第29話【二十九】アフリカ人、再び囚われる
草でできた小屋の屋根や壁はじきに燃え尽き、柱や梁などの軸部だけが黒く焦げてしばらくの間くすぶっていた。
四人は焼け跡がそこそこ冷めたのを見計らって、灰の中から捕えた鹿を探し出してその場で解体し、腹ごしらえした。
ほどよく火が通った鹿の肉は美味だった。
四人が食べ終えた頃、暗く淀んだ空からぽつりぽつりと雨が降り出した。
「降ってきたわね」
草原の上で足を投げ出していたイリカが空を振り仰ぐ。
デンババも上を向いた。
「ふー、食った食った、もう食えねえ。って雨かい」
地面に大の字になったカンガが空に向かって呟く。
その横ではエマリヤが残った鹿の肉を小さく切り分けて、藪から取ってきた柏の葉に丁寧に包んでいた。
「雨宿りする場所はなくなっちゃったわ」
イリカが焼け跡を見遣る。
「この先にはもう罠はないだろう。少し休んだら先へ進むか」
「そうね」
木の下で雨宿りしながら小半刻程を過ごした後、四人は再び踏み分け道を北東へ向かった。
一刻程で札比内の里に入る。
雨は上がっていた。
雲間から覗く陽は西に傾いていた。
見渡す限りの原野が、紅色に染まっていくのが見える。
デンババはアフリカの夕陽を思い出した。
村のはずれ、浦臼の山から石狩川に注ぎ込む川のほとりに彼らはいた。
現在の中小屋川である。
幅二間程の細い川で河川敷が幅十間程あった。
合流部にほど近い位置に、石で囲まれた窪地があったので、一行はそこで夜を明かすことにした。
焚火を囲んで頭を隣にしていたカンガとエマリヤはもう寝入っていた。
「――デンババ、眠れないの?」
二人の対面側で横になっていたデンババが寝返りを打ったのを察したか、同じく横になったイリカが声をかけた。
「そんな事はない」
素っ気なく言う。
「ねえ、――訊いてもいい?」
「……なんだ」
「彦九が死んでいるのを見ていた時、何を考えていたの?」
「――別に、何も」
ふうん、と頭の上で声がする。
「なんだか――悲しんでいるみたいに見えたわ」
薄く目を開いた。
「俺たちを殺そうとした相手だぞ」
そうよね、と答える。
「でも、あたしも思ったの。――この人、なんでこんな事になっちゃったんだろう、って」
少し驚いた。
同じことを考えていたのだ。
「奴は死んだ。俺たちは生きている。それだけの事だ」
あくまでもデンババの声は素っ気ない。
「そんな事、前にも言っていたわね。でも」
言葉を切った。
「今、あたしが生きているのはあなたのおかげよ」
「ついてこなければよかった、とは思わないのか」
ふふっと笑った気配を感じた。
「忘れたの? サマイカチは最初からあたしたちも殺すつもりだったのよ。ついてこなければとっくに殺されていたわ」
何も言わなかった。
「彦九だって、金に釣られていなければ、こんな死に方をしなくて済んだのかもしれない。人の命、先の事なんかわからないわ。だからこそ、出会った人との縁は大切にしたいの」
「俺にどうして欲しいんだ」
黙った。
「何も。あなたはあなたのままでいいの。あたしがそうしたいって思うだけ」
ふ、っと息をついた。
「俺といても何もいい事はないぞ」
「――じゃあ、あなたといてもいいのね?」
答えなかった。
なんだかうまくはめられた様な気分になった。
なぜか、不快ではなかった。
「デンババ」
「なんだ」
「――やさしいのね」
少し間があった。
「――もう寝るぞ」
ぶすっと言った。
「あたしも寝るわ。――おやすみ、デンババ」
※
翌日は朝から出発した。
空は晴れていた。
どこまでも広がる雄大な空をちぎれ雲がゆっくりと南へ流れていく。
四人は道をたどり、ほどなくして晩生内の地に入った。
いつの間にか踏み分け道が人がすれ違えるほど広くなり、土の見える普通の道になっていた。
道の北側には畑が広がっており、耕作地帯が山裾まで続いている。
色あざやかな稗の若葉が一面に生え、北から吹く風に揺れていた。
「ずいぶん
畑を見遣りながらデンババが言う。
「この辺りはもう
イリカが北の方を指さした。
「ちゃし?」
「砦のことよ。よく知らないんだけど、治めている領地を管理するためにあるみたい。丘の上にあると聞いているわ」
全道に五百箇所以上存在し、主に道東に多く存在するアイヌ遺跡としてのチャシの明確な用途については、現代に至っても判然としていない。
元々は「柵」「囲い」を意味するアイヌ語であるという。
規模も場所によって大小さまざまであり、祭祀に使用された痕跡のある遺跡も存在していることなどから、単に外敵の侵入を監視するためのものではなかったとする見解もある。
「なぜわざわざ訪ねていくんだ」
イリカが少し呆れたような顔になる。
「いきなり長老のいるところへ乗り込むつもりだったの? 石狩アイヌの惣大将の、さらに上の人なのよ。 門前払いされたいの? 仁義を切りに行かなきゃ通してくれないわよ」
ふむ、と納得する。
「あそこに人がいるわ。場所がどこだか訊いてみましょ」
指さした先に畑に屈みこんでいる人影が目に入った。三人いる。
