第10話 エゴと欲 

「──え?」エレナの困惑した声


 俺の背後から聞こえた肉を切り裂く音。エレナの体に循環していた血液は、俺の背後から覆うように頭上を飛び越す。

 半信半疑で臨んだ賭けが成功したと共に、エレナの肉声が鼓膜を突き刺した。


「ごめん……」俺はクルリと半回転して倒れてくるエレナを受け止める。


 エレナの背中にできた痛々しい傷は丁度エレナの攻撃一回分。つまり他の4名に分散されることなく、エレナが俺の傷を被ったと言うわけだ。


「後はこれを……」


 試したいことがあった。俺はおそるおそるエレナの出血箇所に手を添える。


 それはこの数日間で考えてきた回復の方法。ヒーラーとして生きてきた俺ではまず思いつかなかった技術。改造を施す。


 「ちょっとアストさん? 何しようとしてるんですか?」いつの間にか隣にユイちゃんが杖を持ってスタンバイしていた。


「──ゴクリ」しかし俺は喉を鳴らすだけ。


 別に構わない。極度の集中状態に入ってしまえば、ユイちゃんの静止など気にならなくなるだろう。


 「すぅーっ、ふぅー」俺は呼吸に全神経を注ぎ込み、世界から抜け出す。


 額から滴る汗、水分の無くなった口内、エレナの傷に触れた指先はぬるりと湿る。このまま、このまま、失敗は許されない。


「ふぅーっ、ふぅーっ」俺は魔力をゆっくりと指先に込める。


 失敗したらどうなるだろう? エレナが死んで、いや、制約で俺が死ぬのか? 成功したら傷が癒え、失敗したら俺が死ぬ。自己責任で自己負担。


なら大丈夫か。


 ──プツン


「アストさんやめてぇぇ!」ユサユサとユイちゃんが肩を揺らす。


 俺の頭にかかっていたモヤが一気に晴れて、世界に引き戻された。


 青い空、足首をくすぐる雑草、頬に沿って抜けてゆくそよ風。


 空色の長い髪を頭の後ろで一つに結んだ少女が、目の前で涙を流している。涙でキラリと光る頬は紅葉し、俺の意識は空をそのまま閉じ込めたみたいな瞳に吸い込まれる。


 ──あと少しで俺は


「ありがとう。ユイちゃん、本当にありがとう」俺の魂がそう言っていた。


「間に合いますからぁ。私のヒールで間に合いますからぁ」


 そう言ってユイちゃんは泣きながらエレナの傷に手を当てる。ゆっくり、ゆっくりとだがエレナの傷は癒やされ、俺はただその光景を見るだけ。

 しばらくしてエレナの出血が無くなり、切られた制服の隙間から彼女の陶器のような白い肌が見えるようになった。


「よし、ここなら日焼けしない」


 近くに木が一本生えているのに気づいた俺は、エレナを背負って木陰に移動した。そしてエレナを俺のブレザーの上に寝かせて起きるのを待っている間。ようやく質問する。


「俺が『ヒール』をしないって、なんで分かったの?」


 ユイちゃんは両足を両腕で抱えてポツポツと話してくれた。


「私たち姉妹は、昔から魔力の流れが分かるんです。だからその人がどんな魔法を使うとか、どんな魔力の込め方をしてるとか、いろいろ予測できるんです」


「ユイちゃん、『ギフテッド』なんだね」


 『ギフテッド』それは彼女にとって重い言葉かも知れない。俺はあえて、そう言いたかった。唯一の仲間との出会いだったから。


「俺も昔からそうだよ。ユイちゃんみたいな能力ってわけじゃないんだけど、回復能力がイカれてたんだ」


「ふふっ」隣に座っている彼女の頬が緩む。


「やっぱりアストさんも『ギフテッド』だったんですね」


俺はそれを横目で流し、空を見上げて話を続ける。


「そうそう。それで周りから孤立しちゃってさ。『コイツに触れるとゾンビになっちまう』とか言われて、街から追い出されたんだよ」


 『ギフテッド』、授かってしまった子供たち。俺たちは理解のない人間からは差別され、救いを求める人間のエゴに振り回されてきた。


俺は呪いだと思っている。


「私たちは『心の中を覗かれてる!』って近所の女の子たちに言われてましたね・・・。それで姉妹を気味悪がった両親に捨てられました。それ以来はお姉ちゃん以外、誰も話してくれないんです」


ユイちゃんは微笑みながら話している。

 

 俺は彼女の理解者になれているだろうか、彼女は俺の理解者になるのだろうか。俺の中でエゴと優しさは入り混じり、欲と理性は殺し合う。


「でも」と言ったユイちゃんはもっと笑顔になった。


「私達はあの日、あの人に出会ってから救われたんです。ほんの数時間くらいでしたけど、私達は孤独から解放されたんです」


「……」俺は黙って彼女の話を聞く。


「それで、最近までその人を探してたんです。『私』を救ってくれた王子様をずーっと探してたんです。『彼に』もう一度会ってお礼を言うために……」


 ザワザワと頭上で木が風に揺られて音を奏でる。地面に生える名もなき草たちも奏でる。ただ、ユイちゃんの言葉を阻害することはなかった。


「だから私達は必死に勉強して、姉妹そろってこの学園に来たんです」


「なんで?その人が学園にいるってこと?」俺は思わず口を挟んだ。


 だってその人とこの学園との因果関係がイマイチ分からなかったから。それと単純にもっと知りたいと思うから。


「いいえ」とユイちゃんはフルフルと首を振る。彼女の後ろで纏められた髪も同時に右往左往していた。


「彼はその先にいるはずでした。『ヒーラー』として最前線に立っていた彼に私達は追いつきたかったんです」


「でも」とユイちゃんは逆説を展開する。


「もう追いかける必要なんてありませんし、お礼なんてどうでもいいです」


 もっと複雑になった。話の内容に理解が追いつかない。ユイちゃんと彼女の姉は『王子様』に礼を言うために学園に通っている。

 

 だけどもう『お礼なんてどうでもいい』らしい。


「どうして?」俺はたったこれだけしか聞くことが出来ない。


「私だけ、もっと欲が出てきました。だって──」


 気がつくとユイちゃんは俺の正面まで近づいていた。


 そっと彼女の両手が俺の肩に触れる。そのままゆっくりと力を込められた俺は、彼女に抗うことなく雑草の生えた地面に背中を預けた。


 彼女は俺に跨り、俺のお腹に両手をそっと置く。荒い呼吸音は俺のものではない。目の前にいる雌から発せられていた。


「アスト久しぶり……。覚えてる?『ユイナ・クリフォード』だよ」

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