3 守りが無理なら
玄関で出迎えたときから薄々察していたが、凜は体調が悪いらしい。帽子も無しに陽盛りの下を歩いて、軽い日射病にでもかかったのかもしれない。
頭痛がすると訴えたので、俺は二階に案内した。ここのところ客室はろくに掃除をしていない。しかたなく陵司の部屋を使ってもらうことにした。そちらであれば陵司の帰省に備えてベッドも準備していた。冷却ジェルタイプの氷枕と水差しを持っていくと、いつにないしおらしさで凜は頭を下げた。
リビングに戻ると、慎太がソファに座ってテレビを眺めていた。俺の顔に気づくと、手にした銀色の懐中電灯をふった。
「ありがとう。どこにあった?」
「そこの抽斗です」
テレビを載せた戸棚の、いちばん下の抽斗が半端に引きだされていた。
「そこか、覚えておくよ」
慎太から懐中電灯を受けとると、俺はそれを抽斗にしまった。あえて手荒に、ごとんと音を立てて入れる。もちろん抽斗を閉めることを忘れなかった。
物置部屋で蛍吾を殺した後、俺が真っ先に考えたのは事故に見せかけることだった。おあつらえ向きに裏庭は崖に面している。死体を海に投げ捨てればいい。運が良ければ転落事故とみなされるだろう。
だが、それはあきらめるしかなかった。妻を偲ぶ集まりが始まる時刻まで三十分もなかった。早めに来る客がいてもおかしくない。この家には台車の類が無い。以前は猫車があったがボロボロに錆びてきたので捨ててしまい、買い替えるのを忘れていた。蛍吾は痩せている上に小柄だが、さすがに裏庭まで死体を担いでいくのは一苦労だ。他の作業も含めると時間が足りない。
俺は凶器の懐中電灯と一緒に蛍吾の身体を布カバーで包み、クローゼットに隠した。玄関から靴を持ってきて死体に履かせた。洗面所で念入りに鏡をチェックしたが、運良く返り血はどこにも着いていなかった。他人の家の物置部屋を覗く馬鹿がいるとは思えなかったが、拭き掃除をした。もちろん脚立や来客用のスリッパを片づけるのも忘れなかった。
集まりの準備もしなければならなかった。物置部屋からリビングへ椅子を運び、茶菓子を用意した。黙々と手を動かすうちに不安が募っていった。
蛍吾が姿を見せなくとも集まりは開かれるだろう。問題はその後だ。前庭には蛍吾の車がある。それなのに姿を見せない。廿六木荘を訪れる前にこの辺りを散歩していて事故に遭ったとでも考えるのが妥当なところだ。付近一帯を手分けして探し、それでもみつからず警察に相談という流れになるのではないか。
そうなると夜になっても死体を捨てるのは難しい。大掛かりな捜索となれば人が集まり、こっそり動くことは難しくなる。動機が無いとはいえ、状況的に俺を疑うのは当然のことだ。警察に見張りをつけられるかもしれないし、家宅捜索でもされたら一発アウトだ。
もちろん、そこは運次第だ。間抜けな警察はこれが他殺だとは思いもしないかもしれない。見張りをつけられることもなく、俺は真夜中に裏庭の崖から死体を投げ捨てる。無能な警察は死体を司法解剖するも、なんら不審な点をみつけることができない。めでたし、めでたし。運が良ければ、運さえ良ければ、幸運の女神が俺に微笑んでくれれば、俺は逃げ切れるかもしれない。
馬鹿ばかしい。それは愚か者の考え方だ。現実から目を逸らしているだけだ。このまま守りの姿勢でいれば、犯行が露見するリスクは際限なく高まっていく。なんとかしなければならない。なにか積極的な手を早急に打たなければならない。
(守りが無理なら)
集まりの開始が遅れる連絡があり、慎太が手伝いを申しでたとき、俺は覚悟を決めた。
(攻めるしかない)
一か八かだ。アリバイを作り、慎太に罪をなすりつけよう。
凶器として使った懐中電灯はホームセンターでまとめ買いしたものだった。まったく同じ形のものが複数あり、一目では見分けがつかない。死体と一緒にみつかった懐中電灯が、物置部屋ではなくリビングのものだったらどうなるか。
犯行現場はリビングだったとみなされるだろう。犯人はリビングの懐中電灯で蛍吾を殴り殺した。物置部屋から布カバーを持ってきて死体を包み、物置部屋に運んでクローゼットに隠したことになる。
(問題はここからだ)
俺と慎太はよもやま話を続けていた。一年生にして慎太は生徒会の書記として活躍しているという。屈託のない笑顔で少年が語る充実した高校生活に耳を傾けながら、めまぐるしく俺は頭を働かせていた。
ついさっき、慎太は懐中電灯をみつけた。この時刻までリビングには懐中電灯があったのだから、犯行はこれより後に起きたとみなされるはずだ。罪を着せるにはリビングに慎太が一人きりでいた時間帯を作らなければならない。
もうひとつ問題がある。どうやってリビングの懐中電灯を物置部屋まで運べばいいのか。今は夏だ。ジーンズにワイシャツという軽装の俺が、あのでかい懐中電灯をどこに隠して持ち運ぶというのか。
(さあ、どうする)
俺が考えを巡らせていると、慎太が急に言葉を途切らせた。目を宙に迷わせる。「思いだしました」賽銭箱の前で柏手を打つように手を叩いた。
「恩陀さん、あれの買い置きありますか」
「なんの?」
ブザーの音がした。玄関のほうからだった。
「おばあちゃんたちかな」
慎太がソファから立ちあがった。玄関のほうへ歩きだす。
瞬時に決意した。俺はテレビ台へ駆け寄ると、抽斗から懐中電灯を手にとった。素早く、しかし音は立てず。廊下を行く慎太の背を追った。
ベルトの穴をひとつ緩める。後ろ手に懐中電灯を背中へまわし、ベルトとジーンズの間に挟んだ。
「いらっしゃい」
からかうような口調で、この家の主人ではない慎太が玄関扉を開けた。そこに立っていたのは慎太の祖母、九竜志摩子ではなかった。カンカン帽をかぶった痩身の中年男性だった。この暑さの中、汗ひとつかかずに麻のスーツを着ている。
「ご無沙汰してます」
帽子を脱いで、
「おばあちゃんは」慎太が訊いた。
「いらっしゃいません」
飯芝は無表情にそう告げた。
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