第50話 薬も滴るいい男

「大丈夫だってばー! それに、もし変なことになっても私が責任取るし!」


チャポン、チャポン


 オリヴィア先輩の持っているフラスコが揺れる。中には見るからに怪しい液体、ピンク色の薬が入っている。


「遠慮しときます!」俺は椅子から立ち上がり、オリヴィア先輩から距離を取った。「それに、どうして俺なんですか!?」


「えー? そりゃあ、アスト君からいただいた、貴重な材料が含まれてるからに決まってんじゃーん!」


「俺から……いただいた?」寒気は俺の背筋を伝う。


俺は見える限り全身を確認して、欠損している部分がないか調べた。


 腕、脚、おへそ……。何よりも怖いのは、俺が全身を調べている間にも、オリヴィア先輩はジリジリと迫ってきているということ。


「どこだ? どこの部位を使った?」案外、体は広いということを知りました。


「つーかまえた!」オリヴィア先輩は俺に正面から抱きつく。


「さぁさぁアスト君! この薬を飲んでみて!」


 その言葉をオリヴィア先輩が言ったのち、彼女は表情を切り替える。言うなれば、母性やらなんやら。彼女は実に年上の魅力を放っていた。


「大丈夫。もし何かあっても、お姉さんが責任取るからね?」


「飲みませんって──ふがっ!」


 オリヴィア先輩は問答無用と言わんばかりに俺の鼻をつまむ。そして彼女は「はい、あーん」と優しく呟くと、トクトクと俺の喉にくだんの薬を流し込むのだった。


──数分後


「アスト君の、すっ、すごく……大きい」ゴクリとオリヴィア先輩は唾を飲み込む。


 はあっ、はあっ、と狭い部室に彼女の吐息が響き渡り、今にも俺の理性が崩壊しそうだった。


「しかもこの光沢……あんっ! 触るとビクってなるのね……」


「オリヴィア先輩、俺もう、我慢できない……」俺の呼吸も乱雑に。


「待って、もう少し、後ちょっとで書き終わるから」


 そう言ってオリヴィア先輩は速度を上げる。彼女は持参したスケッチブックに書き留めておきたいらしい。言い直そう、スケッチの速度を上げる。


「でもっ、もう出ちゃう」俺の股間は限界を迎えていた。


今すぐにでも、今すぐにでも、とはやる気持ちを抑えることすら不可能か。生理現象に、この世の人間は抗えまい。


「待って! ちょっとなの!」


「ごめんなさい! もう限界です!!」


──キュルリ!!


ビューン!


俺はトイレに駆けて行く。部屋を出る直前に聞こえた一言がこちら。


「……利尿作用が強いっと。これで完成!」


オリヴィア先輩の満足げな声を背に、俺は駆け出したということとなります。


チョロロロ


男子トイレ、俺とジャンゴは並んで用をすます。


「……なぁアスト」


「あ?」


「なんで上脱いでんだ?」


「そういう日なんだよ」


たっぷり沈黙が五秒ほど流れたのち、ジャンゴは再び口を開く。


「……なぁアスト」


「あ? 今度はなんだよ」


「なんで腹が黒くなってんだ?」


「そういう日なんだよ」


 俺の腹には正の領域に踏み入ったことを示す黒い穴が。最近はずっとついてる。まぁ、制約の反射を無効化できるし、デメリットもないしで、案外ほっといても良さそう?


「……なぁアスト」


「んだよ?」


「なんで羽が生えてんだ?」


「これは、あれだよ、そういう日なんだよ……」


「なぁアスト」

「なぁジャンゴ」


今度は同時に声を上げて、しばし沈黙が作り出された。


「「……」」


「「なんでオリヴィア先輩はここにいるんだ?」」


「ふふっ、アスト君、迎えに来たよー」


 俺とジャンゴのその後ろ。オリヴィア先輩は、あたかも当然であるかの如く男子トイレに侵入していた。


ジャーッ……


 俺たちは無言で男性器をしまい、手洗い場までスタスタと歩いていった。そこにある鏡には、やはりオリヴィア先輩の姿も。


カラン、カラン


 彼女は両手にフラスコを束ねて持っている。中身の色は多種多様で、しかしながら、当然色の種類に被りがない。


「アスト君には、いっぱい飲ませたい薬があるからね……」


オリヴィア先輩は鏡の中、俺方を向いてにこやかにそう言った。


「……じゃあなアスト。おれっち、今日は帰るわ」

「じゃあなジャンゴ、俺も用事思い出して……」


 俺とジャンゴの話だしは同時。そしてやはりここでも沈黙が場を支配した。チク、タク時間だけが無意味に過ぎてゆく……。


──ダンッ!!


