第34話 キスで思考は弾け飛ぶ

 空中を駆け回り、全てを薙ぎ払う。人々はその姿を厄災と恐れて、何百年と語り継いできた。


 しかし皮肉なことに、かのドラゴンは回復を統べる王。何度も人類を救ってきた回復技術の祖。


優しい概念の結合が恐怖の権化を生み出した。


厄災の名は『アマテラス大神』と言う。


「アマテラス……綺麗だね」カトレア先輩は『天照大神』を見て呆けている。


 ギラギラと照りつける太陽の元、俺を含めた八名を見下ろすのはドラゴンたった一匹。くだんのドラゴンを『アマテラス』と呼ぶがゆえに、更なる恐怖が降りかかっているのは言うまでもない。


「アンタ、綺麗とか言ってる場合? さっさと指示を出しなさいよ」


 エレナはカトレア先輩に遠慮せず言葉をかける。エレナが自前の剣を両手で握っているところから、戦闘に参加する意思が汲み取れた。


「焦らないよ、まずはアストをドーピングするところから……」


 カトレア先輩は淡々と話した後、俺の方を向き、ツカツカと歩いてきた。


「えっ、ちょっと。先輩!?」


 カトレア先輩は俺との空間をなくし、彼女のささやかな胸が俺の胸筋に触れる。それだけでは飽き足らず、カトレア先輩は俺の頬にヒンヤリとした両手を這わせる


「一番手っ取り早いのはココから……。大丈夫、気持ちいいから」


 カトレア先輩と俺の顔は距離を縮め、やがては唇と唇が触れ合う。瞬間、思考が真っ白になり、心臓が暴れ出す。


「はむ、れろぅ……。ん、ズズッ」カトレア先輩は唾液の交換に夢中だ。


 接吻が周囲に広がる。静かな水面に、石を落とした時のような揺れ具合で、ゆっくりと、しかし着実に現状を伝えてゆく。


「あらあらー」イザベル先輩は余裕そうな声だった。


 「はわぁぁぁ……。ボク、初めて見たよ……」アカツキ先輩の感嘆符は赤面を安易に想像させる。


「……穢らわしい」シシリー先輩からは冷徹な発言が飛んできた。


 しかし、シシリー先輩の声はクリアに聞こえる。違和感、後ろや横を向いていれば、多少くぐもって聞こえる筈だ。


──バサリ、バサリ


 アマテラスの羽ばたく音は一定だった。俺達を観察しているかのように変化がない。案外、本当にそうなのかも……。


「カトレア先輩ってば、大胆……」オリヴィア先輩は楽しんでいそうだ。


「私も……」マリオン先輩は気になることを口走る。


 女性陣の反応中も、羽ばたく音は悠々と聞こえる。しかし俺の五感は未だ、聴覚しか仕事をしない。


「ちょっとアンタ! アストが嫌がってるじゃないの!」


 エレナは怒り声と共に、俺の肩を片手で掴む。その力は凄まじく、ギリギリと掴む音が想像できるほど。


「なんで?」そんなエレナの行動に、さすがのカトレア先輩も反応した。


カトレア先輩は唇を離す。俺との距離感は依然と保ってはいた。


「アンタが淫らなコト、アストとしてるからよ」エレナは軽い口調で言い返す。


 いかにも冷静ですよも言いたげな発言だが、顔が真っ赤ではカッコがつかない。ここに居る女子は総じてムッツリなのだ。


「アストは嫌がってないし、今は大事な作戦中だから。……貴方は邪魔しないで」カトレア先輩はエレナを睨み、ゾッとするような覇気を纏う。


「じゃあ、勝負しましょう? アストに決めてもらうの。アンタと私、どっちときっ、キスをしたいのか……」


「いやぁ、どっちが良いかって言われても……」内心の冷や汗はドバドバ。


どっちを選んでも命が消えそうな質問に、俺が答える未来はない。


「……不毛」カトレア先輩は接吻を再開した。


「じゅるぅ、はぅむ……」


「離れろ! 離れろ!」エレナは強引に、俺達を引き離そうとする。


 びくともしない。俺が抗っているわけではなく、カトレア先輩が絡みついてくるのだ。そしてついに──


ズリュン!


