3 愚かな相手
真昼にくらべれば衰えたが、照りつける陽射しは相変わらず厳しい。キッチンのエアコンで冷えた身体から汗が噴きだしてくるのを渕村は感じた。
波の音が響いている。崖の手前で渕村が足をとめると、横に柾木が並んだ。
「暑いですね」ハンカチで柾木が汗を拭う。
「すぐ終わります」
「いや、そういうつもりじゃなかった。お構いなく」
隣に立つ柾木の姿を改めて観察する。やや痩身で、色落ちしたジーンズを履いている。ボタンダウンシャツの袖をめくり、額の汗をハンカチで拭うさまは炎天下で農作業に従事する労働者のようだ。それでいて顔は線が細いたちで、芸術家のような趣がある。
「話って、なんです」
「もう一度、確認させてください。戸田間凛さん、そして九竜慎太さん。お二人が廿六木荘に来てから、なにをしてました?」
「なにって、まあダラダラしてましたよ」
怠けていたところをみつかりでもしたように、柾木は苦笑いをしてみせた。
「ずっとリビングに?」
「ええ、テレビを眺めて……そうか、わかった」
言葉の途中で目を見開くと、柾木は大きくうなずいた。
「言い忘れた。一度、車で外にでましたよ。どうしてわかった?」
「慎太さんが二階の窓から見かけて」
「なるほど、そういうことか」
「理由は」
「え?」
「なぜ外にでたんです」
波の音が聞こえた。穏やかな風が柾木の前髪を揺らした。笑みと真顔の中間の表情で、しばらく柾木は固まっていた。
「探しに……」唇を開いた柾木が、咳払いをした。
「蛍吾くんを探したんですよ。どこか散歩でもして、ここらに来るのはひさしぶりだから道に迷ったんじゃないかってね」
「なるほど」
藤色の麦藁帽に手をあて、渕村はうつむいた。ここでチェックメイトを宣言すべきか。
いや、やめておこう。言わなかったということと、嘘をついたこととはまったく違う。これだけでは言い逃れされかねない。
「ここ、見てもらえる?」
足元を指差す。廿六木荘の周囲は土に覆われているが、崖の先端に近づくほど岩肌が多くなっていく。白く乾ききった土にかすかな跡があった。一筋の線がまっすぐ崖に向かっている。
「タイヤの跡か」ぽつりと柾木が言った。
「なんのタイヤ?」
「自転車?」
「それにしては太い」
「そうだな。でも、車ほどでもない」
「猫車でしょうね」
手押し車、あるいは一輪車とも呼ばれる。農作業で土を運ぶときなどに使われる。一人では持ち運ぶことができない重いものも、これを使えば容易に運ぶことができる。
「最近、猫車は使いましたか」
「これが蛍吾のことと、どう関係するんです?」
「人間の身体って重いの。ましてや死体を運ぶとなるとなおさら」
五キロの米袋すら運ぶには難儀する。生きた人間なら運ぶ相手に遠慮した体勢をとってくれるが、死体は柔らかく容易に形を変えてしまう。
「なるほど、殺されたかもしれないってわけですか。猫車に蛍吾くんの遺体を乗せて、崖から投げ落としたと」
うんうんと柾木はうなずいた。口元に薄笑いを浮かべている。
「もう一度、訊きます。猫車を最近使いました?」
「どうだったかな。亡くなった妻と違って私は庭いじりをしないたちでね。そう、草むしりくらいはしますから、使った覚えがありますよ。そのときの跡かな」
「使ったと」
「使いましたよ」
渕村は溜め息を吐いた。探偵として、歯応えのある犯罪者と対決したいと思ったことは一度もない。あまりにも愚かな相手と会話していて失望したことなら数多くある。こんな馬鹿一人のためにかけがえのない人命が喪われ、家族や友人が傷つき、多くの人間が労力を割かなければならない。やるせなさで徒労感に包まれる。
「あなたが犯人ね」
笑みを浮かべていた柾木が、真顔になった。言葉の意味を理解できないとばかりに首を傾げる。
「
廊下に置かれた電話台にタウンページをみつけた。このあたりで猫車を売っていそうなホームセンター、雑貨店、大きな生花店を探した。久瑠潮駅の近くに看板を掲げる個人経営の雑貨店に電話し、当たりを引いた。
「顔見知りのようね」
「妻が利用していたからな。よく付き合わされたよ」
渕村の顔から視線を逸らし、柾木は遠くを見る目つきになった。
「あなたが今日、猫車を買いに来たことを話してくれました」
「家に二つあってもいいだろ?」
肩を竦め、柾木は頭を左右に揺らした。欧米人じみたしぐさだが、柾木がやるとさまになった。
「そんな言い訳じゃダメか」
「二つあるんですか」
「残念だが一つしかない。今日買ったばかりの新品がな。なるほど、下手な嘘をついちまった。慎太くんに見られていたとは思わなかったんでな、動揺した」
「恩陀さん」
「降参だよ」
柾木は両手を顔の横にあげると、ひらひらとふってみせた。
「なぜ戸田間蛍吾さんを殺したんです」
「勘弁してくれ、暑くてかなわん。警察で話すよ。シャワーを浴びたいとまでは言わんから、着替えるのだけ許してくれ」
いいだろ? 顔を斜めにして柾木は笑顔を浮かべた。老いぼれた道化師のようだと渕村は感じた。
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