第33話【三十三】アフリカ人、切り抜ける


 西から石狩川、東から空知川が流れ下る合流地点、現在で言う国道451号と函館本線が交差するあたりにその土地はあった。


 滝川ソラプチペツ


 起伏が少なく、肥沃であったため耕作にも適しており、古来からの定住者も多かったものとみられる。

 

 人の背丈の三倍ほどの高さに土が盛られた土地が、小さな集落ひとつ分ぐらいの面積に広がっており、その周囲には九尺ほどの高さの木柵が建てられ、周囲から隔離していた。

 三方は水路であり、周囲より高くなったその地形から、護るに容易く、攻めるに難しい配置になっていることがわかる。

 物見のためと思われる梯子が、その柵から頭一つ抜けた高さに立っていたが、今は誰もいない。


 長老、ハウカセの居住地である。


 この場所を中心として、滝川周辺には複数のチャシが配置されており、応年、ハウカセがここを拠点として流域に睨みを利かせていたことを伺わせた。


 木柵の切れ目には丸太を組んだ間口九尺ほどの冠木門が配され、河の下流側から門まではなだらかな坂道になっている。


 六人の男たちがその坂を上がっていく。


 先頭に二人。真ん中に一人。後ろに三人。

 真ん中の一人だけが青い生地に白のアイヌ模様、あとの全員は黄ばんだ白地に青のアイヌ模様の入った服を着ていた。

 真ん中の男以外が弓を背負い、全員が腰に剣を下げている。


 川下から吹く風が、真ん中の男の紅い髪を逆巻かせた。


 門にたどり着く。


「止まれ」


 腰に剣を下げた二人の男が門の両脇から現れ、六人の前に立ちはだかる。

「何用だ」


 赤毛の男が進み出た。

江別ユベオツのサマイカチ。長老の命を狙う狼藉者を成敗したので報告に来た」


 門番が首を下げる。

「聞いております。お待ちください」


 門番の一人が奥に見える大きな家に走っていく。

 サマイカチは不敵な笑みを浮かべ、腕を組んだ。


 周囲を見回す。


 門の正面には大きな広場があり、祭祀カムイノミを行う祭壇ヌササンがある。

 西側の木柵寄りには草葺きの家が二棟、東側にはそれよりもやや大きめの家が一棟ある。


 祭壇の向こう側には広さ八畳ほどの大きさの家があり、その北側奥にはさらに大きい家が見える。

 手前側が祭事用及び会議用の家。奥が長老一家の居室であろうと思われた。


 門番の男が駆け寄って来る。

 

「あちらのチセでお待ちください」

 祭壇の奥の家を示す。

 サマイカチが鷹揚に頷くと一行が歩き出した。


 通りすがりにちらと祭壇を一瞥する。

 木幣イナウに結びつけられた白い紙が風に揺れていた。


 風よけの前室を抜けて中に入る。

 部屋の中央にしつらえれられた三尺四方の囲炉裏には火が入っており、その灯りが草で葺かれた壁を鈍く照らしている。

 壁には丁寧に色とりどりの刺繍が施された壁かけが張り渡され、上座を囲むように飾られていた。


 サマイカチは部屋の中を値踏みするように眺めていた。

 その部屋の主になったかのように。

 口の端がわずかに吊り上がった。


 ややあって、奥側の入り口から人影がのっそりと姿を現した。


 巨漢である。


 海獺ラッコの毛皮の上着は肩が盛り上がり、たっぷりした袖の中の腕の太さが窺える。

 奥襟の中の太い首はその裡に秘めた猛々しさを匂わせていた。


 たてがみのように盛り上がった白い髪を白地に青の刺繍が入った鉢巻マタンプシで止めている。

 白く太い眉毛の下の細い目がじろりと動き、一行を見遣った。

 顎の下まで伸びた、濃く白い髭に覆われていて口の動きは見えない。


 サマイカチがぴくりと身じろぎした。


「座るがいい」

 腹に響くような野太い声で言った。

 自身は大きな白い身体をゆさゆさと揺らせながら、窓のある上座にどっかりと腰を下ろした。

 一行が下座にゆっくりと腰を下ろす。


 ハウカセの細い目が改めて一行をねめつけた。


「――で?」

 

