第3話【三】アフリカ人、水戸黄門に出会う(前編)


 水戸はうららかな春の陽気である。


 佐々木助三郎宗淳は黒光りする外廊下を歩きながら、陽光の降り注ぐ庭に目をやった。

 木々の新芽が緑色を濃くする中で、色とりどりの花が庭を彩っている。


 花桃が桃色の花を開き、こぶしの白、木蓮の紫、流れ落ちるような雪柳の白、花海棠はなかいどうの鮮やかな赤い蕾。

 音のない祭りのように賑やかな色は、厳しい冬を過ぎた地で生命の輝きを謳歌しているようである。


 思わず助三郎の口元がほころんだ。


 廊下に面した部屋の障子が開いて陽光が差し込んでいた。

 入り口に控える。

 失礼いたします、と声をかけると、部屋の中からうむ、という声が聞こえた。

 

 中を覗くと、光圀は難しい顔をして、座卓に長い書状を広げて熱心に読み込んでいる最中だった。

 傍らに薄緑色の着物を着た茶筅髷の若い男が渋い顔をして控えている。助三郎にぺこりと頭を下げた。

 

 南方みながた嘉門。若輩ながら学問にひいで、知見も広いことから近年光圀に重用されている人物の一人だった。


「お忙しいなら出直しますが」

 助三郎が言うと光圀はじき終わる、と言ったまま書状から目を離さない。


「お主はなにをしているのだ」

 ぽつりと南方に問う。

「明日の江戸出立の打合せに、と仰せられて参ったのですが……」

 弱った顔をして言葉を濁し、光圀の方を見た。光圀は相変わらず書状を睨んだままだ。

 助三郎がくすりと笑った。


 御三家である水戸徳川家の藩主は通常「江戸定府」と言われ、江戸での居住を義務付けられている。

 光圀も当然定府扱いではあるのだが、束縛を嫌う光圀は領地巡検とか病気療養などと何かと理由をつけては江戸を離れ、水戸に戻って執務をこなしていたのであった。


 ややあって、光圀が顔を上げ、ふむ、とひとつ息をついた。南方を見る。

「すまんが嘉門、茶を一杯くれんか」

 拍子抜けした南方がはい、と言って立ち上がると、部屋を出た。


 伺ってもよろしいですか、と見計らった助三郎が声をかける。少し眉根を寄せたまま光圀がなんじゃな、と言った。

「えらくご熱心でしたが――書状はどなたからで?」

 少し間があった。

「松前志摩守じゃ」

 助三郎の目が開いた。

「松前? 蝦夷えぞ地の松前藩主、矩広のりひろ様ですか」

 光圀が頷く。

「快風丸の件の返事でございますか」

「まあ、そんなところじゃの」



 快風丸とは光圀が建造を命じた巨船である。

 建造の目的は「蝦夷地(北海道)探索」にあった。


 光圀は国学の観点から、以前より蝦夷地に興味を示していた。民俗的な見地から「日本人」というものを捉えなおそうとする試みの一環である。


 日本人は、どこから来て、どこへ行くのか。


 光圀が生涯自己に問い続けた疑問である。

 ある時は古文書に、ある時は遺跡に、またある時は人々の語る言葉に耳を傾け、光圀は答えを探し求め続けていた。


 南は長崎から情報が入るが、北からの情報はなかなか手に入りにくい時代であり、松前藩を通じて入手できる情報にも限りがあった。

 そのため、光圀は独断で探検船を建造し、北方民族の情報を入手しようと図ったのである。


 この年二月、すでに快風丸は二度目の航海に出発していた。



 茶卓を持って戻ってきた南方が話に加わる。

「――して、松前藩は何と?」

 助三郎の問いには答えず、茶を一口すすって光圀は南方を見た。


「嘉門、『寛文蝦夷蜂起』の件は知っておるか」

 話を振られた南方が少し躊躇した。

「は。ええと――蝦夷の地元民が松前藩に対して起こした反乱、でしたか。首謀者は、確か釈舎院シャクシャインとか言いましたかな」

 さすがじゃの、と言って茶を置いた。助三郎を見る。


