第36話【三十六】アフリカ人、江別に戻る
お待たせ、と言ってイリカとエマリヤがハウカセの
今までのいきさつを知りたがったイクルイに捕まっていたデンババが振り向いた。
「長かったな。長老と何を話していたんだ」
「まあ、ちょっとね」
イリカがいたずらっぽい顔になって微笑んだ。
銀の髪をかき上げる。
「ま、とりあえず終わったわね。大変だったけど」
エマリヤが首を振った。
「ううん、まだ終わっていないわ」
※
旬日後、
広場に村人たちが集まっていた。
「
「また何か長老からのお達しかな」
「内地から人が来てからなにかと騒がしいねえ」
人々が口々に呟く。
そんな群衆の一番後ろに次郎左はいた。
ざわつく群衆をぼんやりと他人顔で見ている。
(ふん、そろそろサマイカチの動きが表ざたになる頃かな)
(ハウカセが死んだとかの話だったら面白いんだが)
想像して思わず口元がにやついた。
家(チセ)から村長とカルヘカが出てくる。
その後ろから銀色の髪の娘と背の高い黒人が続いていた。
娘は手に長い棒のようなものを持っている。
(ん? 娘も黒いのも生きてやがるじゃねえか。ちっ、サマイカチの奴、どじ踏みやがったか。――まあいい、おいおい次の手を考えるか。おや? あの棒、どこかで見たような――)
「皆の衆、静まれ」
カルヘカが両手を上げる。
ざわめきが徐々に静かになる。
「コタンパのエマリヤ、ここへ」
娘を中央へ招き入れる。
娘が手にした棒を差し上げた。
「みなさん、この銛の先に血がついています。どなたか味のわかる方、舐めてみていただけますか。毒ではありません」
急な申し出に人々が顔を見まわす。
カルヘカが集団の端にいた中年の男を指さした。
「ハワシ、お前は猟師をやって長かろう。舐めてみよ」
呼ばれた男が自分を指さし、周りを見る。隣の男たちが頷いた。
ハワシが前へ出る。
娘から銛を受け取ると、先端を口元へ持っていき、恐る恐る舌を出した。
ぺろりとひと舐めする。
しばらく黙った後、眉根が寄った。
「こりゃあ――熊の血だな。間違いねえ。だが、銛で熊を突く奴なんかいないと思うが――」
「そうです。銛で熊を狩る人はいません。だとすると、これに熊の血が付いているのはなぜでしょう」
よく通る声が響く。
まさか、と言ってハワシがエマリヤの顔を見る。
エマリヤが頷いた。
「これが、イオマンテの熊の血だからです」
え、と次郎左の顔が固まった。
(あれは――。なぜあいつが)
なんだって、と人々がざわめく。
カルヘカが進み出る。
「エマリヤ、この銛をどこで見つけたか、言ってみよ」
娘が群衆の方を向く。
視線が動き、次郎左の顔を見ると、真っすぐに銛の先端を向けた。
「ジロンザ。彼の家の裏手で見つけました」
群衆が一斉に次郎左の顔を向く。
次郎左の顔がみるみる蒼ざめた。
「う、嘘だ。お、お、俺じゃねえ! 俺のじゃねえ!」
声が裏返る。
次郎左に突き付けられた銛は動かない。
「無駄よ、ジロンザ。カンガの鼻は獣の血の匂いがわかるの。あなたが何をしている人かは聞いたわ。イオマンテの熊が死んでも困らない人。水戸との話がうまくいくと損をしそうな人。松前とつながりがあって、
内地のごろつきに口を利けそうな人。あなたしかいないのよ、ジロンザ。――熊を殺したのは、あなたね」
群衆の、全員の目が険しくなる。
次郎左が後ずさった。
村人の全員が一歩、また一歩と次郎左に迫って来る。
また後ずさる。
次郎左の中で、何かががらがらと音を立てて崩れ落ちた。
(夢。俺は王。石狩は――俺の)
人々が迫って来る。
次郎左を睨みつける冷たい目、目、目。
ついに取り囲まれた。
「やめろ――やめてくれ。俺は、お――うわ、うわああああああ!」
※
「――詳しくは長老に
男たちに引きずられていく次郎左を見遣りながら、カルヘカが言った。
「松前にでも行くことになるのかしら」
エマリヤがぽつりと言う。傍らにはデンババとイリカも立っていた。
カルヘカが首を捻る。
「どうかな。松前藩につながりがあるとすると、奴が口を開くと困る者も出てくるのではないかな。松前にもいられるかどうかはわからんな」
「目先の欲に目が眩んだのかしら。――哀れな人ね」
エマリヤが少し寂し気に言うとイリカが首を振った。
「あいつのおかげでこっちは散々な目にあったのよ。――自業自得だわ」
相変わらずデンババとカンガには何の表情もなかった。
遠ざかる群衆に目線を投げているだけだ。
「今度こそ終わったわね」
イリカがデンババの傍に立った。
そうだな、と呟く。
「船に戻るの?」
ああ、と頷く。
「役目は終わったからな。後は帰って殿様に報告するだけだ」
ふうん、となんとなく煮え切らない表情になる。
「これからどうするんだ」
イリカの顔を見た。
「ん、とりあえず、家に帰るわ」
なんとなく唇を尖らせている。
デンババは頷いただけだ。
イリカがその顔をちらりと横目で見る。
「――他にはなにも言う事はないの?」
デンババの目が怪訝な色になる。
イリカがぷいっと横を向いた。
「ううん、なんでもないわ。――エマリヤ、行くわよ」
カンガの傍にいたエマリヤが振り返る。
「あら、待ってよ。――じゃあね、カンガ」
片手を上げて歩き出す。
お、おう、とカンガもなんとなく拍子の抜けた声になる。
二人は手を振って村はずれに抜ける道を歩き出した。
デンババとカンガは茫洋とそれを見送っていただけだった。
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