第5話 蘇生は記憶を喰らう

 スタジアムの天井に開いた穴には男が右手で掴まっていた。

俺たちが男を認識した時には、男は既にスタジアムの芝生に着地していた。

スーツを着て丸眼鏡をかけた男の風貌には、狂気を感じることはない。

凡庸な二十代後半の男にしか見えない。


ただ男が左手で掴んでる『者』が、俺を絶望に突き落とすだけだった。


──エレナ


 掴まれている彼女の体には下半身がついていない。そして俺たちは落ちてきた下半身のそばに立っている。

状況が繋がってできたストーリーは、どれもこれも考えたくないようなものだ。 


「あのー、アスト・ユージニアさんですか?ふふっ、これはほんの手土産です。このお嬢さんのことなら心配なさらず」


そう言って男はエレナを俺たちにドシャリと投げた。


「……エレナ!」


 俺は走って駆け寄った。ビチャビチャと踏みつけた血液が俺の足元を汚す。

地面に転がった彼女の目に光はなく、赤い髪よりも赤黒い血液に囲まれているだけだった。

俺は彼女の胸に手を置いて魔力を流し込む。


──ヒール・二人称


 よかった。なんとか上半身と下半身は結合した。

あとは祈るだけ。このヒールがギリギリ間に合っていることに賭けるだけ。


 血液はまだ新鮮だった、男がコッチに投げてくるまで血液が体外へ流れ出ていた。


よし、よし。きっともうすぐ目を覚ます。


瞳に光はない、ピクリとも動かない。


違う、間に合った。


呼吸もしていない、握っている手は冷たいまま。


違う、違う。それは俺が見ている幻覚だ。


 じゃあ何で動かない?俺は最強のヒーラーだろ?怪我人を何百人も救ってきたよな?その経験から分かるだろ?


 『手遅れになった人間』って。表面だけ綺麗な死体をつくったことだってあっただろう?その時と何が違うんだよ。

ほら、早く確認しなよ。


 そこにある手首の付け根に指を当ててみなよ。

脈なんてないんだからさ。


「……ねぇよな、そりゃそうか」ハハッと乾いた笑いが止まらない。


ただ目の前で、エレナだったものが横たわっているだけだった。


──ドシャリ


 俺の周りで聞き覚えのある音が聞こえた。

何かが芝生に倒れる音。ただ明確に鼓膜を揺らしてくる。


──ドサリ


 今度は左の方から聞こえた。

さっきとは違って何かが落ちた音も遅れて聞こえる。

何が起きているのかは知りたくない。


 俺はただエレナの死体を見つめているだけだ。周りの景色や惨状は俺にとっては関係……。


女のうめき声も聞こえてきた。


──ズッ、ズルッ


 何かが地を這っている。その音は次第に大きくなり、俺の方に近づいてきているのだと確信した。

現実が這ってくる。誰だ?


