第24話 白黒世界、認識できるパンツは二種類

モノクロの世界。


 視界とは相反して研ぎ澄まされる聴覚。ザワザワと木々の揺れる音や、呼吸音すら手によるよう。スンと鼻を鳴らす。草木の香りが気になる。


 俺の脳内にはあらゆる戦闘技術と魔法の詠唱が流れ込んできた。圧倒的な全能感。ただ、俺の意識は明確に存在している。


「意識は……あります」


「アスト、自分の名前言って? フルネームで」


カトレア先輩の声だ。一言一句聞き逃すこともなく、はっきりと聞こえた。


「俺はアスト・ユージニア。どうですか? ちゃんと言えてますか?」


「大丈夫。アストはアストだよ」


なんとも安心する一言。俺が狂っていないと、俺が俺であると確認できた。するとユイナが口を挟んでくる。


「アストさん? もしかして私のせいで──」


 抱きついていたユイナは不意に俺から離れる。そして動きの延長で俺の服を捲った。そこにあるのは、腹筋ではなく黒い穴。ウジウジと俺を喰らうその穴。まだ初期段階ということもありヘソくらいの大きさの穴。


「ひっ」とユイナは引き攣った悲鳴を上げた。


 怯えた目、震える口、荒い呼吸。その全てが恐怖を表す正しい反応。ほんの少しの罪悪感を覚えたのは俺の方だった。


「やっぱり。アストさんは入っちゃったんだ。私のせいで、私のせいで」


「ユイナ落ち着いてって。俺、まだ意識あるから」


「でも、苦しいですよね? 私のせいで、私のせいでアストさんに苦痛を与えることが嫌なんですよ」


「別に大丈夫だよ。俺はこの程度で苦しいとか言ってられない。だからさ、もう責任だと思わないでほしい」


「……アストの言う通り。アナタはむしろ褒め称えられるべき。オーバー:ワン、今が一番いいタイミング」


 カトレア先輩は校舎の方を指差す。そして大方、言いたいことは校舎についてではない。おそらくはその向こうにいるファイアーバードのことであろう。


「あのファイアーバード、今のアストなら倒せるはず」


 「確かに」と俺は内心でうなづいた。エレナだけだったら絶望的な対面だが、今の俺ならどうだろう。


 あの程度のファイアーバートなど、確実に勝てる。絶対に殺せる。ここで結果を残したら、『攻撃学部』へと移籍できるかもしれない。


 闘争心に油を撒かれ、着火剤はすぐ手の届くところ。ドーパミンの影響で、腹の激痛など気にならなくなった。


「俺もそう思いま──」


「ちょっと待って、納得いかないわ! カトレア先輩、こいつを戦場に向かわせる気!?」


エレナは大声で怒鳴った。


 腕を広げて抗議の意を表すエレナ。いささか大袈裟な反応だった。しかしその言葉の本質は俺に対する心配。多少なりともエレナに人間らしさを感じた。


「エレナちゃんうるさい。この状態はアストにとって希望になるかもしれないの。それがオーバー:ワン、アストのチャンスを潰さないで」


 しかし冷淡にカトレア先輩は否定する。腕を組み、冷ややかな口調。彼女はエレナの方へ一歩、足を踏み出した。


「チャンスって言って、それで死んだら元も子もないわ!」


エレナもカトレア先輩へと一歩踏み出す。


両者ひき下がらない。バチバチと火花が散る。二人の意見が衝突した。


「アストは死なない。いや、私が絶対に死なせない。……あなたにこれ以上の説得は必要?」


「私もです! 私だってアストさんを死なせたりしません! ずーっと、ずーっと回復し続けます!」


「なによ、なによ二人とも。そんなにコイツを殺したいわけ?」


 エレナの顔は引き攣っている。そして一歩、彼女は後方へと下がる。彼女の気持ちが揺らいでいるのが分かった。


「エレナ聞いてほしい。多分、俺たちヒーラーとキミとでは価値観が違う。理解できないのは当然だと思うんだ」


ヒーラーとアタッカーの価値観、命に対する考え方は違う。


 仲間に命を与えるヒーラーと、敵の命を削るアタッカー。どちらも対称的な立場であるからこそ、パーティには必要不可欠な存在。俺はそう伝えたかった。


しかしエレナは虚な瞳をしている。


「……じゃあアスト、絶対に死なないでね? もし死にそうになったら、私が殺すから、それまで死んじゃダメだよ?」


バイオレンスな発言。エレナも過去に深い傷を負っているようだ。


──ギャァァァァ!


