3 なぜこの面子なのか

 窓辺に立ち、俺は岸壁に打ち寄せる波を眺めていた。いつもなら心安らぐはずの光景が、今はただ寒々しいものに感じた。

 凜は相当ショックを受けたようだった。泣きやんでこそいるが、三人掛けのソファの肘掛けにすがりつくような座り方をしている。ときおり慎太が声をかけても虚ろな目をしていた。

 しばらくして飯芝が一人で戻ってきた。渕村はまだ車を調べており、それが終わったら各人から話を聞きたいという。

 窓辺から離れ、俺は地下階から運んできたウィンザーチェアに腰を下ろした。ただ座っているだけでもできることはある。思考だ。自分の行動をふりかえった。やるべきことをすべてやったか、ミスはなかったか。ひとつでもあれば致命傷になる。

(そういや)

 犯行とは無関係だが、疑問がひとつあった。

(どうして蛍吾なんだ)

 死体の発見前、廿六木荘を訪れた渕村がいきなりクローゼットを開けて空気が険悪になった。飯芝から興信所の者だと紹介され、その場は収まった。ようやく集まりが始まるのかと思えば、そうはならなかった。

「戸田間さんがご不在では、始められませんな」

 リビングで飯芝は首を横にふった。近所だけでも探そうと慎太が提案し、玄関から外にでたところで凜が携帯電話をかけた。前庭の方角から呼び出し音が聞こえた。外階段を一列になって下り、そして運転席に座っている死体を発見した。

(これは、なんの集まりなんだ)

 志摩子からは今日の集まりに陵司と戸田間父娘を招くよう頼まれた。九竜家からは慎太が、そして他に二名の客が訪れると聞かされていた。飯芝と渕村のことだろう。志摩子自身も当然来ると思いこんでいたが、はっきり確認しなかったかもしれない。

 常識的に考えれば、誰を招待すべきか決めるのは元夫である俺だろう。親戚や知人、学生時代の友人など、招くにふさわしい顔触れが他にもあるはずだ。あまつさえ、この集まりを提案した志摩子が来ないという。

 飯芝と渕村を呼んだ理由もわからない。俺が知らないだけで、渕村は稔里となにか繋がりがあったのかもしれない。しかし飯芝はどうだろう。志摩子と飯芝の関係を稔里にかつて訊いたときは「茶飲み友達みたいなものと思ってたけど」と話していた。あの口ぶりからすると、稔里と飯芝の間にたいして繋がりはなかったのではないか。

 故人を偲ぶ集まりと聞いて、茶菓子をつまみながら思い出話に花を咲かせる様子をイメージしていた。それなのに、蛍吾がいなければ始められないと飯芝は言った。たった一人欠けただけで始められないとはどういうことなのか。なにかズレがある。志摩子が今日これからやろうとしているのは、ただの茶飲み話ではない。

(なぜ、この面子なんだ)

 思い当たることがひとつだけあった。だが、それに意味があるようには思えない。

 この集まりのことを志摩子に電話で頼まれたとき、どんな言い回しだったか。思いだそうと俺が額に手をあてたときだった。目の前に誰かが立った。

 凜だった。青白い顔をぶるぶると震わせ、カールした前髪が揺れている。悲しんでいるのか、いきどおっているのか、あるいは狂気へ足を踏み外そうとしているのか。

「おじさんが」肺の奥から息を絞りだすようにして凜は言った。

「父さんを殺したの?」

 俺はぽかんと口を開けていた。唐突過ぎて、なにを言われたのか理解できない。

 慎太が歩み寄り、凛の袖を引いた。「凜ちゃん、落ち着いて」と呼びかけるが、父を喪った娘は俺を睨んだままだった。

「答えて。恩陀さんは奥さんを殺したの? だから父さんも殺したの?」

「なんのことだ」

 ソファに戻るよう慎太が凜を促す。首をふって凜は断った。涙が頬を滑っていく。顔を手の平でぴったりと覆い、凜は何度か深呼吸をくりかえした。やがて顔から手を離すと、きっぱりした口調で言った。

「わかってるんだから。あの日、おじさんは稔里さんと一緒に海へ行った。本当はおじさんが突き飛ばすかどうかしたんじゃないの?」

 あの日って、いつのことだ。問い返そうとした俺は胸騒ぎを覚えた。海。突き飛ばす。消波ブロックから転落死した妻。断片的な言葉が頭の中でぐるぐると渦を巻く。

 僕から話します。慎太が口を開いた。

「今日の集まり、僕が原因なんです」

「なんだと?」

「映ってたんですよ。学校の友達が見せてくれて……そいつ、中学のときに親が初めてビデオカメラを買って、面白半分に撮影してたんです。それが二年前の、稔里さんが亡くなった日でした」

 ふいに押し黙り、慎太はうつむいた。慎重に言葉を選んでいるのだろう、また顔を上げた。

「もちろん友達はお二人を撮影しようと思ってカメラを向けたわけじゃありません。たまたま背景に紛れこんだだけです。会話の内容もわかりません。でも、稔里さんが恩陀さんを平手打ちしたのは確かに映ってました」

 ひとつも嘘を許さないような強いまなざしで、慎太はまっすぐ俺の顔をみつめている。

「なにがあったんです?」

 糾弾されながら、俺の頭の中を占めていたのはまったく別のことだった。無意味だと思って投げ捨てたものが意味を背負って戻ってきた。離れた場所にある点と点とが、線でつながろうとしている。

(関係するのか)

 亡き妻を偲ぶ集まりに招かれた者たち。この面子の共通点。

 俺と陵司、九竜慎太、そして戸田間父娘。この五人はあの日、廿六木荘にいた。稔里が命を落とした日、この家にいた者たちだ。

「俺は――」

「こらぁ!」

 飯芝の声がした。思わず身を竦めそうになるほどの叱責だった。

 凛と慎太、そして俺は室内を見渡した。いつの間にかリビングから飯芝の姿が消えていた。

 椅子から立ちあがる。声はキッチンのほうからだった。俺は奥のガラス戸に向かった。

 ガラス戸を引き開ける。六人掛けのテーブルの傍らに飯芝の背中があった。向かいあっているのは渕村だ。

 俺は家の間取りを思い浮かべた。キッチンには入り口が二つあり、リビングだけではなく廊下からも入れる。車の現場検証を終え、渕村はリビングを通らずに廊下から直接キッチンに入ったのだろう。だからキッチンにいること自体は不思議ではない。問題は、なぜこっそりキッチンに忍びこんだのかだ。

「ああ、恩陀さん」

 飯芝がふりかえった。手でジャケットの襟をつかんでぶらさげている。二つボタンの白いサマージャケットだ。飯芝はスーツの上下を着たままだから、飯芝のものではない。俺のものでもない。誰のジャケットだろう。

「どうかしましたか」

「いや、まったくお恥ずかしいかぎりで」

 苦虫を噛み潰したような顔をして、飯芝は渕村を一瞥した。

「あなたを犯人に仕立てようとしたんですよ、こいつは」

 吐き捨てるような口調で飯芝が言った。探偵はふてくされた表情でそっぽを向いていた。

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