第48話 過去に秘めたる愛を語って

 天井には、先日のガキが張り付いていた。ユイナは俺の胸に顔をうずめて、「アストさん、いい匂い……」などと深呼吸を繰り返している。


「ようアスト、久しぶりだな」ガキはクルリと半回転し、机に着地する。


「お前、生きてたのか? いや、でも防御学は消滅して……」


 先日の記憶。俺がガキに貼り付けた黒点で、二人をちょうど殺した筈だ。


「にいちゃんは死んだ!」ガキは机の上に立って大声を出す。


「じゃあ、なんでお前は生きてんだよって話」


「にいちゃんは、俺を庇って死んだ……」ガキは机から降りる。


 そして俺の座っている向かい側に腰を下ろして、『今から話しますよ』みたいな視線を俺に向けていた。


「俺は防御学の始祖。名前は色々あるが、まぁ、にいちゃんからは『ユウ』って呼ばれてた」


「……ユウ」俺は記憶を辿る。


「俺とにいちゃんは、……いや、全ての始祖は、同じ日に誕生した。防御学、回復学、攻撃学の始祖は、同じ場所で生まれたんだ」


 始祖とは学問の源。彼らは技術、記憶、信仰など、様々な形で語り継がれている。現代における神様。


「で、俺が殺したのは神様じゃないってこと?」


「いや、にいちゃんも防御学の神なんだ。にいちゃんは防御学の記憶を守ってて、俺が技術を守ってる」


「へぇ、まだ防御学は残ってるんだ? 皆んな忘れてるのに?」


「……クソが」ユウはそう呟くと、懐からタバコとライターを取り出す。


 そしてユウは、慣れない手つきでタバコに火をつけ、何度もむせながら煙を吸う。その姿を兄に照らし合わせることなど、不可能に近かった。


「ゴホッ、ゴホッ。……俺はアカツキを守りたい。アスト、お前なら分かると思うが、アカツキの力は防御学を再建するのに十分すぎるんだ」


「防御学を守るとか言って、アカツキ先輩に酷いことするんだ?」


 俺は奥歯を噛み締める。


 偏見であり、ユウの考えを知ったわけではない。がしかし、俺の中では、アカツキ先輩に酷いことをするユウの姿だけが容易に想像できてしまうのだ。


「防御学がなくなって、職を失った人間が大勢いる。それに、俺の計画は、アカツキも快く引き受けてくれるはずなんだぜ?」


「その作戦とやらを聞かせてもらおうか?」


「ふっふっふっ……。いいか? 聞いて驚くなよ?」


「そういうのいいから、さっさと話せって」


──キュルリ


「──アカツキと子作りする!」ユウは机をバンッと叩いて宣言した。


「は? 何言ってんだお前?」


 俺はそれ以上の言葉は出てこなかった。本当に、本当に、ユウはきっと頭をおかしくしてしまったんだ。


「アカツキ先輩と子作り? 先輩と、お前が? プッ、ないない、絶対にない!」俺は机を叩く。


「まぁ言っとけ。アカツキも他の奴らも幸せにしてやるから、お前は引っ込んでろよ」


「つか、お前は神様だろ! 人間と子作りなんかしてんじゃねぇよ!」


「それ言ったらテメェは他の女と寝てるだろうが!」


「寝てねえよ! あれは脅されて仕方なくヤらされてんだよ!」


 俺たちの言い争いを止める者はいない。


「でもそうじゃねぇか!? あの女と楽しそうに寝てたって、アマテラスが涙ながらに話してたぞ!?」


「ばっ、そりゃあ、まぁ……。エレナとマリオン先輩は、俺が嬉しそうにすると喜ぶからな……。でも、脅されてることには変わりない!」


 健全な俺に、あの性欲モンスターと戦うなんて百年早いっての。たしかに日々絞られてはいるが……。


「……おいアスト、その話は本当か?」


 瞬間、世界、この世界は凍りつく。絶対零度、この言葉は比喩でもなんでもなく、限りなく現実に近い。


「しっ、シシリー、先輩……」俺はブリキ人形の如く振り返る。


 心なしか、俺の関節がギシギシと音を立てているような感覚さえあった。ちなみに、ユウも同様だった。アイツは両手を上げて、早々に降参のポーズを取っていた。


「お前、ユイナを弄んでるのか?」シシリー先輩の冷ややかな瞳。


その先には俺……ではなく、俺の首に腕を回しているユイナがいた。


「シシリー先輩、その、いつ頃からこちらに……」


「……『アカツキ先輩と子作り』などと、そこのガキが無礼なことを言った辺りからだ」


 シシリー先輩の視線は俺を貫通し、後ろのユウに突き刺さる。彼女の目も、表情も容赦をすることがない。


「すみません、アイツ、後で叱っときますんで。いやぁ、困ったもんですよ」


「おいアスト、俺を売るんじゃねぇ」ユウは小声で反論する。


しかし、彼の声はシシリー先輩に届かない。小声だし、当然ではある。


「お前、話を逸らすな」シシリー先輩は俺を指差した。


