2 おどけ芝居

 ブザーの音に呼ばれて廊下を急ぐ。玄関に若い男女が立っていた。

「おひさしぶりです」

 はきはきした口調で九竜慎太が挨拶をした。妻の弟の息子、つまり甥にあたる。今年、高校生になったばかりだ。

 日焼けした顔に白い歯、丸い大きな瞳が女の子のようにあどけない。紺色のポロシャツを着て、土産物なのか紙袋を提げている。

「すみません、遅れて」

 慎太の後ろにいた戸田間りんが慌てたように頭を下げた。蛍吾の娘だ。県立大学に通っている。たしか経済学部だったか。

 髪を肩まで伸ばし、前髪をカールさせている。柔和な笑みがどことなく蛍吾と似ている。ゆったりした白いブラウスに膝下まであるフレアスカート。落ち着いた服装なのは妻を悼む集まりだからか。

「まだ五分ある」俺は腕時計を確かめた。

「陵司も遅れるみたいだ。さっき電話があった」

 間違えて快速に乗っちまったらしい。俺がそう告げると、二人はさもありなんとばかりに揃ってうなずいた。我が息子ながら、どうも要領が悪いところがある。

 タイミングを見計らって、俺は足りないものに気づいたという顔をしてみせた。

「お父さんは?」

 奴ならクローゼットの中だ。それは百も承知で訊いた。

「先に来てませんか」凜が首を傾げる。

「車、下にありましたよ」慎太が後ろへ顎先を向けるしぐさをした。

 廿六木荘は北側に裏庭が、南側に前庭がある。玄関に近いほうを前庭と呼ぶべきかもしれないが習慣的にそう呼んでいる。裏庭は雑木があって狭く、車は入れない。前庭は犬が喜んで駆けまわりそうなほど広い。二人は玄関に来る前に、前庭に蛍吾のセダンがあることを確認したのだろう。

 蛍吾の運転する車に凜は同乗していた。だが久瑠潮駅の近くを通りがかったとき、歩道にいる慎太をみかけた。父にことわって凜は車を降り、慎太と海岸をぶらついてきたのだという。

「だから先に着いてると思ったんだけど」

 そう説明しながら凜が、ふと遠くをみつめるような目つきになった。顔色が青白く感じられるのは俺の気のせいだろうか。まさか父に変事があったと悟ったのか。いや、体調がすぐれないだけかもしれない。

「なら、勝手に中へ入ってる……それはないか」

 つまらない冗談を口にしたとばかりに俺は笑顔を作ってみせた。この場を和まさなければならない。俺の手が血に染まっていることを悟られてはならない。

(大丈夫か?)

 俺はとんでもない大根役者になってないだろうか。このガキどもを騙せているだろうか。

 陵司は幼い頃から小太りで、活発なほうではなかった。学校の友人を家に連れてくることはほとんどなかった。唯一の例外が慎太だった。二人は幼い頃から親戚の集まりで顔を合わせるたび遊ぶ仲だった。やがて中学生になった慎太は陵司を兄のように慕い、自転車を漕いで廿六木荘へひんぱんに遊びに来るようになった。

 蛍吾とは家族ぐるみの付き合いをしてきた。青年団の企画する登山にでかけたり、裏庭でバーベキューをしたり、事あるごとに蛍吾は隣の市から車を走らせてきた。年上なうえにやや気の強い凜を陵司は苦手に思っているようだ。年頃になってから凜が蛍吾に同行することは減ってきていたが、この数年はよく顔を見せるようになった。今にして思えば、高校二年生にして母親を喪った陵司を心配してくれたのかもしれない。

 暑い中、立ち話もなんだな。俺はそう言って二人を招き入れるとリビングに案内した。

 壁紙とソファがどちらもアイボリーのせいか部屋全体が明るく感じる。ブラウン管のテレビやロッキングチェア、飾り棚があるくらいで物が少なく広々としている。

 この部屋に入ったものが真っ先に目を惹かれるのは南側と西側の壁の大半を占める窓だろう。見えない磁石にでも引かれるように二人はそろって窓辺に寄った。この家には凜も慎太も何度も泊まっているが、ひさしぶりだから感慨深いのか。肩を並べて岩棚に打ち寄せる海を無言で眺めていた。

 南側は地下階が地上にあり、ここは実質的に二階の高さにある。視線を遮るものがなく景色が良い。設計者もそれを見越して足元から天井際まである窓にしたのだろう。おかげで西日のきつい日にブラインドを下ろすのを忘れると大変なことになるが。

 慎太から手土産を受けとり、飲み物の希望を伺い、俺はキッチンに向かった。冷たい麦茶を注いだグラスを二つトレイで運びつつ戻ると、二人はソファでくつろいでいた。慎太が耳に携帯電話をあてている。

「叔父さん、バッドニュース」

 通話を切り、慎太が俺のほうへ顔を向けた。

「今日の集まり、開始が遅れるそうです」

「慎太くん、ケータイ持ってるんだ」

 こめかみに指をあてながら凜が言った。今どき会社員や大学生なら携帯電話やPHSを所有していても珍しくないが、地方の高校生となると少数派だ。

「持たされたんですよ、四月から」

 満更でもない顔をして、慎太は携帯電話を右手から左手へ、左手から右手へと交互に移す。

「いいなあ、私や父さんでさえ去年なのに」

「ポケベルの時代だったんですね」

「時代とか言うな」

 まあまあ。慎太がなだめるようにそう言ってから、俺のほうを向いた。

「時間できましたね。なにか手伝うことありますか」

 麦茶のグラスをローテーブルに置いていた俺に天啓が下った。目まぐるしく思考を走らせる。本当にそれで良いのか、見落としはないか。いや、覚悟を決めろ。攻めるんだ。

「そうだな」さも思いついたとばかりに俺は口を開いた。

「今日の集まりとは関係ない話だが、懐中電灯を探してもらえるか」

「懐中電灯ですか」

 小首を傾げ、慎太はとまどった顔をした。

「この部屋のどこかにあるはずなんだ。停電の備えで買ったんだが、どこに置いたか忘れてな」

「なるほど、わかりました」

 瞳を輝かせ、慎太は明るい笑顔でうなずいた。わかりやすい場所にあるんだから、ちゃんとみつけてくれよ。俺は心の中で頼んだ。

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