第15話【十五】アフリカ人、牢で思案する
デンババは暗がりの中で顎に手を当てた。
考え込む。
どうも事の成り行きがよくわからない。
『あの檻の中にいた獣が死んでいたのと関係があるのかな』
カンガが膝頭に乗せた腕をぶらぶらさせながら言った。
うむ、と答えながらも首を捻る。
広場の真ん中に組まれた高床式の檻。その中にいた黒い獣が動かなくなっていたのだ。
『キムンカムイ、と言っていたな。あんな所に祭ってあるように置いてあったんだ。おそらくは大事なものだったのじゃないか』
カンガが頷く。
『「いおまんて」と口々に言っていた。祭祀か催しかなんかの名前かな。あの獣はそのための
『祖霊に捧げるための
『ああ、あれか。――あれは完全な言いがかりだ。レンボイ族のまじない師がマヒ族の呪いで生贄の牛が死んだ、といちゃもんをつけてきたのがそもそもの発端だった』
『この国でも似たような考え方があるのかもな。だが問題は』
言葉を切ってデンババは岩の天井に目を向けた。
『――なんで俺たちのせいになったか、だな』
カンガが言葉を引き継いだ。
そうだ、と言ってデンババは腕を組んだ。
牢の入り口を見遣る。
『ぶち破るか』
カンガがぼそっと言う。
組まれている枝は太いが、カンガの腕力をもってすれば破壊するのは造作もないだろう。
だがデンババは首を振った。
『今はまずい。――ここの人たちはなぜだか知らんが俺たちの仕業だと思っている。牢を破れば敵対したと看做されるかもしれん。そうなったら交渉は決裂する。殿様との約束は果たせない』
ううん、と唸ってカンガは頭を掻いた。
『しかしこのままじゃ埒が明かんぜ。ここでおとなしくしてたって罪を認めているんだとも思われかねんのじゃないか』
待つんだ、とデンババはしばらく間を置いてから言った。
『船長も動いてくれているはずだ。今は待とう。まだここへ来てから三日しか経ってないんだ。ブッシュでの狩りのことを思いだせ。獲物を十日待った時もあっただろ』
灼熱の荒野の只中で、ひたすらに獲物を待つ日々。
今は遠い昔のような気がした。
だが、こと原野での忍耐力にかけては、ブッシュでマヒ族の右に出る
カンガは頷いた。
※
「いつまであの二人を牢に入れておくおつもりなのか」
鹿皮の服を着た年かさの男はもじゃもじゃと伸びた長い髭を撫でながら、草で編まれた壁の方を見ていた。
惣大将のカルヘカである。
「
低い声でぼそっと言った。
「船員たちが熊を殺したという証拠はおありなのか」
カルヘカの細い目がじろりと市内の方を向いた。
「背の高い黒い人影を見た、という証言があったと聞いている。熊(キムンカムイ)がいなくては
市内の太い眉がぎゅっと狭まった。
「我々はこの土地へ来たばかりだ。伝旙たちだけではない。我々が祭祀を汚す理由は何一つないと思うが、いかがか」
「理由に興味はない」
カルヘカがぴしゃりと言った。
「いつだって
騒乱の終息に当たり、松前藩が設けた和議の席でシャクシャインが謀殺されたことを言っているのだと理解するのに、少し時間がかかった。
シャクシャインの乱からそれなりの年月が経っているにもかかわらず、その記憶はアイヌの人々に対して相当な痛みをもたらしたものであったことを市内は思い知った。
「
「乱を収めるにあたっては、内地の藩からも大勢の兵士がやって来て
冷たく言い放った。
市内が考えを巡らせている間の沈黙を、これ以上の異議なしと受け取ったのか、カルヘカがゆっくりと立ち上がった。
「交易の話は一時預かる。この騒ぎが決してから改めて考えさせてもらうことにする。今日はお引き取り願おう」
ぐっ、と市内は唇を噛んだ。
※
滑り出しは順調だった。
石狩川の河口には、松前藩の商船が出入りする関係か、古いが割としっかりした造りの船着き場があり、二艘の伝馬船に分乗した乗組員たちは無事上陸を果たした。
河口から船で遡った場所にある集落を訪ねて来意を告げ、惣大将への取次ぎを頼むと、自ら丸木船を出して案内してくれる歓迎ぶりだった。
今回が三度目の航海となる船員も複数おり、アイヌ語に通じている者もいたうえ、石狩アイヌそのものは古くから弘前など内地との交易を行ってきたことから
内地の言葉に慣れている者も多数いたため、意思の疎通はたやすかった。
最盛期には石狩川流域、
・日高北部から胆振東部一帯のシュムクルと並び、蝦夷地アイヌの中でも屈指の規模であったという。
拠点となっていたのは、石狩川中流域であり、ハウカセの
アイヌの人々は川を中心にして村同士の交流・連絡を行っていた。上流域への交通路は主として水運によるものである。
だが、陸路によって上流へ上っていく経路は必ずしも石狩川本流に沿っていたわけではなかった。
河口付近こそ本流とは離れているが、江別から滝川に至る経路は、現在の函館本線と並行する国道12号線と一致していたものと見られている。
主体となる集落は札幌・江別から浦臼にかけての一帯であった。
居住しているアイヌの総数は数千人と言われている。
事件は江別のとある
上陸してから二日目の夜、乗組員たちは夕方になると一旦船に戻り、そこで夜を明かしたのであるが、翌日になって再び
広場のほぼ中央、三尺四方程の檻の中に捕われていた小さな熊は動かなくなっており、高くなった床の下の地面には赤黒いシミができていた。
槍のような獲物で突き殺されたのは明らかであった。
「
「誰だ」「誰の仕業だ」
「
「
「
広場に集まったアイヌたちが顔を見合わせて、口々に叫ぶ。
「
口の周囲に黒い入れ墨を入れた年配の女性が叫んだ。
「本当か」
「見た人がいると誰かが言っていた!」
「黒人」
「黒人だ」
アイヌたちの顔が、一斉に乗組員たちの方に向いた。
頭一つ飛びぬけて背の高い二人に、その目は向いていた。
「あいつだ」
「あいつらだ」
「あいつらが
一斉に叫びだすアイヌたちに取り囲まれて市内たちはどうすることもできない。
棒や
やがて惣大将のカルヘカが現れ、人々の話を聞くと、
「この者たちは預かる」と市内たちに告げた。
二人は他の乗組員たちと引き離され、気が付いた時には既に牢の中に入れられていたのだった。
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