第37話 オーバーヒールの代償

パァン!!


頬がジンジンと痛い。


 森を抜けて山道に出た瞬間、真っ先に向かってきたのはエレナだった。俺を見るや悲しみ貼り付けたその少女。しかし、その後の行動が奇怪で、彼女は俺の頬を叩いてきたのである。


「アストの馬鹿野郎! なに乗っ取られてんのよ!」俺はその言葉に困惑した。


 よく見ると、彼女の赤く腫れた瞳からポロポロと涙が溢れている。だが、頬をつたい重力のままに滴る涙の理由は、俺に理解できないことであった。


「……ってぇ。は? お前何してんの?」痛みと理不尽さで俺の頭に血が昇る。


痛みで熱くなる頬をよそに、思考は怒りへと変換される。


「なんでいきなり叩くんだよ」俺の口調も語気も強くなった。


「アンタが、うぐっ、死なないからって、攻撃を全部受けたから……」


 エレナは目を擦りながら説明をした。彼女のその姿と動きに年齢などあらず、まるで、泣きじゃくる子供と会話をしているような感覚に陥ったのは内緒だ。


「たしかに覚えてるけど、何ともなかったじゃん。俺はそのまま──」


 そういえば、ここからの記憶が欠落している。どう辻褄を合わせても今の状況に至るプロセスが導き出せない。


「そのまま……。あれ? そのままどうしたんだっけ……」


「アストじゃなくなって、えっぐ、わたし達を襲ってきたのぉ」


「俺じゃなくなる……? 俺以外の人間になってたってこと?」


「ちがう、アストの中に知らない人が入ってたの」


「なんだそれ……」どうやったって理解できない。


俺の中に、誰かが入ってみんなを襲っていた? 


