第23話【二十三】アフリカ人、見えない敵に襲われる
村を離れ、月明かりを頼りに道なき道を辿っていく。
デンババとイリカが並んで歩き、その後ろをエマリヤがカンガに守られるような位置で歩いていた。
半刻ほどが過ぎて、ほぼ一里(約四キロ)程度歩いた。
満月まであと二日ばかりであろうか、遮る雲も見えない。
山を左手に見て、距離を測って歩いているため方向に迷いはなかった。
月は明るいが、微かな踏み分け道を目で追うには少々心もとない。
一行の歩みはどうしても遅くなった。
「サマイカチというのは何者なんだ」
デンババが前を向いたまま訊いた。
「石狩流域の若い者の頭、のつもりでいるみたいな男。
イリカが道に目を落としたまま答えた。
「そいつがなぜ俺たちの命を狙う」
「異人が嫌いなのよ。自分もニヴフの癖に」
吐き捨てるように言った。
「ニヴフ?」
「ギリヤーク人のことよ。樺太の北の方に住んでる人たちだと聞いたわ。その子供なんだそうよ」
「そいつの親が親父さんと同じ漂着者ってことか。自分も異人なのに異人を憎んでいるのか?」
イリカが楢の木の小枝をぽきりと折って指先で弄んだ。
「昔、子供の頃いじめられたりしたんじゃないか、って母が言ってた。赤毛が珍しい種族らしいわね。普通だったらそこでアイヌを憎むようになってもおかしくないんだけど、なぜだか『異人がここにいるのが悪い』って考えるようになっちゃったらしいの。和人のことも嫌いなのよ」
「変わり者、なのか」
イリカが首を捻る。
「よくわからないわ。そんな感じだから、母や父に対してはやたら敵対的だったみたい。あたしは一度しか会ったことはないけど」
「長老を嫌っている、というのは何故なんだ」
「母から聞いただけだからよくは知らないのだけど、前に
惣大将だったハウカセはシャクシャインに協力しなかったのだけど、その頃まだ十代だったサマイカチはなぜかシャクシャインに心酔していて、流域の
「その
「それはどうだかよくわからないけど、サマイカチはそれ以来ハウカセの事を極端に嫌うようになったらしいわ」
デンババがふと下を向く。
「嫌っている、と言ったな。それは――殺したいほど、という事なのか」
イリカがデンババの顔を見た。
小さく頷く。
「そうなのかも。もしもそうだとしたら――なんとなく見えてこない?」
しばらく考えた。
「奴は俺たちがなぜ長老に逢いに行こうとしているのかは知らない。もしも、奴がハウカセを殺し、俺たちも殺してしまったら」
イリカが頷いた。
「長老を殺したのはあたしたち、ということになるわ。そしてサマイカチは下手人を殺した、ということができる、でしょ。――読めてきたわね」
でも変よ、といつの間にか近づいていたエマリヤが口を挟んだ。
「サマイカチが松前藩の商人に口をきいたりできるかしら? あたしにはどうもそうは思えないのだけど」
顎に手を当てた。
「捨三たちを集めた奴はきっと別にいるのよ。相手はサマイカチだけじゃないんじゃないかしら」
「俺もそう思う。例の熊殺しの一件もあるぜ。あの時俺たちをハメようとした奴と、そのサマイカチとやらは別なんじゃないのか」
カンガも頭を前に出した。
「捨三が会った、というもう一人が、たぶん鍵なのね」
イリカが横を見る。
その一瞬、デンババは冷たい風のようなものを感じた。
なぜわかったのかは後になってもわからなかった。
だがその瞬間、口を開くより早く体が動いていた。
イリカの頭と肩を押さえつけ、咄嗟に一緒に地面に倒れこんだのだ。
「きゃあっ!」
イリカが叫ぶのとひゅっと風を切る音がして複数の何かが伏せた頭の上を通過するのが同時だった。
ざくざく、と草むらに何かが突き刺さる。
カンガがエマリヤの肩を押さえたままさっと姿勢を低くする。
デンババはゆっくりと頭を上げた。
周囲に素早く目を配る。
自分たち以外に人の気配がないことを確認すると、そっと起き上がって何かが飛び込んだ草むらの中に入っていく。
「驚いたわ……どうしたの?」
イリカが体を起こした。
デンババが草の中から三本の棒を持って出てきた。
一方が鋭く尖らせており、片方には小さな羽根が付いている。
矢のように見えるがひどく短く、一尺ほどしかない。
「――え? 弓矢?」
イリカが手元をのぞき込む。
デンババが一本の矢の先端を鼻先に持っていき、匂いを嗅いでいた。
眉が寄った。
「草の根と魚の匂いが混じっている。多分、毒矢だ」
イリカも同じように鼻先に先端を持っていく。
ふんふんと匂いを嗅いでいたが、大きな碧い瞳がくりっと上を向いて、首を捻った。
「わからないわ。――すごく鼻が利くのね」
カンガが先程イリカが立っていた場所に屈みこんで草の根元を手で探っていた。
やがて、低い位置に渡された草の蔓のようなものを持ち上げた。
それを手繰っていくと、太い木の根元に繋がっており、持ち上がった根に引っ掛けられたそれは樹上へ伸びていた。
立ち上がった蔓をくいくいと引っ張る。
エマリヤが下から見上げる。
「何も見えないわ。カンガ、何か見えるの?」
カンガがもう少し蔓を引っ張ると、上の方でがさがさと音がした。
樹上を見上げて葉の間をのぞき込む。
「木の枝に結びつけてある。足元の蔓を踏むと、枝で止めた弦がはずれて矢が飛んでくる仕掛けだ。昔どこかで似たような罠を見たことがあるな」
デンババの方を向いて言った。
ああ、と頷く。
「熊の通り道だと思ってアイヌの人が仕掛けたのかしら」
「違う」
こわごわと矢を持って先端を見ていたイリカがデンババの顔を見る。
「獣を狙うなら矢は足元に向かって飛ぶ。だが、矢は伏せた俺たちの頭の上を通った。最初から胸から上を狙っていたんだ。獣用じゃない。対人用に仕掛けられた罠だ」
エマリヤの顔が強張った。
「それじゃあ……これが、捨三が言っていた『彦九』って奴の仕業?」
おそらくな、と言ってデンババは毒矢を投げ捨て、棒に持ち替えて三人を見た。
「これ以上の夜歩きは危険だ。罠が見えない。――朝を待った方がいいだろう」
「そうね……あんまり先を急がない方がいいかも」
イリカが周辺を見回す。
葉が生い茂った藪の奥を見通した。
「そこに窪地があるわ。あそこで休みましょう」
イリカが先に立って藪に分け入った。
なにかがデンババの背中を駆けあがった。
無言のまま素早くイリカの襟を掴んで自分に引き寄せた。
「きゃっ!」という悲鳴と同時に、ざざっと頭上の藪がざわめいて何かが落ちてきた。
先の尖った杭のような棒がイリカの足元に突き立つ。
同時に、蔓に結びつけられた黒い塊が、目の前に落ちてきてぶら下がった。
「きゃああああ!」
エマリヤの悲鳴が響いた。
蔓の先に結びつけられていたのは、白目を剥いて舌を飛び出させ、赤黒い血の涎を凝固させた男の首だった。
捨三だった。
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