2 父の夢

 波の音が響いていた。幽霊が足音を忍ばせ、そっと近づいて耳朶じだを撫でては離れていくような、かすかではあるが確実にそこにある音。白い光に包まれ、まばゆさに瞼を閉じていることができない。恩陀陵司おんだ りょうじはベッドの上で目覚めた。

 壁紙を目にして陵司は違和感を覚えた。白地に間隔を空けて野草が並んでいる。小さな青い花々が窓から射しこむ朝陽に明るく照らされている。どこかで目にした覚えのある絵柄だった。そういえば幼い頃の自分の部屋がこんな模様だったような。

 なぜ、こんなに明るいのだろう。寝る前にカーテンを閉ざし忘れただろうか。上半身を起こした陵司は部屋を見渡し、勘違いに気づいた。閉ざし忘れたわけではなかった。窓にはカーテンそのものが無かった。

(実家だ)

 頭の中がはっきりするにつれて、陵司は根本的な思い違いに気づいた。壁紙に見覚えがあって当然だった。ここは陵司が物心つく頃から高校生のときまで寝起きした部屋そのものだった。

(俺の部屋だ)

 ベッドの縁にスウェット姿で腰かけた陵司は寒気を覚えて身を震わせた。毛布をひっぱり、肩にかけながら室内を見渡す。

 冬の陽射しは柔らかく、室内は光に満ちている。広々とした生活感のない部屋だった。ベッドの他に家具は机がひとつあるきり。机上にはなにもなく、家具屋で買いとったものを運びこんだばかりのようだ。

(帰ってきた)

 もう目にすることはないと思った我が家、廿六木とどろき荘に。

(俺は……まさ……)

 頭痛が走り、陵司は顔をしかめた。こめかみに指先をあてる。

(ちがう、陵司だ)

 俺の名前は、恩陀陵司。わかりきったことを小声でつぶやく。柾木は父親の名だ。

(なんで父さんの夢なんか)

 二十三年前に人を殺し、その罪を暴かれて自殺した父親の夢を。

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