四人が近寄っていくと、道側で草をむしっていた一人の男が顔を起こした。
ぎょっとしたような顔になる。
他の二人に声をかけていた。
二人が四人の方を指さす。
「
この数日でデンババとカンガはアイヌ語のあらましの意味をつかんでいたのだ。
イリカが髭もじゃの男に近寄る。
男が警戒するように少し下がった。
『仕事中にごめんなさい。
イリカがアイヌ語で話しかける。
男の目が大きくなる。
他の二人と顔を見合わせた。
二人が首を捻っている。
男が不思議そうな目をイリカに向けた。
『チャシ? 本当にチャシへ行くのか?』
『そうだけど……。何か変かしら』
イリカも不審な顔になる。
男がふるふるとかぶりを振った。
『い、いや、なんでもない。チャシへ行くんだな。いいんだ』
男が示した方向へ四人は歩き出した。
イリカが
「――何か様子が変ね。あたしたちがチャシへ行くのがそんなに不思議なのかしら」
「黒人、と言っているのが聞こえたよな。珍しいのかな」
後ろに続くカンガが頭に手を組んで呑気に言う。
デンババはうん、と言ったまま黙った。
何か変だ、というのは同感だった。
札幌方向から国道を北東方向へ向かう。
晩生内川を超え旧国鉄札沼線晩生内駅に至る道の手前を西に折れ、農道を再び国道に沿って北東方向に向かうと、やがて開けた農地の左手に小高い丘が見えてくる。
そこに現在も遺跡の残る、通称「晩生内一号チャシ」があるのだった。
丘の北側は低い山が連なっている。
南側は傾斜の急な斜面だ。
南側方向から見ると、丘はそこだけが土塁のように突き出している状態である。
頂きに立てば北以外の三方を見渡せる形状になっているのだった。
四人は麓にたどり着いた。
イリカが頂の方を見上げる。
鬱蒼と木々が生い茂り、中の様子は外からは見えない。
木の間から、高さ九尺ほどもある木柵がわずかに見えた。
「入口はどこかしら」
ふんぞり返るように見上げながら、エマリヤが呟いた。
「入口があったら砦にならないじゃない。ここを登るしかないんじゃないの」
「中にいる奴にだって出入口は必要だろう。北側の山の上からなら入りやすいかもしれない」
麓を大きく迂回して北側へ回る。
丘の南側ほどではないが、傾斜は急だった。
デンババが槍を杖にして先に登る。
後ろからイリカ、エマリヤ、カンガの順に斜面を登って行った。
「きゃっ!」
途中でエマリヤがずるっと足を滑らせる。
後ろに倒れそうになったが、カンガが軽々と支えた。
「危ないなあ……ありがと、カンガ」
「どういたしまして」
にっと歯を見せた。エマリヤも微笑む。
山の中腹に至って南側に目を遣ると、丈の高い柵が見えるようになった。
南側へ下がると、丘に続く細い道がある。
そこから丘に向かった。
北側の斜面を少し登ると目の前にがっぽりと土が抉られた深い壕(ほり)が現れた。
周囲を注意深く見回すと、端の方に壕にわたされた土橋があった。
そこを渡り、再び斜面を登る。
もう一つ壕がある。
外側の壕よりさらに深い。九尺はあるだろうか。
「かあ、まだあるのかよ。遠いな」
カンガがぼやいた。
「砦、と言われるのもわかるわね。ここを外から攻めるのは大変かもしれないわ」
イリカがデンババの方を見る。
デンババは北の斜面を見つめたまま動かない。
「どうしたの?」
デンババが無言で斜面を指さした。
「あれは何だろうな」
「――どれ?」
イリカが先を見つめる。
「縄が張ってある。見えるか」
頭を左右に動かす。
「よく見えないわ。――あ、あれ?」
イリカも指をさす。
北側の山の斜面に生えた高い松の木から、砦の方向に向かって一本の縄が伸びていた。
樹木の枝葉に隠れているので、下から一見しただけでは簡単には見えない場所なのだった。
「何かしら……。わからないわ」
「とりあえず先へ行こう」
なんとなく後ろを気にしながら、デンババが先に向かった。
壕を超えた先に、今度ははっきりと見える高い木柵が行く手を遮っていた。
「やれやれ、やっと着いたか。――入口があるよな、たぶん」
カンガが上体を膝に預けて息をつく。
エマリヤが左右を見回した。
「あそこに柵が入れ子になってるところがあるわ。あそこじゃないかしら」
イリカを先頭に四人が回り込む。
交互に食い違った柵を通ると目の前がいきなり開けた。
そこに七人の男たちが並んでいた。
あ、と不意を突かれてイリカが固まった。
五人が片手に抜いた剣を下げており、二人が弓を構えている。
男たちが目の前に剣を突き付ける。
四人は動けなくなった。
「オショキナイへようこそ。――俺はイクルイ。わざわざ出向いてくれるとは、ご丁寧な刺客もいたものだな。――武器を捨てろ」
鹿皮を羽織った体格のいい男が抜いた剣をデンババに向けた。
なにか絶望的な誤解があることはわかったが、とりあえず槍を手放した。
「――どういうこと?」
肩から弓を外して下に置きながらイリカが険しい目つきになる。
「言い分があるなら後で聞こう。――縄を打て」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます