第20話【二十】アフリカ人、少女たちと旅立つ


 コタンの中央にある広場に人々が集まっていた。

 七、八十人はいるだろうか。


惣大将カルヘカが戻ったのか」

 毛皮の服を着た年かさの男が言う。

長老ハウカセはなんと言ったのだろうな」 

 若者が隣の男に話しかける。

「黒人は逃げたそうじゃないか」

「牢から出した奴がいるらしい」


 口々に話す人々の声で、広場全体がざわめいていた。

 近隣の家からカルヘカと村長コロクルが出てきて、広場の中央で片手を上げた。


「長老からの意見を伝える!」

 カルヘカが良く通る声を張り上げる。


「黒人が熊を殺すところを見た者は申し出よ!」

 

 人々が隣人と顔を見合わせる。

 指をさす者もいるが、さされた者は首を振る。

 カルヘカが一同を見渡した。


「おらんのか? では『黒人が殺したのを見た』と言ったのは誰か! 申し出よ!」


 再び各々が顔を見合わせる。

 誰かが「ムイサシマッじゃないか」と声を出した。

 呼ばれた女性があたふたと首を振る。


「わ――わたしゃ、イハマさんがそう言ってたから……言っただけで」

 イハマと呼ばれた年配の女性に、注目が集まる。

 顔をひきつらせた女はたじろぐように数歩後ずさった。


「え……いえ……、家にいたら誰かが――誰かの声が壁の向こうからして……『黒人が熊を殺した』って……。それで、外に出たら……誰もいなくて……広場で騒ぎになってて……」

「見てはおらんのか」


 イハマはぺこぺこと頷いた。

 カルヘカが再び一同をぐるりと見回した。

 ふむ、と息をつく。


「長老からは『見た者がいるなら連れてこい』と言われた。裁きは話を聞いた上で決める、と。――もしも、見た者がおらぬのであれば、確たるあかしもなしによその者を捕えて裁くわけにはいかぬから放してやれ、とな」


「それじゃあ、他にやった奴がいる、てえことにならんか」

 一人の若者が声を上げた。

「そういう事になる。だがそれを明らかにするのと、黒人を捕えておくのとは別の話だ。我々が裁かずともカムイは見ておられよう。咎人とがにんはきっと裁かれる」


 人々が再び顔を見合わせる。

 うんうんと頷く者も数人いた。

 カルヘカがそう言うなら、という者もある。



 集まった人々の後ろで、目立たないように横を向き、ちっ、と小さく舌打ちする者がいた。


 次郎左であった。



 ※



 二尺(約60センチ)ほどに伸びた青々とした雑草が見渡す限り一面に広がっている。


 文字通りの見渡す限り、である。

 その緑色は地平線まで続いていた。


 仰ぎ見れば、広大な空は薄い雲に覆われており、日差しは鈍い。


 空と草原の広さはアフリカのそれを思わせた。

 違うのは目に映る緑の濃さと、アフリカにはあった熱を含んだ風と高い灌木類が見当たらない事だった。


 牢の前に落ちていた長い棒を持ったデンババの前を矢籠を背負って弓を持ったイリカが黙々と歩いている。

 棒の先端はやや乱雑ながら尖らせてある。

 イリカが腰に下げている山刀マキリを借りて、荒っぽく削ったものだった。


 後ろには小さな荷を背負ったエマリヤ、しんがりにカンガの順で道なき道を行く。


 前でイリカが立ち止まった。

 草でおおわれた地面をじっと見ている。


 どうした、と近づいたデンババが声をかけた。

 道が分かれてる、とイリカが言う。

 デンババが足元を見ると、踏み分けられた草の道が分岐しており、一方は山の方角に向いていた。

 顔を上げたイリカが右側を指さす。


「山へ向かう訳はないので方向はこっちで間違いないと思う。けど」

「けど?」

「左側の踏み分け跡がやけに新しいの。あたしたちの前に、この道を歩いた人がいる、という事」


 後ろのエマリヤとカンガが追い付く。

「それが何か気になるのか」

「わからない――わよね。この道を普段人が歩くことはないのよ。アイヌが川の上流へ向かう時は、通常丸木船を使うの。この道を使う人はめったにいないわ。獲物を追って山に入るのだったら、この道は遠回りすぎるの。誰が何の目的でこの方向に向かったのか、それが気になったのよ」


 デンババたちが歩いていたのは雑草の生い茂る平原の中の踏み分け道だった。

 川沿いに住んでいないイリカたち姉妹は丸木船を持っていないのだった。


「この道を真っすぐに行けば、日暮れ前には篠津シリノツコタンに着くわ。そこから先は明日になるわね。――本当に長老ハウカセに逢いに行くの?」

 デンババが頷く。

「言ったはずだ。それが俺たちがここへ来た理由だと。同じことを言うようだが、不安なら戻ってもらって構わない。方角さえわかれば、たどり着く自信はある」


「あたしたちがお邪魔?」

 少し意地悪そうな顔になる。

 デンババは少し困って、いや、別に、と言った。


「こう見えても結構役に立つのよ、二人とも、ね」

 イリカがふふっと笑った。

 肩まで伸びた銀色の髪がふわりと風に揺れた。


 デンババは一瞬それを見つめている自分に気が付いて、ふと目を逸らせ、平原の向こうに目を遣った。



 彼らが進んでいこうとしている道は、東に石狩川、西に現在で言う国道275号線が走っている位置のほぼ中間、なにもない平野である。

 石狩川沿いに遡上する方法もないではないが、大きく蛇行していることから回り道になるうえ、河川敷には水際まで樹木が生い茂っており、歩行には不向きだった。


 いつしか誰ともなく歩くようになったこの道は、元から平坦な土地であったことから、昭和の時代になってから集落配水のための水路が掘られた。

 これが現在も使用されている篠津運河である。

 運河は篠津村からさらに上流の知来乙で石狩川と合流し、国道275号線をさらに北に向かうと、浦臼を経て滝川に至る。


 デンババたちは、その滝川に向かっているのだった。



 イリカの言った通り、夕暮れが忍び寄る頃には視界の端に集落がぽつりぽつりと捉えられるようになってきた。


 わずかな湿度を含んだ爽やかな風がデンババたちの背後から吹いてくる。


 カンガが宙を睨んで鼻をひくつかせた。

 デンババがそれをちらと横目で見る。カンガがデンババの眼を見返した。


 頷く。

 デンババも頷いた。


 先頭を歩いていたイリカが立ち止まる。集落を指さした。

「ここが篠津の村はずれよ。チセの数は多く見えるけど、ほとんどが空き家なの。人は少ないわ。なるべく目立たないのを一晩借りましょう」

 デンババの方を見る。


 しばらく黙っていた。


「どうしたの?」

 村を見つめるデンババの表情は動かない。


「なんでもない。――なるべく村から遠い場所の方がいいな」

「それはそうよね。目立ってしまっては困るものね」


 集落を迂回するように歩いていくと、やがて藪の開けた山裾のやや近い場所に草ぶきの小屋が見つかった。

 外壁を葺いた熊笹の葉は黄色くなっていたが、腐ってはいないようだった。

 朽ちかけた窓をイリカがそっと開いて中を覗く。ひと気はないようだ。


「ここならよさそうね」

 蔀戸しとみどを開いて姉妹が中に入る。


 デンババは外に立ったまま、首を動かさずに素早く左右に目を遣った。


 中に入る。



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