第26話 獅子にも赤子の過去がある

ヒールは反射の対象になるのか否か。俺は一人その問いと向き合っている。


 現在確認できている事象として、ユイナのヒール、カトレア先輩のヒールは反射されずに俺に作用した。そしてマリオン先輩のヒール。ただそれだけが反射され、結果彼女をヒール中毒へと誘った。


「マリオン先輩のケースだと、蘇生の有無が関係しそうだな」


 『唯一』ヒールの反射が確認できたマリオン先輩は、サンプルの中で『唯一』蘇生された人間。


「あとはヒールの威力とか?」


ひゅるりと風が抜けてゆく中庭、俺は腕を組んで悠長に思考していた。


 カトレア先輩のヒールは言わずもがなの一級品。ユイナのヒールも正の領域へ至るほどの高威力。それに対して、マリオン先輩のヒールは触媒を介してもヒール中毒レベル。


「ヒール中毒だと威力としては劣るよなぁ」


 俺は思考と独り言とを織り交ぜながら、ドンドンと深く考察してゆく。ここが戦場で、相手がアングリーな状態でなかったとしたらいい判断。


──ギャャャャォ!


俺の考察は鳥の鳴き声に掻き消される。


「ったく、考察中に割り込んでくるなよ。──ファイア!」


 火球とブレスがまたぶつかる。そして相殺、何度も見た光景だった。瞬間的に吹き荒れる風、舞う砂埃、ファイアーバードが傾げる首。


落ち着いた空気の中、背後で「ザッ」と音が聞こえた。


「おりゃあ!」


 反応が遅れる。聞こえたのはエレナの声であったことは確か。その認識をした直後、斬撃に被弾することは必然だった。


「アンタが強くなったなんて絵空事! カトレア先輩にも教えときなさい!」


 俺は振り向き、背中に傷を負いながらも、どうにかエレナから距離を取る。ヒュン、ヒュンと軽々しく音を奏でるエレナの剣。ビリビリと痛む背中、狂気的な笑みで俺に切り掛かるエレナ、その状況は俺にとって不可解なものだった。


「あはははっ! 私の攻撃、いつまで避けられるかな!? それっ! それっ!」


 俺は無我夢中で回避に専念していた。エレナの連続攻撃に対してはなす術がない。ただ回避をして解決の糸口を探すことに徹する。


「はぁ、はぁ」回避中、俺は呼吸するのに精一杯。会話での交渉がしたい。


「あはっ!? 死にそう!? 死にたい!? 私、アンタが死にそうな時は殺すって言ったわよね!?」


「いっ、てたような、気がするけど、そういう意味だったの?」


「どうだっていいわよ! アンタが死にそうなら殺すだけ、嘘でもなんでもないじゃない!」


「げほっ、げほっ」俺には答える余裕がなくなった。


──もうそろそろか?


俺は待っていた。唯一の勝ち筋、制約による攻撃の反射。


 しかしどれだけ時間が経とうともエレナに傷が入らない。反射は未だに発動せず、ビリビリと背中を駆け巡る痛みは健在だ。


「ほらあっ! 反撃くらいしてみなさいよ!」


 「っ!」エレナの攻撃が俺の腹を掠めた。そこにはオーバー:ワンの動力源、黒い穴も含まれている。


 このまま攻撃の反射待って無茶な回避を続けてもジリ貧。いずれは斬撃の餌食となってしまう。


足がもつれ、酸素の足りない脳は思考を放棄。もうそろそろ限界だ。


「ざーっこ! これでさっさとま・け・ろ!」


 エレナは一瞬攻撃を止める。剣を振り上げたまま静止。彼女自身が作り出した一呼吸。彼女の剣が赤く、鈍い光沢を放っていた。


 「はぁ、はぁ」俺は肩で息をする。ここから離れたいという精神に対して、ボロボロの体は動かない。


正真正銘、蛇に睨まれたカエル。


突如エレナは落ち着いた調子で言う。


「たしか、アストだったわよね? ここで殺すのも何かの縁よ、アンタの名前くらいは覚えといてやるわ」


 冷ややかな視線を俺に刺し、不敵に微笑むエレナ。勝利の美酒に酔いしれているのかは知らないが、艶やかな呼吸音と心音を刻んでいた。


「アスト・ユージニアだ一生覚えとけ」


 エレナの剣は無常にも振り下ろされる。俺の首を切り落とす一瞬、ヒヤリとした剣先の感触だけが異様にはっきりと伝わった。


──ザシュッ




突如現れた黒点、俺は中に吸い込まれる……。




「お父様見てください! 怪我をしていたど根性ガエル、私のヒールで直しましたの!」


 俺はとある部屋の中に立っていた。ふかふかのカーペットが部屋全体に敷かれ、装飾も煌びやか。そこは貴族の部屋だった。


少女の声、トテトテと木のフローリングを走る音。


 音の主はまだ幼い少女。赤い髪を二つに束ね、いわゆるツインテールという髪型。小さい体にピッタリなサイズのドレスを着ており、裕福な家庭であることは想像に容易い。


「あれ、もしかしてエレナか?」俺の声に誰も反応しない。


 俺は少女に見覚えがあった。その少女に重なるエレナの姿。口調や年齢、身長は違えども同一人物のように見える。


そんな少女(エレナ)は俺に背を向けて、『お父様』の元へと駆け寄った。


「エレナ、何度言ったら分かる。パパは攻撃学を学べと言ったんだ。ヒールなんて役に立たないお遊び、お前がやる様なことじゃない」


お父様の声は重く、エレナを説得しているようにも思えた。


「でもお父様? 私は攻撃学よりも回復学が好きなの。ほら、この子を治せるのは回復学だけなんですよ?」


ふふっと笑う少女の声は柔らかい。耳を撫でるように部屋に響いている。


「お父様知ってます? 回復学はゼロ点満点なんですよ。マイナスの人に手を差し伸べて、普段通りにすることが美徳。カッコ良く思いません?」


「はぁ、一体誰に影響されたんだ?」


「ふふっ、アストくんです。きっとお父様も彼に会ったら回復額が好きになりますわ」


 『アスト』と俺の名を呼ぶエレナに対して、お父様は頭を抱えていた。その理由はエレナのうっとりとした口調からで、男に陶酔した少女の説得に頭を抱えているようだ。



父親の苦しい心情は発言としても出てゆく。


「アスト・ユージニア、ついにうちの娘まで誑かすのか」


 ブツブツと独り言を連ねるお父様に対して、俺は「すみません」と心の中で謝った。


幼き姿のエレナとその父親。俺の記憶にない部屋での一幕。この世界を傍観しているような感覚と、俺を無視する人物。


 この状況から察するに、これはエレナの過去。そしておそらく、この中にエレナの不安定さを解く鍵が眠っている。


なぜエレナはヒーラーを目指さなくなったのか。


なぜエレナは人を殺したがるのか。


 場面は切り替わる。貴族の部屋から庭へ。ここはおそらくエレナの家にある庭で、エレナとお父様が剣を振っているのが最初に映る。


  エレナの年齢はぱっと見て十歳程度。しかし剣技はすでに至高と言い表せるほどにしなやか。それを軽くあしらうお父様が指導者なのだろう、時折大きな声を出してエレナを叱っている。


獅子であるエレナの記憶はここから始まる。

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