第6話 2回目の初対面
俺がヒーラーでなくなってから5日が経った。
その間に彼女たちとの接触は一度も無く、学園での日々を少し満喫したくらいだ。入学式は昨日行われ、形式的な行事がスタジアムで催され、後に制服が手渡された。
そして今日から授業が始まる。
俺は白のインナーに赤いネクタイをつけ、ブレザーに袖を通したら、鏡の前でクルリと回った。
「よし。異常なし」
俺は現在寮に住んでいる。
学園から支給された寮は家賃、光熱費、水道代無料で、さらに簡易的な家具も備え付けてある。ここまで至れり尽くせりだとむしろ疑心暗鬼になる光景。
俺も気になって職員らしき人に聞いて回ったが「無料です」の一言だけを突きつけられるだけだった。
怖いですね、後で内臓でもせびられるのかな?
そんなことを考えていたら、壁にかけてある時計が危ない時刻を指していることに気付いた。時計が「アスト、ヤベェよ」そう言っているような気がする。
時刻は家を出ると予定した時間を大幅に過ぎており、動きが自然と素早くなる。
「初日からの遅刻は最悪だっ」
カバンには教科書を適当に詰め込み、サッと鏡の前で寝癖をチェック。
朝食で使用した皿を台所に放置して、未来の自分に託す。部屋の電気をパチンと消す。玄関に置いていた靴の紐を結ぶことなく家を出た。
寮の構造はマンションと似ていて、廊下の先にエレベーターと階段があり、一階には広めのエントランスを有している。この最先端の寮は、居住者にいろいろと優しいのだ。
俺は急いでエレベーターの下ボタンを押した。
──ガチャ、バタンッ!
俺が走って来た方向から急に扉の開く音がした。
俺は反射的に首をその方向に向ける。
そこには赤髪でツインテールをしている女子生徒。下はスカートで、俺と同じ制服を着ていた。
エレナである。そんな彼女は現在パンを咥えて走る。
それはもう一心不乱に俺まで一直線だ。
「んー! ん!」
どうやら少女はようやく俺の存在に気づいたらしく、赤い瞳を見開いて急ブレーキをかける。
しかしながら、慣性の法則というものがありましてね。
その勢いをある程度保存したまま俺とエレナは衝突した。衝突する瞬間はスローモーション。ゆっくりと流れる映像では、エレナが俺に覆いかぶさってゆく。
──バーン!
俺の貧弱な体はなす術なく地面に倒れ、エレナはそのまま俺の上に跨るという体勢になってしまった。
誤解を生みかねない状態。唯一の幸いはこの時間帯に人が通らなかったこと。
しかしそれ以外にも問題があってですね。その、俺の腹部にエレナさんが跨がってるでしょう? そしたら重力で腹に負荷がかかるわけだよ。
「あのー、スミマセン。おも……ヴヴン、誤解されそうな体勢なのでズレていただけると嬉しいです」
あっぶねぇ、女の子に『重い』とか言いそうになった。
ありがとう神様、ありがとう本能。俺の急ブレーキはかかりました。
「あっ、ごめんなさい! つい前を見ずに走ってて。私、重いですよね、すぐにどきますから……」
エレナは上品な口調で謝罪したのち、俺の腹部から地面に両手を置き直して腰を浮かせた。猫を被っているのか、前回あった時と雰囲気が変わっている。
「はい。重いので、どいていただけますか?」
「……ふーん。やっぱり重いって言いかけたのね」
ピキーンと場の空気が一気に氷点下まで落ちる。
エレナは人を殺してしまいそうなほど俺を睨み、ピタリと動かなくなってしまった。怖くて怖くて体が震えてしまいます。まさに蛇に睨まれた蛙。
え? 俺、今なんて言った?
自然に口から飛び出した言葉を思い返すと、『重い』というワードがグルグル頭の中で回る。
言っちゃった?
あっ、この感じは言っちゃってるな!
「ちょっとアンタ!」と俺に跨るエレナが怒鳴ってきた。
「どこのクラス!? 怒らないから言って!」
『怒鳴る』って文字に『怒』の文字が入ってる以上、もう怒ってるんですよ。
「……スミマセン。思ってもいない事を口走ってしまいました」
「いいから! 怒ってないから!」
「怒ってますよね? クラス聞いて殺しに来ますよね?」
「コロサナイ! ワタシコロサナイ!」
だめだこりゃ。目の輝きがなくなってるよ。
なんか言葉もカタコトになってきてるし、もう怒りがマックスになってるでしょ? 下敷きになって動けんし、誰かが通るような予感もしない。
「ダイジョウブ。コロサナイ。ワタシコロサナイ」
「絶対に教えたくない! 教えない!」
マウントを取られ、身動きも満足にとれない。誰でもいいんで、この死ぬほど怒っているエレナをなだめる救世主を探しています。
──ポーン
エレベーターが到着した。一発逆転の一手は文字通り天から舞い降りる。
俺はエレベーターの到着を知らせる音を聞き、勝利を確信した。
俺のシュミレーションはこう。
条件として、エレベーターには人が乗っているとする。するとエレナとて、初対面の男とこの格好を見られるのは恥ずかしいだろう。人目があればすぐさま俺の上から離れ、お淑やかにエレベーターに乗車する。
つまり俺の勝ちだ。
スーッと片開きのドアはスライドされて開く。
少しずつエレベーターの中が見えてくる。
エレベーターの中には足が2本、一人分だ。この時点でホッと一息。
「──アスト、何やってるの?」
なんか聞き覚えのある声だった。落ち着いていて、大人しくて、透き通るような優しい声。
俺が見上げると、腰まで伸びた白髪の女子生徒がエレベーターに乗車していた。先日、病院でお世話になった人だ。
「あっ!」シャッとエレナは立ち上がる。
俺の想像通り、さっきまでとは異なってお淑やかに立っていた。想定外だったのは乗車している人物のみ。まぁ、誤差だよ、誤差。
「アスト聞こえてる? また鼓膜でも破ったの?」
「すみません、聞こえてます。えーっと。これは軽い衝突事故がありまして、たまたまこのような体勢になってしまいました」
「……じゃあ、何もない?」俺を見下ろす少女は呟くように聞く。
「はい。お互い大きな怪我はしてないです」
「そうじゃなくて……」と言って彼女は屈み、俺の耳に呟いた。
「エッチなこと、何もない?」
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