 一言である。

 その一言だけで、一同を固まらせるには十分な重さがあった。

 サマイカチは虚勢を張るように胸を反らせた。


「これはしたり。トノは番の方のご報告を聞いておられぬのかな。我らはトノの御身を狙う一味を成敗して差し上げたと――」


「誰がそのようなことをして良いと言ったか申してみよ」


 サマイカチの話を太くよく響く声が遮った。

 気圧されたようにサマイカチが黙る。


「黒人が熊を殺したという確たる証人がおらぬならば解き放て、とカルヘカには申したはず。儂が指示したのはそこまでだ。命を狙っておるとか言う話は聞いておらん。――お前は誰に聞いた」


 うっ、とサマイカチが言葉に詰まる。

 額がうっすらと汗で湿るが顔には出さず、すぐに姿勢を戻した。

「はて? ――これは異な事を言われる。江別ユベオツではコタンの者が当たり前のように話していましたが。報告を怠るとは惣大将の怠慢ではございませんかな」

 素知らぬ顔でうそぶいた。


「口を慎め、小僧」


 低い声が響く。

 一言で全員の身体が固まった。


「確たるあかしもなく内地の者を手にかけるなど、松前に攻撃の口実を与えるようなものだ。そんな軽はずみな事を許すような者に大将は務まらん。それに」

 言葉を切ってじろりと目を動かした。

「惣大将の座は儂の推挙と流域の村長の合議で決する。異議あるならば、まずは村長を通すことだ」


 口調は静かだが、その言葉は重く、有無を言わせぬ響きを持っていた。

 一同は動けない。


「その合議の過程が、石狩の意志の決定けつじょうを遅らせている、とは思われぬのか」

 サマイカチの眉が寄る。

「その遅れがなければ、シャクシャインはむざむざ殺されずに済んだのではないのか!」


 怯む自分を鼓舞するように荒げた声はわずかに震えた。

 ハウカセは無表情にサマイカチの顔を見据えていたが、やがて目を細めてくつくつと肩を震わせ始めた。

 わらっているのだった。


「本音が出たか、坊主。――お前、本当は黒人の事なぞなんとも思っておるまい。もちろん、儂の命をどうこうなどと言う茶番も含めてだ。

 村長でもないお前に、なぜ儂が直に会う気になったのか、まだわからぬか」 


「――なんだと?」

 サマイカチが気色ばむ。


「以前より、事ある毎に儂の悪口を振れまわっておる者がいるという話を、儂が知らぬとでも思っておるのか。――見くびられたものよの」

 まだ肩が動いていた。

「背後で誰が動いているのか気にはしておったから顔を見る気になったまでのこと。――後ろの五人」

 太い指がサマイカチの背後を指さした。

「アイヌの服を着ておるがお前たち、アイヌの民ではないな。どこから来た」


 急に話を振られた五人がめいめいにちらちらと隣を見る。


「答えぬか!」


 太い声が壁を震わせるように響いた。

 一同がびくっと体を震わせた。

 髭に覆われたハウカセの口元がゆるりと歪む。

「おおかた、松前の間者に集められた陸奥あたりの食いつめ者だろう。――お前たちに口を利いたのは誰だ」


 サマイカチがちっと舌を鳴らす。

 立ち上がってすらりと剣を抜いた。


「ふん、血のめぐりのいい爺は嫌いだぜ。面倒な芝居はやめだ。お前が死ねば全部うまくいくんだ。――命はもらうぞ、爺」


 ざっ、と五人も一斉に立ち上がり、剣に手をかけた。



 ばさっ、と蔀戸がめくり上がった。


「――サマイカチとやら、そこまでだ」


 声をかけたイクルイの背後から、弓を構えたルウケシがさっと中に入り、サマイカチに狙いをつけた。

 門番に立っていた二人と五人ほどのアイヌが次々と入って来て、抜いた剣を五人に突き付ける。

 サマイカチと五人は動けなくなった。


 左右を見回してくそっと悪態をついた。

 剣を鞘に納め、腰から引き抜いて床に投げ出す。

 他の五人もそれに倣った。



 サマイカチと五人が外に引き立てられる。

 朧な陽光が雲間から広場を照らしていた。


 戸口から少し離れた場所に、デンババとイリカが並んで立っていた。


 その横をサマイカチが通り抜ける。

 目が素早く動いた。


 アイヌの一人がデンババの身長の高さにふと目を取られた刹那、サマイカチがぱっと男の剣を奪った。

 男があっと声を出した時には走り込んだサマイカチが、一番後ろにいたエマリヤの首に腕を回した後だった。



「きゃあっ!」




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