2 みつけてもらおう
照りつける陽射しの下、五人の男女がセダンの運転席のまわりにいた。運転席のドアは開け放たれ、物言わぬ六人目が座っていた。
亡くなられています。運転席に座る男の手首をつかんで脈を確かめていた渕村が、顔を上げて誰にともなく告げた。大富豪の臨終を見守ったお抱え医師のように厳かな声だった。
わっと声があがった。俺がふりかえると、腰が抜けたように凜が地面にくずおれるところだった。隣に寄りそう慎太がハンカチを渡した。
「そうだ、警察」いま思いついたとばかりに俺は声をあげた。
「電話してくる」
「それにはおよばない」
廿六木荘のほうへ足を向けかけた俺に、飯芝が声をかけた。
「恩陀さん、警察を呼ぶのはしばらく待ってほしい」
飯芝は携帯電話をとりだし、どこかへ電話をかけようとしていた。絶句したまま俺は目を剥いた。この男はいったいなにを言いだしたんだ。
俺が蛍吾を殺したのは二時間半ほど前のことだった。妻を偲ぶ集まりに、早めに訪れた蛍吾が手伝いを申しでた。椅子を運ぼうと二人で地下階にある物置部屋に行き、俺は蛍吾を懐中電灯で殴り殺した。
ソファに掛かっていた埃避けの布カバーでくるんだことが幸いし、血飛沫はほとんど飛び散らずに済んだ。手首の脈や瞳孔を確かめたので、蛍吾が死んだことは間違いない。
さて、これからどうするか。真っ先に考えたのは海へ死体を投げ捨てることだった。だが死体を運ぶ猫車の類がこの家には無いし、集まりの時刻も迫っている。では夜になるまで待つか。しかし今夜までには蛍吾の失踪を警察に相談することになるだろう。大掛かりな捜索となると人が集まり、俺に疑いの目を向ける者も増えていく。死体を捨てに行くチャンスはないかもしれない。
俺は腹を括った。死体をみつけてもらおう。ただし、この物置部屋で発見されたら俺が疑われて当然だ。だったら外でみつかればいい。かといって真っ昼間に死体を担いで遠出はできない。
(そうだ、車)
蛍吾の乗ってきた車に死体を移そう。そうすれば外部犯だと判断される。
たとえば、こういうことだ。運転の荒い奴には些細なことで腹を立て、暴力沙汰にまで発展する奴がいるものだ。蛍吾も運悪くそんな奴と遭遇した。車を降りて話しあおうとしたが、理性の欠けた相手に頭を殴られた。慌てて車に逃げ戻った蛍吾は、ほうほうの態で廿六木荘まで車を走らせた。俺に助けを求めるつもりだったが、運転席から立ちあがることなく意識を失い、そのまま死亡した。そんな筋書きだ。
覚悟を決めると、後は大仕事が待っていた。布カバーでくるんだ死体を半ばひきずるようにして前庭まで運んだ。いくら蛍吾が小柄で痩せているとはいえ、これは重労働だった。汗びっしょりになって蛍吾のワイシャツの胸ポケットを探り車のエンジンキーを手にとると、運転席のドアを開けた。
前庭は広く、車をUターンさせるのは簡単だった。多くの運転者がそうだと思うが、蛍吾は帰りに備えて車の鼻先を道路側へ向けていた。俺の筋書きでは蛍吾は暴漢から必死に逃げてきたのだから、そんな悠長なことはできなかったはずだ。前庭をすぐ入ったところへ道路に尻を向けて駐めた。ここのところの晴れ続きが幸いして地面は乾ききっており、Uターンさせた跡は残らなかった。
運転席に蛍吾を座らせた。キーは挿したままにした。エンジンを切ったところで意識を失ったと推測してもらえばいい。携帯電話をどうするか迷ったが、逆に使えると思い、残しておくことにした。
玄関へ行き、蛍吾の靴をとってきて履かせた。再び家に戻り、玄関チャイムから物置部屋まで蛍吾が触ったと思しき箇所を拭いてまわった。蛍吾は今日、この家を訪れなかったことにするのだから指紋が残っていては困る。もちろん物置部屋を掃除して血痕を始末したり、脚立やスリッパを片づけるのも忘れなかった。血のついた布カバーや凶器の懐中電灯はバスルームの天井裏に隠した。
なにか漏れはないかと思ったとき、集まりの準備をなにもしていないと気づいた。「やることが多すぎるぞ」ぼやきながら俺は物置部屋から椅子を運び、茶菓子の準備をした。
それから間もなく凛と慎太が訪れた。二人は前庭にセダンが駐まっていることは確かめても、生け垣に遮られて運転席の死体には気づかなかったらしい。車の向きを百八十度変えたのはこのためでもあった。
集まりの開始が遅れると飯芝から電話があった。やがて廿六木荘にやってきた飯芝と裏庭で話をした。体調を崩して陵司の部屋で休んでいた凜が目を覚まし、姿の見えない父を心配して携帯電話をかけたがつながらなかった。
地下階から「ごめんください」と声がした。俺が様子を見に行くと、物置部屋に見知らぬ中年婦人の姿があった。その人物は渕村と名乗った。いきなりクローゼットを開けたが、そこにはなにも無かった。
たしかに死体を家の中に隠すなら俺はここに隠していたかもしれない。他人様の家に来て、真っ先にクローゼットを開ける奴がいるなんて普通は想像しないだろう。興信所に勤めるような者は誰でもこんな真似をするものだろうか。
ひとつだけわからないことがあった。通用口から入ってしまったことはよくある勘違いだ。しかし、廊下の奥に階段が見えているのになぜ物置部屋に入ったのか。誰か家人がいるかもしれないと期待したのだろうか。たとえそうだとしても、なぜクローゼットまで確かめようとしたのか。
「わかった。もう、わかりましたよ」
少しだけ渕村に捜査をさせてほしい。頑固に主張し続ける飯芝に、俺は両手を挙げて降参のポーズをとった。非常識なことを言いだした相手に渋々折れた――そういう演技をした。少しでも検屍が遅れて死亡推定時刻の幅が広がってくれるほうが俺には大助かりだ。
俺の目論見は外部犯の仕業に見せかけることだ。だから俺がまだ一人で廿六木荘にいた時刻に犯行が起きたとバレても差し支えなかった。とはいえ検屍が遅れて死亡推定時刻の幅が広がれば、存在しない暴漢を探すのに警察は多くの人手を割く。代わりに俺への捜査は手薄になるだろう。だから警察を呼ぶのは遅れるほうが好都合だった。
「申し訳ない。渕村、どうだ」
俺と飯芝が押し問答をしている間、渕村は動きまわっていた。死体の傷の具合を調べ、ワイシャツやスラックスのポケットを検め、助手席にまわってダッシュボードの中を覗き、車のまわりを一周してタイヤに目を寄せたりしていた。
後部座席の窓ガラスに額を押しつけたまま、渕村がちょいちょいと飯芝を手招きした。飯芝と渕村は後部座席の傍らでしばらく小声で相談していたが、やがて「先に戻ってくれますか」と飯芝が言った。
たしかに、ここにいても自分たちにできることはなにもなかった。凛と慎太に声をかけ、俺たちは廿六木荘へ戻った。
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