音源は空。鳴き声とともに黒い影が中庭に投影される。


「ファイアーバード、やっぱり鳥なんだね」


 カトレア先輩が上を向いて呟いた。その瞬間、ドッシーンと着地音。地面も呼応して揺れている。


 三方向が校舎に囲まれている中庭。唯一の出口にはファイアーバードが鎮座した。モノクロの視界、着地と共に巻き上がった砂埃の中、奴の真っ黒な腹が禍々しく見える。


──ギイャァァァァァ!


「それじゃあアスト、頑張って」


そう言ってカトレア先輩は杖をギリギリと握る。


「アストさん、回復は私に任せて下さい!」


ユイナも自信満々。あのファイアーバートを目の前にして積極的な姿勢。


 俺も準備万端だ。一瞬の思考の中、使いたい魔法をピックアップ。戦闘技術もある程度確認できたし、ファイアーバードの倒し方を筋書くこともできた。


 俺はオーバー:ワン、相手はオーバー:ツー。破壊力の差は知能で埋める。とすれば十分な可能性。


「アスト! 私の指示に従いなさい! もし聞かなかったら死ぬわよ!」


エレナも戦闘体制に入った。


「いい? 私とアンタで右と左に分かれる。そしてアイツの腹を斬りつける。そしたらチェックメイト、私たちの勝ち」


「オッケー。じゃあ俺、ファイアーバードの左側行くからエレナは右側ね」


「指図するな! 私が左! アンタが右!」エレナは俺と逆の意見を出す。


「へいへい、分かりましたよお嬢様。俺が左ね」


 俺が「おっけー」と返事をした後、エレナはカウントを開始する。いち、に、とカウントアップされるごとに俺の集中力が増す。


 使う魔法は『ファイア』って決めている。あえての選択、妥協ではなく俺の為。どうにかあの時以来の『ファイア』に対する苦手意識を払拭したいからだ。


「さん!」とエレナが言った後、二人同時に飛び出す。


 地面蹴る感覚、頬をなぞる空気。俺はブツブツと『ファイア』の詠唱をしつつ走る。


ファイアーハードは俺の方を向く。奴は口を開く。


──ギャァァァ!


ボウっと炎が走る。俺の体を悠に殺せる炎。しかし想定内。


 右手を前方に突き出す。魔力が肩、肘、手首を通ってゆく。ビリビリと初めての感覚だった。そして供給を止めてこう叫ぶ。


「ファイア!」


 右手から出る火球。それは子供の頃出したものより遥かに大きかった。しかしそれも想定内。バンッと炎と火球がぶつかる。


爆風と爆音、それも一瞬。炎と火球はは跡形もなく消え去った。


砂埃の向こうでファイアーバードが首を傾げている。


「ははっ、俺の魔法とんでもねぇな。エレナ、後は頼んだよ」


 エレナがファイアーバードまで迫っているのが見えた。足並みを緩めずに突っ込んでゆく。


「どおりゃぁぁ!」


ここまで聞こえる声。エレナの必死さが伝わる。


ファイアーバードはエレナの方を見る。また口を開けた。炎がチラついている。


「させるかよ! ファイア!」


 距離にして数十歩分。エレナとファイアーバードの間に火球を飛ばす。またしても相殺。そしてこの精度。操作のつかないファイアではなくなった。


「おりゃぁぁあ!」


エレナは剣を振りかざす。巨大なファイアーバードの腹に剣を突き刺す。右から左へと走るように斬った。


──ギャァァァォ!


 苦痛に歪んだ鳴き声が耳をつんざく。校舎の窓がビリビリと震えている。大音波に中庭は包まれる。


「もう終わり」だと俺たちが確信した直後、ハッキリと聞こえた声がある。


「ちーたんに手を出すなぁ!」


マリオン先輩の声だと気づくには時間がかかった。


 彼女は空から降って来る。バサリと着地。マリオン先輩はフードを被り、ローブを着ている。両手で握る武器は大鎌。


──その姿は死神


 彼女はエレナの後ろへ移動する。たった一歩で到達。そのままエレナを掴んで持ち上げる。オーバー:ワンの動体視力でも追えない速度。


 次の瞬間、白い何かに視界がジャックされた。息苦しさも感じる。背中に触れる硬い感触。それは紛れもなく地面。


俺は仰向けである。顔全体に布が覆いかぶさったような感触。


──白い布?


誰とは言わないが、今日のパンツは白色らしい。

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