「結論から言って、今蝦夷に向かっている快風丸じゃが、松前より北への探訪は安全を保障できぬゆえ許可しかねる、と言ってきおった」


 助三郎が眉根を寄せた。

「前回の渡航の際も松前の外へは行かせてもらえなかったという話でしたかな。何を懸念しておられるのかな、松前藩は」

「今回は松前の外に出るな、とは言わん、と言うておる。近在地であれば探訪も看過すると」


「田舎大名の分際で御三家に対してずいぶんな口の利き方ですな」

 助三郎が口の端を曲げた。光圀がはっはっは、と笑った。


「そこまで横柄には書いておらんが、平たく言えばまあそうだという事じゃ。一応言い分はあるんじゃよ。さっきの『寛文蝦夷蜂起』の絡みじゃ」

「――と申しますと?」

 南方が身を乗り出した。光圀が顎の鬚を撫でた。


「松前から北側、石狩と呼ばれる地方じゃが、快風丸は当面、北への足掛かりにこの地を目指しておる。じゃが、この地域の地元民はくだんの反乱には加担しておらんのじゃ」

「話の繋がりがよく見えませんが」

 助三郎が首を捻る。南方が腕を組んだ。


「あの反乱に際しては東北の諸藩も松前に応援の兵を出したとか聞きました。兵力の差に怖気づいた、とかでしょうか」

「志摩守はそうは考えておらんようじゃ。理由は定かでないが、石狩地方には独自の考え方があるようじゃな」

 光圀がこめかみを指先で軽く揉んだ。


「反乱に加担した地方の首領は全員松前藩によって仕置きされ、兵力は奪われたと聞く。つまり、加担していなかった石狩にはまだ兵を起こす余力がある、ということになる。松前藩としてはできれば刺激したくない、というのが本音じゃろう」


 なるほど、と言って助三郎も腕を組んだ。

「それで船を北へ行かせまいとしている、という事ですか。しかし松前藩もいつまでも放置しているわけにはいかんのではないですか」


「それはあるじゃろうな。北側との交易による収益は上納にも影響してくる。石狩を押さえきれんと他の地方にも示しがつかん。第二第三の釈舎院シャクシャインが出てこないという保証はなくなる。――ま、痛し痒し、というところではないかな」



 ほう、ほけきょ、と庭で鶯が啼いた。

 光圀の顔が庭を向く。


 ふむ、と独り言ちた。


 ところで、と南方が口を切った。

「本来の要件でございますが」

 光圀がおお、という顔になった。

「すっかり忘れておったな。明日じゃな。助さんも同じ用事かの」

 は、と頭を下げた。

商館長カピタン一行はもう江戸におるのか」

朔日ついたちにはお上への拝礼も済んでいるはずです。江戸表から知らせがないので、例年通り長崎屋に逗留中かと」

 うむ、と光圀が頷いた。


 この時代、幕府は鎖国に準ずる政策を取っていたが、唯一、長崎出島においてオランダとの交易を行っていた。

 オランダ商館の責任者である「商館長カピタン」は年に一度、交易の礼を示すために、江戸に参り将軍に謁見、拝礼の上献上品を上程するのが慣例となっていた。


 これが「カピタン江戸参府」である。


 新しいもの好きの光圀は毎年この時期になるとカピタンを訪ね、珍しいものを買い付けるのを一種の趣味としていたのだ。

 その際、供として助三郎と格之進をつけ、通詞(通訳)として蘭語に通じた南方を連れて行くのが近年の常であった。


 本来ならば定府である場合、カピタンの将軍家拝礼には列席しているべき立場であるのだが、偏屈な光圀は「あんな猿回しに付き合ってはおれん」という理由で座を離れていたのである。


「今年のカピタンは誰だか聞いておるか」

 書状を片付けながら光圀が南方に訊いた。

「ヨング、という方だとか。何年か前にもカピタンを務めておられたそうで」


 光圀が動きを止めてしばし宙を見た。


「――聞いたことがある名じゃな。会えば思い出すかもしれんの」



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