俺は意を決してエレナから視線を外し、音の鳴る方向を見る。いや、受け入れる。


 そこには両手でどうにか俺の方へ向かう少女。

髪の毛は青色だったはずだが、今は赤く染まっている。

見える光景はそれだけでなく、周りには胴体と下半身が散乱していた。

まだ少女は生きているがしかし、当然と言うべきか下半身は無く、触れただけで死んでしまいそうなほど弱っていた。


「ア、おゔっ・・スト・・・ゔえっ、たすけ・・・」


掠れた嗚咽混じりの声は長く続かなかった。すぐに少女は絶命した。


「いやぁ、すみませんね」俺の背後から声がした。


 振り返って目に入るは件の男。

頬についた血をポケットから取り出したハンカチで拭い、それが日常であるかの如くゆっくりとハンカチをしまう。


「これはね」と男は言って続ける。


「ワタシの趣味……いや、性癖なんです。こう、何でしょうね・・・人間が半分に割られて、必死に這っている姿は美しいんです」


 穏やかに、淡々と。昼下がり、自分で作ったサンドイッチを誰かに振舞っているいるような口調。

だがそれは時に狂気的で、彼の覗いてはいけない事実を知ってしまったような。


「お前が全員・・・殺したのか?」


 あたりに広がる水溜まり。そこに溜まるは誰かの命。

散乱する体、ピクリとも動かない。


「はい。ですがご心配なく。禁忌を犯すのはキミですから」


「……禁忌」俺はその言葉にピクリと反応する。


 禁忌とは、最後の最後に使う術。ヒーラーでもごく一部の人間しか知らないことだ。

ヒーラーの力を代償に蘇生をして、さらに制約もつくという術、禁忌。


「キミが彼女たちを助けるんですよ。方法なら分かるはずです。過去に一度試したことだって……おっと、これは言わない方が自然ですね」


男はわざとらしく口を覆う。


「なんでそんな事知ってんだよ・・・」


 俺はあの日、ドラゴンに全て奪われた日に禁忌の術を一度試した。

しかし成功せず、俺は孤独となったのだ。何度も何度も試した、期限まで何度も試したが、一度も成功しなかった。


──血液が足りなかったのだ


あの日は、ドラゴンのブレスで血液が蒸発してしまったから。


「アストくん、今日は十分血液がありますよ。そうなるように殺したので」


「そうやって理不尽に殺す人間が1番嫌いだよ」


 「ふふっ」と男は笑い、演説を始める。

男は手を大きく広げる。何かを崇拝しているのか、顔は天を向いている。目を見開き、全てを享受している。


「ワタシたちのような弱者は孤独に耐えられない!徒党を組まねばならない人間など淘汰されるべきなんだ!」


教徒と化した男は笑い狂う。


「何言ってんだ?」


 スタジアムの天井に開いた穴から光が差し込み男を照らす。

異常に眩い光は彼を包み込み、俺は薄めを開けて見守る。


「さぁ、禁忌を犯せ!『あの方』はそれを望んでいる!キミも本望だろう!?彼女たちとひとつになれるのだから!」


 男はそのまま地面を蹴り上げて、天井から出て行った。

するとさっきまで眩かった光もなくなり、スタジアムには静寂が訪れる。


──ヒール・三人称


 俺は少女たちの胴体と足を結合させる。これが最後の回復だ。

芝生の上には大量の血液と、綺麗な少女たちの遺体。

俺は遺体を並べて、素早く準備に取り掛かる。


シュッ、グチャリ


 その辺に落ちていた剣を拾い、それぞれの少女の心臓に突き刺す。

一人一人丁寧に心臓まで貫けば、後の手順は簡単だ。


俺は血に塗れた剣を自身の心臓部にあてがい、魔力をありったけ込める。


さらば、ヒーラー人生。





──目が覚めると、ベッドの上だった。




 ドクンドクンと心臓が鳴っている。どうやら成功したようだ。

しかしながら、もう回復能力が使えない事実もどこか本能的に理解する。


「病院か……。成功したんだな」


 周りを見渡すと、白いカーテンで仕切られたベッドに俺は寝ていたようだ。

この景色は数時間ぶり。ここが病院であることは容易に理解できる。


「目、覚めた?」


 シャーっと勢いよく開かれたカーテン。その向こうには白衣を着て、腰まで伸びた白髪の女子生徒が立っていた。

メガネをかけて物静かな雰囲気を纏う彼女はそう。

数時間前にも見てもらった、ヒーラーの女子生徒だ。


「私、ビックリした。あなたが運ばれてきて」


女子生徒は近くの丸椅子に座る。俺も「よいしょ」と体を起こした。


「心配をおかけしてすみません」


「あなたが無事ならいい。変な気を使わないでいいから」彼女はフリフリと首を横に振る。


「ありがとうございます?」


こういう時ってどう返事したらいいか分からない。


すると、病室のドアをスライドする音が聞こえた。


「皆んなお見舞いだよー!」オリヴィアさんの快活な声が病室を包み込む。


 ふと気づいたが、この部屋にはオリヴィアさん以外の4名も寝ているらしい。

向かい側のカーテンがオリヴィアさんによってシャーっと開けられ、エレナが中から顔を出した。


「エレナちゃん大丈夫?頭とか痛くない?お腹空いてない?」


「大丈夫ですよオリヴィア先輩。私ももうそろそろ退院出来そうなので」


「そう?ならよかった!」


 顔は見えないが、オリヴィアさんはいい笑顔をしているに違いない。

こんな調子で、オリヴィアさんは俺以外に声をかけて行った。


そして。


「あ!『キミ』も目が覚めたの!?よかったぁ、1番傷ついてたから心配したんだよ?はい、このリンゴ後で食べてねー」


 快活なオリヴィアさんを見るのは少し辛かった。

無条件の優しさは、彼女にとって俺は有象無象にしか見えていない証拠だ。


「ありがとうございます。それじゃあ」


「うん!体調には気をつけてね!」


──「オリヴィアさん」と言いかけたが自重した。


「リンゴ、よかったね」白髪の少女は優しく見つめてくる。


「はい。本当に暖かい人ですね」俺はリンゴを掌上で遊ばせて言った。


「知り合い?」


「……いえ、彼女は俺のことを知りません」


「ふーん」と少女は窓の外を見る。

窓の外では、ファイアーバードの親子が羽ばたいていた。


禁忌の術の制約 そのひとつ


蘇生された者は、蘇生をした者に関する記憶が無くなる。



──同日同刻


「はあっ、はあっ…。これで私にも救いが…。うぐっ、あがぅ」


 丸眼鏡をかけた男はアミューズメントエリアの路地裏にて、独り苦痛に悶えていた。薄暗い店と店の隙間、周りに人影はない。


「ゔぐぅ、コヒュー。だが、あの悪魔、との契約も果たした。私は、自由だ…」


男は路地の闇に向かって、ズルズルと体を壁に擦るように進む。

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