錬金術師の弟子志願

庄野真由子

第1話 エリナ・グレニーは錬金術師を待ちわびる

グレニー食堂は、エスター王国の東の端にある田舎町ディーンにただ一軒だけある食堂だ。


グレニー食堂を利用するのは田舎町ディーンの独身者と、畑仕事が忙しい夫婦、それからリンザの森に狩りに来る狩人たちや、薬の材料を採取に来た薬師たちだ。

街の南に広がるリンザの森には希少な薬草が生え、肉質が良い一角うさぎが獲れるので、狩人や薬師たち田舎町ディーンを訪れるのだ。


万屋の主人や教会の神父、シスターがグレニー食堂を利用することもある。

田舎町ディーンの子どもたちの誕生日には、グレニー食堂でカステラパンケーキを頼むのが慣習になっている。


グレニー食堂は二階建ての建物で、一階は食堂、二階は家族の住居になっている。

店内には7人が横並びに座れる四角いテーブルが三台置かれている。

横に長いテーブルは向かい合って座ることができ、テーブルには21人、カウンター席には4人が座ることができる。


グレニー食堂は、午前中は休みで、昼と夜に店を開く。


狩人や薬師たちは、田舎町ディーンに一件しかない宿屋に泊まり、朝食を食べて出かけ、昼と夜はグレニー食堂で食事をする。


グレニー食堂が昼と夜にしか店を開けないのは、早朝から午前中にかけて、トマスがリンザの森に狩りに行き、食材を狩って、店の料理として提供するからだ。

野菜は、グレニー食堂の裏手の畑で作っている。

自分たちの手で食材を調達するから、グレニー食堂のメニューは安くて美味いと評判が高い。


早朝、グレニー食堂を営んでいる店主のトマス・グレニーは娘婿のリックを連れてリンザの森に行き、一角うさぎを狩り、料理に使う香草を採取する。


トマスは若い頃にトレントを狩り、それを材料にしてグレニー食堂を建てた豪傑で、髪に白髪が混じる年齢になったが、今も毎日食堂の料理の材料を狩りに森に行く。彼の腕は筋肉がついていて太く、大柄な体格で、食堂で迷惑行為をする客を、店の外に摘まみだすこともある。

トマスは田舎町ディーンを治めている代官とも仲が良く、腕っぷしを買われて街を守る自警団のまとめ役もしている。


今日は春の月15日。冬眠から目覚めた獣は活発に動き回っていて、狩りには良い季節だ。


トマスとリックがリンザの森に行っている間、グレニー食堂ではトマスの一人娘のユージェニーが店の掃除をして、大鍋で野菜たっぷりのスープを作り、パンを焼く。

スープに使う野菜は畑からとって使っているので、旨味がぎゅっと詰まっている。


いつもはユージェニーの娘のエリナも母を手伝うのだが、今朝は窓辺に佇み、離れない。


「ねえ、お母さん。錬金術師様は、まだかしら?」


エリナは瑞々しい若葉色の目を輝かせ、ユージェニーに問いかけた。


エリナはもうすぐ10歳になる少女だ。

彼女の眩い金色の長い髪は背中まで伸び、身体つきはほっそりとしている。道ですれ違えば、誰もが振り返る、美しい娘だ。

エリナは、がっちりとした体格の母親にも、素朴な容姿の父親にも似ていない。

祖父のトマスは、エリナは亡くなった祖母に似ているといつも言っている。

祖母の名もエリナと言い、孫娘のエリナが産まれる半年前に病死した。

エリナの名は、孫娘の誕生を心待ちにしながら対面が叶わなかった祖母の名でもある。


「さあね。もうお宿に着いているかもしれないし、明日いらっしゃるかもしれないよ。さあ、窓辺に立ってばかりいないで、テーブルを拭いてちょうだい」


エリナは名残惜しそうに窓辺を振り返りながら母の元に行き、差し出された濡れ布巾を受け取る。

春の月の15日付近には、毎年必ず、田舎町ディーンに錬金術師がやってくる。

エリナはテーブルを拭きながら、初めて錬金術師ニナ・スブラッティに出会った時のことを思い出していた。


エリナが初めて錬金術師ニナ・スブラッティに出会ったのは、今と同じ季節で、エリナはもうすぐ5歳になる頃だった。

もうすぐ5歳になるエリナは、早朝、狩りに行く祖父と父親に、自分もついていくと泣きわめき、駄々をこねた。

昨夜『大きくなったらリンザの森に連れていく』と祖父がエリナに約束したからだ。

幼いエリナは寝て起きたから、自分は大きくなったと泣きわめきながら主張した。

だから、エリナはリンザの森に連れて行ってもらうのだ。だって、大きくなったのだから。母親は、よく寝たら大きくなると、幼いエリナにいつも言っている。


トマスは、自分と父親のリックがいれば幼いエリナを連れていても、リンザの森にいる一角うさぎを狩れると判断した。

泣きわめく孫娘に負けたとも言う……。


そして幼いエリナは父親に抱かれ、意気揚々とリンザの森に向かったのだった。

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