第32話 あの日からの追跡者
「ぐぐぅ、この回復力……ポーションに何したんですか」
せまっちい部室の数少ない床。仰向けになりつつも、俺は意識を堪えて質問する。声は弾け飛びそうな四肢の痛みに歪んでいるし、なんとか捻り出した怒りを弱々しくも伝えている。
俺の上で跨るオリヴィア先輩は意外そうに目を見開いた後、右上あたりを視線だけで見て思考する。
「入ってるものは、えーっと……」
オリヴィア先輩が指折り数えること数回。いろいろと飛び出る固有名詞の数々はよく耳にするものばかり。つまり、いくつか列挙された内容物はいずれも俺の想定していた危険物ではなかった。
「……あと、サイクロプスの目玉を粉末にしたヤツを少々入れたよ」
「ぐぁぁ、おかしいですね、それなら、ぐぐぅ、こんな薬にな、らないと思うんですけど……」
「うーん、そうと言われてもなぁ」オリヴィア先輩は頭を捻る。
あの薬、たしかにポーションとしての効果はあった。格段に市販されているものより早く回復する。副作用としては、傷を凌駕して響く痛み。これが全く釣り合っていない。
「あっ、アストくん大丈夫? よかったら私のヒールでも……」
「ぐぐぅ、すみません。俺にヒールって効かない──」
マリオン先輩がそう言ったことで、今の重要課題を思い出した。そもそもこの傷の原因、エレナもしくはシシリー先輩が戦闘中であることだ。
俺はどうにか声を振り絞る。
「ヒールよりも、いまっ、どこかで戦闘が行われてます。ぐぐぅ、皆さんの力がないと、おそらく、死人が……」
「アスト君、急にどうしたの……ってきゃあ!」
ガバッと全身に力を入れて起き上がる。上に乗っていたオリヴィア先輩が軽く尻餅をついたが、俺の痛みに比べれば些細なもの。あまり気にしなかった。
それと同時に気づいたことが一つ。このポーションの副作用は、動くことでその部位の痛みが治まるらしい。
「あっ、アストくん? なんでそんなに暴れてるの?」
「このポーション、動くと痛みが引くんですよ」俺はその場で小走りを続ける。
「なるほどなるほど……副作用は動くことで緩和っと」
オリヴィア先輩が物騒なメモをとっていた。願わくば、俺以外にポーションの犠牲者を増やさないでいただきたい。
──ドゴーン!!
何処かからくぐもった戦闘音。この部屋にある唯一の窓が小刻みにビリビリと振動し、些細に床も揺れた。
「なーに? オリヴィアちゃん、もしかしてアストが言ってることってホント?」
文字に起こすといつも通りなイザベル先輩の声も、今回ばかりはシャープに聞こえた。彼女は窓をガラリと開けて周りを見渡す。二、三回首を動かして周囲を見て、スッと音を立てずに振り向く。
「イザベル先輩どうでした? やはり戦闘が……」俺の質問はここで終わる。
「来てるよ、ドラゴン」
空間は凍りつく。俺の全身に冷や汗と四肢の痛みが張り付く。しかし俺には気にする時間も余裕も全くなかった。
──バサリ
少し開いた窓から、羽ばたく音が顔を覗かせる。俺たちをギョロリと見つめるその『音』だけで十分。恐怖なんてすぐにやって来る。
「どっ、どど……」
もはや誰が発したのかも知らない、震えている肉声。ドラゴンの強さを重々承知のメンバーゆえの凍結、強者を喰らう、更なる強者の存在。
「ドラゴン……どうして俺達の所に?」
やっと静寂を引き裂く一言目。俺の一言をキッカケにして、そこからポツポツと会話が始まる。
「わわっ、分かりません……」
「はるばると私達の所、どうして来るの?」
オリヴィア先輩の弱々しい文句。怒りすら挟めていない。祈りに近かった。
「オリヴィアちゃん、ドラゴンはね、執念深いの」
イザベル先輩の言っているとこは、半ば迷信として囁かれていること。冒険をしていた時に、キャンプ中によく聞いたジョークの一つだ。
『ドラゴンは獲物を絶対に逃がさない、たとえ逃してもやって来る』
「あの日だ、あの日から、ずっと、ずっと……」
あの日の夜空は覚えている。星もなく、ただ閑散としていた夜空にポッカリと月が穴を開けていた。俺は復讐するドラゴンのことを思っては、ギラギラ熱い思いを口にしていた。
「……私のせいだ、私が呼び寄せちゃったんだ」
頭を抱えているのはマリオン先輩。瞳には光などなく、ポッカリと黒が広がる。その色は『正の領域』に踏み込んだ時にできる黒い穴とよく似ていた。
「アスト君、マリオンちゃん、もしかしてドラ──」オリヴィア先輩は口を自らの手で塞ぐ。
ドラゴンの話題はデリケートな部分。過去に遭遇したのなら尚更、今生きているという事象から容易に想像できてしまう。ドラゴンの話はジョークの中でもブラックな方である。
──ガラッシャーン!!
窓が外から破壊されたと思い、戦線恐々として一同が部屋の奥を見た。そこにいたのはエレナとシシリー先輩。パッと見た限りでは、外傷も出血もない。両手を床に添えて二人ともぐったりとしているし、息も絶え絶えであった。
──キュルリ、ガチャ
今度は後ろから音が聞こえた。ドアはすでに開け放たれており、そこにはアカツキ先輩とカトレア先輩の姿があった。
アカツキ先輩は全身が真っ赤に染まっている。俯いてしっかりと立っている姿から、俺はどうしたのかと瞳を覗き込んだ。結果は自明。
彼女の前髪と前髪の間からは恐ろしいほどに下唇を噛んでいる表情が垣間見え、この血液が彼女のものではないと理解した。
「皆んな、ちょうどそろったね。ふふっ、ドラゴン退治は得意?」
カトレア先輩はいつも通り。恐怖に凍りついた空間でも、お構いなしに言葉を投げかける。そしてカトレア先輩の視線は常に俺を貫くため、自然と言葉を返す役回りは俺になってしまう。
「ドラゴン退治? カトレア先輩、流石にこのメンツでも無理がありますよ」
「その『メンツ』に、アストは入ってる?」
「え? いや、入ってはないですけど……」
何が言いたいのかも分からぬまま、ただ悪戯に時間だけが過ぎてゆく。カトレア先輩はそれでもゆっくりと話すのだった。
「じゃあ勝てない。でも、アストがいると勝てる。禁忌を犯したアストがいれば、なんとかなる」
カトレア先輩は自信満々だ。
俺は理解できるはずもなく、「俺がいれば?」とただカトレア先輩次の説明を待つだけだった。おそらく、ここにいる皆んなも同じ状況。誰一人として快い表情をしていない。
「だって、アストの制約がないとドラゴンには手も足も出ない。禁忌が神に背く技術なら、背いた神には特攻……」
「その神とやらが『ドラゴン』ってことですか?」
カトレア先輩はコクリとうなづいた。
──バサリ
またすぐ近くで翼の睨み。俺達の会話を聞かれているような感覚に襲われたが、依然として状況に変化はなかった。
部屋の中にいる女子達の瞳は、中心に位置する俺へと収束する。
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