第19話 窮鼠、鎖骨を撫でる

「うぇっ!? あれカエルですか? あんなとこで放し飼いしないでくださいよ!」


俺の背中でユイナが苦言を呈している。


 ツンと薬品の匂い漂う生物室は横長の長方形。大体、サイクロプスが横になったらちょうど良く収まりそうだ。昼間でも薄暗い室内には長机が二列設置されており、手前と奥に分かれている。


ピョン、ピョン


 入ってすぐ見える長机の上には、大量のカエル。俺はあまり詳しくないが、何種類かのカエルが飛び跳ねていた。赤いやつに青いやつ、異様に手が長いやつとか、カラフルなのがキモさに拍車をかける。


「私、この部屋入りたくないんですけど…。隣の化学室にしませんか?」


「俺も同意見ですね。さすがにカエルがこんなにいると…」


「すっ、すみません! すぐ片付けますので! どうか見捨てないでー!」


 ピューンっとマリオン先輩はカエル達を捕まえて、部屋の奥にある水槽に入れてゆく。目にも止まらぬ疾風迅雷な動作に対して、カエルを捕まえて水槽に入れる動作は優しく丁寧だ。


「終わりましたー!」


マリオン先輩の手によって、ほんの数秒でカエル達はお家に帰った。


「ほー。やっぱりマリオンちゃんってA組の子なんですねー。私、マスコット的な存在だと誤解してましたよ」


「ユイナさん、頭から言葉尻まで失礼。エレナだったら殺されてるよ?」


 その言葉、俺の背中を盾にして言わないでほしいランキング、堂々の一位を飾りました。


「それがし、殺さないですよ?」


「ほら、マリオン先輩の一人称がまたブレてる。ユイナさん、これ以上はやめて下さい」


「はーい」


ユイナのいい返事を聞いた後、俺はついに生物室へと足を踏み入れた。


「それでマリオン先輩、今日の課題とやらはどんなのですか?」


 カエルのせいか、少し生臭い室内の奥に設置されている長机。中央辺りに俺とユイナが並んで座り、その対面にマリオン先輩は座っている。

 特にマリオン先輩は、俺との座高の差から必然的に上目遣いになるという現象のお陰で、『可愛さ』がいつもより二倍増量中だ。


「それがしの課題とはこれです」


と言ってマリオン先輩はカエルを懐からそっと机の上に置く。


「わあっ! 立派な『ど根性ガエル』だー! かわいいー!」


 ユイナがこうもテンションが上がっている理由は二つ。よくヒールの実験台に使うし、単純にクリクリとした目が可愛いこと。回復学の生徒からすれば、ど根性ガエルはマスコット的存在なのだ。


俺もパーティ時代はよくお世話になりました。


「こっ、この子を『ヒール中毒にならないようにヒールしろ』って教授から言われました」


「マリオン先輩本当ですか? 俺がざっと見たところ、コイツ外傷とか全然ついていないですよ…」


 ど根性ガエルの性質として、受けた傷が自然治癒しないというものがある。その性質を利用して俺達ヒーラーは実験してきたのに。


「その、一応、傷はここにあります」


マリオン先輩がカエルを裏返してお腹の辺りを指差す。小さなそこには爪で引っ掻かれたような痕。


「「わかるか!」」バンッと二人して机を叩く。


静寂な生物室。俺とユイナの怒気を孕んだ声がこだまする。


「じっ、実はこれ、私だけの課題なんです。私が単位の説得に行った時、教授に『最後のチャンスだぞ』って言われて出されたもので…」


「えー? マリオンちゃん、これ専門の人でもかなり難しいですよー? それこそ、アストさんくらいのヒーラーじゃなきゃ」


「うん。これは最初から単位あげる気無いですね。人間ならまだしも、この大きさのカエルなんてすぐに中毒になりますよ」


 しかも、ヒール中毒ならまだいい。マリオン先輩はA組だ。もし、このヒールによってど根性ガエルが『正の領域』まで踏み入ってしまえば、相当な騒ぎになる。


おそらく何人か死ぬだろう。


 しかしこれは最悪の想定であって、可能性はかなり低い。このサイズのど根性ガエルが『正の領域』に踏み入るほどヒールの威力でも、俺の全力ヒール三回分に値する。


「マリオン先輩、一回他の対象で実験しましょう。ど根性ガエルはその後です」


「でもこの辺に程よく怪我した実験台なんていますか? あの繊細な傷付け方、向こうもプロの嫌がらせ職人と見ましたよ。再現が難しいですね」


「それがしの為に…ありがとうございます」


 マリオン先輩の習性が大体分かって来ましたよ。一人称がブレている時は嬉しい時なんですね。


「いるじゃん」俺はユイナを指差す


「私ですか!? イヤですイヤです! 絶妙な怪我が一番イヤです! しかも傷つけるだけならアストさんだって…はっ!」


 ユイナは気づいてしまったようだな。俺の体は蘇生した五人とコンタクトしているという現状に。


「ちょっと引っ掻くだけだから。そんなに痛くないって。マリオン先輩の為にも協力してよ」


「わっ、私も綺麗に治しますから。…それとも信用できませか?」


 ここにきてマリオン先輩が情に訴えかける作戦へと移行する。これを天然でやってしまう所が末恐ろしい。


「ぐっ…なんて綺麗な瞳」


ユイナにも効いているようだ。可愛いは全てを貫通する。


「はぁ、分かりました。だけど傷の指定だけさせて下さい。アストさん、構いませんよね?」


「多少の違いくらいなら大丈夫だよ」


 俺は人差し指と親指で丸を作りユイナに示した。実験台になってくれるのだから、希望を聞かねば。


「──じゃあ、ここにキスマークをお願いします」


ユイナは制服を少し乱し、鎖骨の辺りをスリスリと撫でている。

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