 彼女はゆっくり俺に近づき、腰に引っ提げていた剣を抜く。剣先を迷わず俺の首にかけると、冷たい息のかかる距離で再度質問する。


「ユイナとは、遊びだったのかと聞いている」シシリー先輩は俺しか見ない。


「遊び、というか、ユイナとはそういう関係ではなくてですね?」


「なら、どうしてユイナとヤった?」


「いやっ、そんな不埒な行為、するはずがありませんよ……」


「キスはしたのか?」まるで尋問するかのように、彼女は連続で尋ねる。


「しっ、してませんよ。ユイナとは何もないですって」


「そうか、キスはしたのか。だが何故ウソをついた?」


 しまった、シシリー先輩も魔力の流れが分かるんだった。この状況、この質問攻めは取り繕うことができない。


「記憶違い、ですね。もしかしたら、過去になんらかの事故で……」


「私を揶揄っているのか?」シシリー先輩の殺気はより強力になる。


 あの野郎……。俺は縋るようにユウの方を見た。しかし、アイツは既にいなくなっている。開いた窓、吹き抜ける風、どうやら逃げられたらしい。


「もういい、死ね。ユイナにとってお前は迷惑だ」


「いや、まっ──」


ザシュゥ!!


視界、天地は何処かに。


痛みはなく、出血もない。


視界の端に映った俺の首には、シシリー先輩の氷で膜が張られている。


それと、同時に懐かしい感覚。


──俺の意識は何かに吸い込まれてゆく






──ガサ、ゴソ


「二人とも、何してんの?」小さいアストが、馬車の中に入ってゆく。


 懐かしい、あれはパーティ時代に乗っていた馬車。俺と仲間達はあれに乗って、野を越え山を越え、時にはコンクリートジャングルを越え。


 まぁ今時、車に乗った方が遥かに速いのだが。


「ちょっとちょっと……」


 今の俺が馬車に遅れて入ると、そこにはアストと二人の少女が乗っていた。


「それ、俺たちの食糧だよ? 盗むつもり?」手前にアスト、腕を組んでいる。


「……お願い、少しだけ、少しだけだから」


 二人の少女は青髪、双子のように瓜二つで、髪の分け目くらいしか変化がない。そんな少女達はボロボロかつ痩せ細っていた。


「お願いします、私たち、もう三日も食べてないんです。お礼は、お礼はこの体で……」などと、小さい子供が宣う。


 アストと同年代に思える彼女達は、大きく見積もっても10歳そこら。そんな小さい子供が言うべきことではない。


「いや、別に食べたくないよ」ピュアな男の子、アスト君。


「ただね」とアストは続けて話す。


「こういうのは正面からお願いするものだろ? 俺たちパーティも悪い人じゃないんだから。それにきっと、他のパーティもそうだと思うよ?」


「キミは人生楽しそう……」右側に立っている少女はそう言った。


 声、雰囲気から察するに、彼女は過去のシシリー先輩なのだろう。消去法で左側に立っている少女はユイナ。互いに布のような服を着ている。


「楽しいけど、俺は仲間に恵まれてるだけだよ。なんてったってウチのリーダー、ギフテッドの俺を勧誘してくれたんだぜ?」


「キミもギフテッドなの!?」ユイナは嬉しそうに反応する。


「おう、俺は生まれつき、回復能力が以上なんだ」アストは自分を指差してそう言った。


「それなら! お姉ちゃん、私たちも……」


「ダメ、私達は足手まといになる」子供とは思えない言葉の重さ。


シシリーはそれでも、ポタポタと涙を流していた。


「……分かってるじゃん」馬車の外、入り口付近から冷徹な声が届く。


 俺を含めた全員がそこに注目すると、やはり、カトレア先輩は無表情で立っていた。彼女は無愛想な表情のまま、ずかずかと馬車の中へ入ってきた。


「アスト、その二人を追い出して」白衣のポケットに両手を入れている。


「でもリーダー、この子達、お腹が減ってる。かわいそう──」


「空腹だって証拠もない。その泥だって、何処かでわざと付けたのかも。アスト、こういう奴らには注意して接しないと」


 カトレア先輩はアストを後ろから抱き締める。その時の一瞬だけ見えた、至福の表情。それが唯一の人間らしさだ。


「違います、私たちは本当に何も食べてないの。……ようやく見つけた馬車なの」


ユイナはカトレア先輩に弱々しく抗議する。


「だったら、体で支払う?」


「「「え?」」」


アストを含めた三人は驚きのあまり変な声が出た。


「二人がアストの性処理をして、その分だけ食料を渡す。さっき言ってた、『お礼は体で』って話」


 カトレア先輩は残酷な提案を彼女達にぶつける。当然、ユイナとシシリーの表情は強張り、現実を見た様な絶望を醸し出す。


「ほら二人とも、さっさと脱いで」

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