「あり得ない。もしそんな現象が起きたなら、どうして皆んな無事なんだよ」


 「みんながアストの中の人を倒した……から」なぜかエレナの目線が弱々しくなった。


 さっきまでの悲しそうな瞳とは異なり、彼女の揺れる赤い瞳は心底怯えている。俺と目が合った矢先の変化である。


「皆んなって、カトレア先輩たちのこと? あの時の俺、オーバー:ワンとかだったから、滅茶苦茶に強いよ?」


「ふっふっふっ……。私達を舐めてもらっちゃあ困るよ。アスト君くらい、ヨユーで仕留められるんだからね」


 トントンと背後からオリヴィア先輩が肩を叩く。ふと見えた、肩に乗っかっている彼女の右の手。そこに付着していた微かな赤いシミが戦いの結果を語る。


「オリヴィア先輩、もしかしてその、手についてる赤いのって……」


 俺は申し訳なく思い、彼女の方を振り向いて、ポケットからハンカチを取り出した。


「そうだよ? 君の血液、ふふふっ。ああ! 拭こうとしちゃダメ!」


 俺がオリヴィア先輩の右手にハンカチをあてがう前。オリヴィア先輩は慌てた様子で手を引っ込めた。


「どうしてです? 汚いじゃないですか」俺は彼女の顔を見上げる。


「汚くない、汚くないから。むしろ……ジュルリ」


 そこはかとなく顔を赤くしたオリヴィア先輩。俺の血を見て、舌なめずりをしてしまった。悪寒が俺の背中の中心を駆け抜ける。


「やめて下さいよ?」ナニかに対する禁止を命じた俺。


「やめないよ?」オリヴィア先輩は首を傾げて、俺から数歩離れる。


「さすがに血はダメですって」俺は数歩オリヴィア先輩に近づく。


 ジリジリ、ジリジリ、謎の間合い。ほんの十秒程度の睨み合いの末、仲裁ではなく、別の話題をカトレア先輩が掲示したところで終止符だけ打たれる。


「あっ、アマテラス大神、帰ったみたい……」


 カトレア先輩は空を見上げて、とんでもない事を話した。絶望的な相手が、相手から帰宅するなど不可解を通り越している。


「見間違いじゃないですか?」俺も空に視線を移す。


 いない、いない、羽ばたく音も聞こえない。上空は茜色に染まっているが、くだんの赤いドラゴンが見当たらない。


「本当だ、なんで帰ったんですか?」俺はカトレア先輩に視線を戻す。


「……分からない。魔力を消費し過ぎたようにも見えなかった」


 目を閉じて、あからさまに考えているカトレア先輩。普段とは違い、人間らしさを感じた。風にサラサラと揺られる髪も現実的な部分を強調する。


「それはね、私が虫除けの魔法をかけたからだよ」


 山道の脇にある森から声が聞こえた。烏のようなしゃがれた声に、弱々しいシルエット。斜陽に照らされた姿は高齢女性というしかなかった。


「「「「「「「学園長!」」」」」」」


 異様、異質、なぜか一同の声が揃う。一同の視線も一点に集中し、ゆっくりと状況を飲み込んでいた俺だけがはみ出し者だった。


「はい、ごきげんよう、私の可愛い生徒達」


 いつかの日と同じく優しい声。しわの寄った顔と、薄く開いた瞳。根幹を成す部分は力強く、表面は弱々しい老人。そんな学園長であった。


「学園長、ご無沙汰してます」カトレア先輩から会話の続きが始まる。


「久しぶり、カトレア。怪我はないようだねぇ、それに、あそこの坊やも……」


「はい、おかげさまでございます」カトレア先輩は深々とお礼をする。


 さほど珍しくもないはずの光景だが、カトレア先輩というスパイスが加わるだけで、何か不思議な感覚を味わった。


「ふふっ、頭を上げなカトレア。お前に感謝したいのは私もだからねぇ。どうもありがとねぇ」


「身に余るお言葉です」


 俺はカトレア先輩と学園長との絶対的な上下関係を知ってしまった。それは中々にリアルで、複雑で、心の中がモヤモヤとする。


「すみません学園長、アカツキです。先程の魔法というのは、いったいどのような魔法なのですか?」


 アカツキ先輩が少し学園長に近づいたのち質問した。ここにいる全員が知りたかったことのようで、シンと辺りは静まりかえる。


「あぁ、あれかい? 言葉のまんまさ、大きな虫が飛んでたもんでね、ちょっと脅かしてやったのさ」


 そう言って学園長はいたずらに笑う。あのアマテラスを虫と言い、果てには脅して退けるとは。やはり、今更ながら学園長の底知れなさに感嘆する。


「なるほど、ありがとうございます。学園長のお言葉、勉強になりました」


「なーんも教えたつもりはないけど、そういうことでいいよ。まったく、アカツキは律儀な子だねぇ」


学園長は、杖をトントンと地面に当ててそう言った。


「ほうら、もうこんな時間、早く学園に帰りなさい」茜色の空を見て学園長は催促する。


「えっ、と。学園長、俺たちここに飛ばされて、帰り道分かんないんですけど」


「ええー?」学園長の顔がムムムッと強張る。


 地雷を踏んだ。死にました。俺の脳内にハテナを幾つ並べても、学園長の心は変わらない。


「あの、すみませ──」


「ふふっ、そりゃそうだよねぇ。だって私がテレポートさせたんだから」


「良かったぁ……」心の声がダダ漏れである。


「ようし、皆んな集まりな、出来るだけ面積を少なくしておくれ」


 その言葉を聞いて、オリヴィア先輩以外の全員が動き出す。彼女を含まない形で団子ができた。


「ああー! すみません学園長!」オリヴィア先輩は手をあげている。


「どうしたんだいオリヴィア?」


 学園長は団子の側に立っていたため、低身長ながらオリヴィア先輩の方を見ることができる。


「ちょっと森の方に忘れ物しちゃいましてー。走っていくんで取ってきていいですか?」


 ちょいとオリヴィア先輩が指差す方向は、俺がさっき出てきた方角だ。少し森が簡素になっていて、比較的簡単に出入りが可能である。


「構わんよ、出来るだけ早く取っておいでねぇ」学園長は間伸びした声で綴る。


 やはり優しさの塊。誰一人として蔑ろにしない姿は、俺の理想とする大人の典型例であった。オリヴィア先輩も心なしかホッとしたような表情をして、森の中へと消えていった。


「お待たせしましたー!」意気揚々、気分も上昇、快活少女。


 オリヴィア先輩は両手いっぱいに袋をぶら下げて帰ってきた。エコバッグの中身はよく分からないが、パンパンに膨らんでいる。


「あらあら、ちょっと苦しいわね」イザベル先輩も根を上げるほどの人口密度。


 「ほら、マリオンちゃん。ボクの方に寄って」そう言ってアカツキ先輩はマリオン先輩を後ろから抱きしめる。


 「ぐすっ、えぐっ……」情緒の帰還していないエレナは、俺の上半身に抱きつく。いつからか俺は上の服を脱いでいた。ゆえに扇状的な光景とも言えた。


「……」シシリー先輩は不快そうな顔をして俺に寄る。


「アストの背中、あったかいね」スリスリと背中をさするカトレア先輩。


 俺がこの輪の中心に配置されたのは、倫理的におかしいと思います。上半身裸の男を取り囲むように女の子が群がるこの情景。見る人が見たら通報案件であります。


 キュムッとオリヴィア先輩が輪の中に入ると、「準備はいいかい?」と学園長の陽気な声が聞こえてきた。


 その後はいつものように、光に包まれると視界が悪くなる。この世界の七不思議の一つ、テレポートと改造の演出が同じである理由も、いつの日か解明されるだろう。


 オーバーヒールの代償、それは己を見失うこと。本能が研ぎ澄まされるという代償を支払い、絶対的な強さを手に入れる。正の領域に踏み入った、超越せし者の末路なんて、碌なもんじゃない。


さぁ、学園に帰ろう。


──第二章 オーバーヒールの代償 完

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