覚醒状態へと促し、後頭部に感じる柔らかさにも気づき始めた。俗に言う膝枕である。
「俺って、もしかしなくても生きてる?」
俺の言葉を聞いた二人は声にならない声と共に抱きついて来た。
寝そべっている状態でも見えた校舎の囲い、意識を失うまでと変わらない雲の量。どうやら中庭で気絶していたらしい。
「よかった、生きてた……。あんな事して、心配したんだから……」
「アストさん、ううーっ、今度こそ死んじゃったかと思いました」
そういえば全身がピクリとも動かない。そりゃあ二人に抱きつかれてるってのもあるけど、力すら入らないのは異常事態だ。
不思議なのはこれだけでない。全身に滞る疲労感と、何故か湧いて来る達成感、なんとも変なブレンドコーヒーだ。
「二人とも、何があったとか覚えてる? 俺、全然記憶がないんだよね」
我ながら、この感動的な空気に野暮な質問だとは思った。
「アンタ、よくやったわよ! すごい、ホントにすごい!」
「私、感動しちゃいました! 今日から弟子にして下さい、一生ついて行きます!」
「何したらこんなに賞賛されるんだよ……」
正に意味不明、不可思議、想像もできない。
そんな状況下、ついに「すーぅ」とエレナとユイナが同時に息を吸った。おそらくは全貌が語られるであろうその瞬間を、俺は固唾を飲んで見守る。
「「すきぃ、だいすきぃ」」
紅葉した頬、俺の体を這う手つき。艶やかな吐息を浴びせる少女。実は俺、この状態の女の子に覚えがあってだな。
「揃いも揃ってヒール中毒じゃねぇか!」
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