第24話【二十四】アフリカ人、旅路を行く
「いやあああああ!」
エマリヤがカンガにしがみついて顔を伏せた。
イリカはデンババに両肩を掴まれ、引きつった顔のまま、中空にぶら下がった捨三の首を見て目を見開いていた。
「く、首? ――これ、捨三、よね?」
「そうだな」
ひどく冷静な声に、取り乱しそうになったイリカは我に返ってデンババの顔を見た。
表情が全く動いていなかった。
まるで石ころでも見ているかのようだ。
カンガの顔を見る。
口元が少し曲がっていた。
笑っているのだ。
「ふん、オロンマ族を思い出すな」
カンガが鼻で笑った。
「首盾か。久しぶりに見るな」
デンババが事も無げに言った。
「――なんで二人ともそんなに冷静なの? ひ、人の首なのよ!?」
エマリヤがまだ半分裏返った声で訊く。
「ああ、首だな。――それがどうかしたか?」
カンガが白い歯を見せたままエマリヤを見返した。
毒気を抜かれたエマリヤがデンババとカンガの顔を交互に見た。
「俺たちのいた場所では、首狩りは特に珍しいことじゃなかった。俺たちマヒ族はやらないが、部族によっては敵の首を相手の前に晒して戦意を削ごうとするのはごく当たり前のことだった。たぶん似たような意味があるんだろうと思っただけだ」
デンババが茫洋と首に目をやったまま言った。
手にした棒の先で首を小突いた。
白目を剥いた恨めし気な捨三の顔が、蔓草の先でぶらぶらと間抜けに揺れていた。
それにしても、とデンババが続けた。
「油断のならん相手だな。――最初の罠にかかっていればそれでよし。かからなければかからないで前進をためらうことまで計算していて、二重に罠を張ったんだ」
イリカの立っていた場所を顎で示した。
「もちろん、そこからあの窪地が見えることも承知していたんだろうな」
イリカが手前側の足元を見た。
まだ地面に突き刺さった棒杭が立っている。
カンガが樹上に目をやった。
「おそらくはさっきの矢と似たような仕掛けだろう。窪地に向かって踏み込んでいたら芋刺しになっていたな」
イリカがぞくっと肩を震わせた。
「でも――変よ」
少し冷静さを取り戻したエマリヤがまだカンガの襟を掴んだまま口を開いた。
「あたしたちのはるか後ろに置いてきたはずの捨三の首が、なんであたしたちより前にいるの?」
ふ、と全員が黙った。
デンババがちらりと左右に目をやる。
「そうだな。――一本道を歩いてきたんだ。誰も追い越した奴はいないし、追い越された気配もない。空でも飛んだかな」
にこりともせずに言った。
月光にくろぐろと映えた山影に目を向ける。
「山を駆けるしかない、だろうな。――なるほど、『
「踏み分け道が山の方に逸れていた理由がわかったわ。――山伝いに先回りしていたのね」
「山の中を俺たちよりも早く、どうやって駆け抜けたのかな。見当もつかないが、なんにしても只者じゃなさそうだ」
イリカがデンババを見た。
「それに……捨三よ。敵は捨三とあたしたちのやり取りを全部見ていたんだわ。捨三に手を貸すこともしないで」
「最初から捨て駒にする気だったのか」
「そうよ。それであたしたちがいなくなってから――」
言葉を切った。
「どのみち、このまま先には進めない。ここで夜を明かすしかあるまいな」
デンババがぼそりと言った。
結局、四人は窪地に車座になって夜明けを迎えた。
黎明が東の地平を朱に染め、低く緑濃い木々の並ぶ林の隙間から朝の日差しが原野を緋色に染め上げていく。
イリカがふと目を開ける。
隣で腰を下ろしているデンババの肩に頭をもたせかけていた事に気づいて、ぱっと離れた。
デンババの顔を見る。
黒い顔の深い眼窩には開かれた瞳があった。
ちらりとイリカの方を向く。
イリカの頬が少し赤らんだ。
「起きてたの?」
ん、とデンババが小さく頷く。
同じように目を開いていたカンガの背中にぴったりとくっついていたエマリヤが目を開けた。
ふいと横を向く。
昨晩と同じ場所にぶら下がっている捨三の首を見て、顔をしかめた。
カンガが立ち上がって大きく伸びをする。
「出かけるか」
踏み分け道から北西側へ少し離れ、やや山寄りの原野を歩いていく。
罠を避けるためだった。
道から離れていても方角が逸れていないことには自信があった。
アフリカの原野で方向を見失うということは、即ち死を意味する。
自分の立っている位置を正確に掴めないような者に、原野に生きる資格はないのだった。
先頭のデンババが槍を地面すれすれに這わせながら慎重に歩く。
後ろにイリカが続いた。
少し距離を開けてエマリヤ、並んでカンガの順で歩いていたが、先頭のデンババが罠を探りながら歩いているので勢い歩みが遅くなる。
デンババがちらりと背後を見た。
「目的地まであとどれぐらいかわかるか」
イリカが北の彼方に目を向けた。
「どうかしら……、この早さだとあと二日半ぐらい、かな」
デンババは小さく首を動かしただけだ。
エマリヤの持ってきた粉の練り物をかじりながら。一行はさらに歩いていく。
しばらくの間、黙々と足を動かす時間が続いた。
さらに一里ほど歩くと、左手に山の斜面が迫って来ていた。
やがて西側の離れた位置にあった石狩川が、北へ大きく蛇行して右側から近づいて来ている。
左側の斜面から、ちろちろと水音が聞こえてきた。
「水だわ」
エマリヤの顔が明るくなる。
「
デンババはカンガの顔をちらりと見た。
「毒の可能性か」
カンガがぼそりと言う。
「流れている水に仕込むのは無理じゃないか」
「そうだな」
やがて二尺ほどの幅の小川が目の前に現れ、右手に広い沼沢地が開けた場所に出た。
東の中空に登った太陽に照らされ、水面がきらきらと輝いている。
流れこむ小川の澄んだ水の流れが涼やかな音を立てていた。
思わず水面に顔を近づけようとしたエマリヤの肩をカンガが掴んだ。
「デンババが確かめるまで待て」
エマリヤがびくっと体を起こす。
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