沈黙破りの一言目、それは両雄が地面を蹴る音であった。


要するに、俺たちは男子トイレから逃げ出したというわけである。


「アハハッ!! 逃げちゃダメだよー!!」


ちなみにさっきから、常に一定の距離を保って、この声が聞こえて来るのだ。


「アスト! とりあえず逃げろー!」


「おいジャンゴ! 俺に逃げ場ってあるのか!?」


ジャンゴは少し黙った後、サングラスを光らせて提案した。


「図書室……図書室はどうだい!?」


「なんで図書室!?」


 長い長い廊下、俺とジャンゴは直進する。幸い、既にある程度下校時刻を過ぎていたためか、障害物となるような人は少ない。


「図書室には門番がいるんだ! 門番イザベルが! イザベル先輩が統括している図書室なら、たとえオリヴィア先輩でも暴れられないって!」


イザベル先輩! 俺の頭の中で、彼女は女神の如く現れていた。


「分かった! 図書室に行くぞ!」


 図書室、俺の脳内学園マップによると、今いるところから一つ曲がり角を曲がった先。近くもないが、遠くもない。


 そしてここらで曲がり角。コの字型の校舎において、唯一する減速ポイント。


「ジャンゴ! オリヴィア先輩は見えるか!?」


「ばっちし! ……でも結構近い!」


 一旦止まって、方向転換、そして走り出す。なんてやってたら追いつかれるに決まってる。たしかにジャンゴの言う通り近くにいる。俺はチラリと後ろを確認して察した。


「それなら……」


バサリ!


 俺は廊下ギリギリの幅で羽を広げた。曲がり角の部分は壁を蹴って、原則を最低限に。最悪追いつかれてもそのままホバリングって言う即席の作戦。


「ジャンゴ! 俺に掴まれ!」


「おっけー! アストの作戦に賭ける!」


そう言って、ジャンゴは俺の羽にダイブ!!


──あんっ


羽から全身に電流が伝わる。いや、電流のような快感?


スロモーション、ゆっくり、俺の視界は段々と地面に近づく。


ズサーッ!


 俺とジャンゴは羽ばたけず廊下に不時着。その後、カランカランとガラスがぶつかる音と共に、オリヴィア先輩の足が近づいてきた。


「ふふっ、二人ともつーかまえたっ!」


 ケラケラと笑う彼女に、疲労などといった様子は見受けられない。彼女からすれば、さっきまでのは茶番だっただろうに。


「……ワン、ツー、スリー!!」


 意外、ジャンゴは寝ている体勢から飛び上がり、まさかのオリヴィア先輩に反撃。彼は懐から短剣を取り出し、フラスコめがけて投げつけた。


ガキンッ!!


彼の奇襲は、たしかにフラスコに命中した。


しかしフラスコは割れない。


割れないどころか、短剣の方が折れてしまった。


「なにっ!? そんなバカな──どしゃう!!」


バンッ!


 空中、俺が瞬く間にオリヴィア先輩の蹴りがジャンゴに命中。そのまま吹っ飛ばされて、曲がり角の壁に激突。


彼、いつも打ち落とされてる気がする。


「ふぅ、これで二人きりだね?」オリヴィア先輩は俺に歩み寄る。


ジャンゴは廊下の曲がり角で気絶。


 それはそれは美しい様で、頭にピヨピヨと、ファイアーバードの雛が踊っているエフェクトをつけてやりたいくらい。


「あのオリヴィア先輩、ジャンゴを差し上げますんで、俺だけは見逃してくれませんかね?」


「だーめ! アスト君が飲まないと効果がわからないでしょ?」


「それに……」とオリヴィア先輩はバツの悪そうに言った。


「それに?」俺も呼応してゆく。


「それにね、この薬達、アスト君以外が飲んじゃったら死ぬの。分かんないけど、多分死ぬの」


「なおさら飲みたくないんですけど……」


「大丈夫! アスト君は死なないって、エレナちゃんが言ってたよ!」オリヴィア先輩は身を乗り出して言う。


 おいおい、俺ってお嬢様方のコミュニティでどんな噂されてんだよ。エレナさんの猥談からってんなら、話は早くて助かりますがね。


「死なないって、俺も薄々気づいてましたけどね。でもあれって、痛みはそのままなんすよ」


「麻酔とか打つ?」オリヴィア先輩は注射を持つジェスチャーをして言う。


「そしたらいよいよ、先輩のやりたい放題じゃないすか。麻酔も薬をやりません!」


「でもね、せっかく作った薬を飲んで貰えないって、結構悲しいんだよ?」


 オリヴィア先輩は顔を両手で覆って、シクシクと泣くように語る。十中八九演技なのだが、異様に悲壮的なのは、彼女の本音も混じっているからだろう。


「……情に訴えても俺は揺るぎませんよ?」


「それならいっそ、私が実験台となりますか……。そうだよね、死なないかもしれないしね……」


さらに悲しみの強度を増してくるオリヴィア先輩。なんだろう、俺はこの時点で、彼女に対して『かわいそう』と思いつつあった。


即落ち二コマである。


「……はぁ」俺は重いため息をつく。


「それじゃあ、まずはこの薬から……」


 オリヴィア先輩は紫色のフラスコ以外を地面に置いており、すぐにでも飲んでしまいそうだった。


「……俺の負けですよ」俺は地面に置いてある、適当な薬を取って飲み込んだ。


色は無色のやつ、比較的安全そうだったからね。


「あっ、それは……」


カシャン


フラスコが割れる音。俺の手から滑り落ちたもの。


遠のく意識の中、オリヴィア先輩の一言が俺の耳に届いた。

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