 口内に侵入を許してしまった。するとどうだろう、カトレア先輩の舌から、大量の魔力が流れ込んでくるではないか。


「んー! ん、ん……」俺は魔力をコクリ、コクリと喉を鳴して飲む。


「そんな……。飲んじゃダメ! ダメ!」エレナは子供のような声を上げる。


 しかし流し込まれる魔力量は増す一方。ドクドクと全身に到達し、全ての細胞が喜んでいるのがよく分かる。


 カトレア先輩が行っているのは、粘膜からの直接ヒールという技術だ。これはいわゆるサービス的なもの。一通りのヒールをこなした俺でさえ、一切手を出さなかった。


「ぷっはぁ……。はぁ、はぁ。これで大体、オーバー:ワンってところ」


 カトレア先輩は唾液まみれの口元を拭い、乱れる吐息でそう言い放つ。世界がモノクロになっている時点で俺は察していたが、いつからなのかは覚えていない。


「ああ、アストが、汚された……」呆然とヘタリと座り込むエレナも白黒。


 ざわめく木々も、地面も、ここにいる女の子達も白黒。オーバー:ワンの全能感も味わい、いよいよアマテラスを視界に捉える。


「え? どうしてアイツ……」俺は空を見上げて、ボソリとつぶやいた。


 真っ赤な煉獄を連想させる鱗、フシュゥと口から湧き出る炎。違和感に満ちたその姿。


アマテラスは悠々と、己の紅を誇示し続けていた。


──ガルル?


「どうした? 私の姿に何か不満でも?」アマテラスは首を捻る。


「えっ? はっ? アイツの声?」


 突如として、脳内に響くドス黒い音声。それはアイツを象徴するかのような声。驚くほどにしっくりくる。


「王が直々に語りかけているのだ、返事くらいしたらどうだ?」


 アマテラスの威圧感、心臓すら冷え切ってしまう。喉元に手をかけられて、今すぐに殺されても不思議ではない、そんな感覚。


「ほうら、返事をせんか、アスト・ユージニアよ」


「……こっ、こんにちは」俺は震えてながらも、弱々しい声ながらも発した。


「ああ、こんにちは」アマテラスは空をグルリと旋回し、元の場所に戻る。


 理不尽な死を与える存在に、俺の士気は負の領域を突破した。対するは仲間の仇であった相手。俺はそいつに、ほんの数回の会話で精神から屈服してしまう。


「アスト、独り言……。どうしたの?」カトレア先輩は俺の顔を伺う。


「ああ、いや。なんでもありません」


 俺は何故か取り繕ってしまう。本当は怖くて仕方がないのに、自分の頭で考えた言葉が出てこない。


「分かった。何かあったら言ってね」カトレア先輩の視線は俺から外れた。


 その仕草は、俺の希望が絶たれたようでもあって、俺の精神は深い海の底に落ちてゆく。白黒の世界にも、どこか置いて行かれているような気がする。


「ハハハッ、その娘には世話になってな。私も手荒な真似はできんのだ。だからどうだろう? お前の命と引き換えに、ここにいる娘達全員の命を担保するというのは」


「わっ、かっ、たっっ……」口が思うように動かせない。


 まるで俺の体ではないような、神経がそこに伝わっていないような不快感がそこにある。


「何だ? 何を言っておるのか分からんぞ? もういい、この提案は無しだ」


 この時点で、俺はコイツに操られていることを察した。どこまで支配の領域が広がっているのかは不確か。最低限、口の動きはどうにもならなかった。かと言って、全身の自由が奪われているわけでもない。


どこかに明確な線引きがあるはずだ。


「ハハハッ」とアマテラスの乾いた笑いが脳内をこだまする。


 アマテラスに踊らされている俺。なんて惨めな人間なんだ。そんなふうにイラついても、俺は下唇を噛むことさえできない。


「これはほんの挨拶だ……。私の力を失った、哀れなお前に受け止めてもらいたい。無論、受け止めなければどうなるか──」


 上空、アマテラスは火球の準備段階へと移行していた。ファイアーバードのものとは比べ物にならない熱と大きさ。かつての仲間を葬ったその一撃が、もう一度降り掛かろうとしていた。


「皆んな! 俺から離れないで!」俺はファイアの詠唱を開始する。


 アイツの情けか、気まぐれか。突然、俺の口が自由になった。この隙に女の子達を誘導し、俺の影へ。更には詠唱付きの全力ファイアを構えて、アイツの火球を相殺する準備を。


俺は余すことなく魔力を右手に集中させる。


「発散する魔力を一点に、交錯する思考を一点に、己の終着点を創造しろ……」


 ギュルギュルと逆流する魔力を、右手の手首を左手で押さえる。右手の血管は浮きでて破裂しそうだ。それでもなお、魔力の装填はやめない。


「魔力の流れを繊細に、指の先ではなく掌から……」


 じんわりと熱くなる掌。すでに頭は焼き切れてしまいそうなくらい集中している。呼吸も忘れて、時間も置いてゆく。


ただ一点をイメージして、その間にある全ての障壁を取り崩す。


「収束、縮小、超重力……」


 ポタリ、ポタリと汗が零れ落ちる。そんな音にも集中し、神経をたった一つの線に繋げる。


「頼む、耐えてくれ!」


──ガルォォォォア!!


──ファイア!!

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