第7話【七】アフリカ人、水戸へ移る(前編)  


 黒い石を彫りぬいたような顔の黒人二人は、光圀たちを無表情に見つめていた。


 こんな目の色をした男をどこかで見たな、と助三郎はおぼろげに思った。

 少しの間考えて思い出した。いつか昔、どこかで出会った渡世人だ。


 自分の足が地獄を踏みしめていることを知りながら歩みを止めることもできず、いつしかそれに慣れてしまった顔だった。


商館長カピタン・ヨング、このお二方は――どなたじゃな」


 運び込まれた巨大な宝石には目もくれず、しばらく二人の黒い男を興味深そうに見つめていた光圀が口を開いた。

 商館長カピタンは男たちをちらりと見て、すぐに光圀に顔を戻した。

『オー、ミツクニコウはアフリカ人を見るのは初めてですか?』

 ヨングの言葉を南方みながた嘉門が通訳した。


「あふりか人……?」

そうですダー・クロプツ、いつもなら下働きの者を連れてくることはないのですが、年々荷物も多くなりまして手伝いが要るようになってしまったものですから、今回は連れてきました』

「ふむ、以前長崎で同じ肌色の方を見かけたことはありますが、こう間近でお目にかかるのは初めてですな。――商館の雇い人の方、ですかな」

 ヨングは首を振った。

『いえ、商館としてではなく、私が個人的に買ったものです』


 光圀がかすかに眉を寄せた。

「買った? ――『アフリカ人』は売り買いする『もの』なのですかな?」


 そうです、とヨングは当たり前のように言った。

『かねてから知り合いだった船長が、結構使えそうな黒人が手に入ったが買わないか、と声をかけてくれましてね。事務所の方も手が足りなかったのでちょうど良いかなと思って購入しました』

「その――船長氏はどのように手に入れられたんですかな」

 ヨングは少し怪訝な顔になった。

『アフリカの港で普通に売っていると思いますよ。あちらでは一人一人ではなくて、船一艘分とかの価格だと思いますが。確か現地にはそれ専門の会社ベドライフがあるとかでしたかな』


 あの、とヨングの言葉を訳してから南方が光圀に顔を寄せ、耳元で囁いた。


「昔長崎で少しだけ黒い肌の人と話す機会があったので訊いてみたことがあります。その人はこう言っていました――『好きでここにいるのではない。捕らえられたのだ』と」

罪科つみとがもなく、か?」目だけ鋭く動かしてぼそっと呟く。

「そのようでした」


 光圀が無表情になった。

 人の悪事を聞いた時の顔だ。助三郎はそう思った。


 ――罪もない人間をかどわかして売り買いとか、やっていることが山賊や女衒ぜげんと変わらんではないか。何が西欧の進んだ文化だ。


 助三郎は無表情のまま鼻白んだ。

 おそらく光圀が同じ思いを抱いているであろうことはおおむね察しがついた。


 しばしの間の後、いきなり光圀はかっかっか、と破顔した。


 ヨングと長崎屋源右衛門、もう一人の白人もだが、助三郎たちもしばし固まった。

 いやいや失礼、とまだくつくつと笑いながら光圀が右手を上げた。


「――妙案を思いついたらつい愉快になってしまいましてな」

 言ってから、ヨングの顔を真っ直ぐに見据えた。


「今回の金の使い道が決まりましたぞ。いかがかな、カピタン・ヨング。――この黒いお二方を水戸へ連れて行きたいのじゃが」


 通詞が一瞬絶句してから訳した言葉を聞いたヨングの目が大きくなった。

 オゥ、と息をついたまま顔が固まる。少しの間黙った。


 二人の黒人の方をしばし見ながら、銀色の髭の生えた顎に手を添えた。

 光圀の顔をちらと見る。

『うむ――弱りましたな。こちらとしても必要な労力なのでちょっと困るのですが……。元々売るために連れてきたわけではありませんので……』

 困った顔をして見せる。


 光圀が口の端を上に曲げた。

「カピタンは金子きんすをお使いになって手に入れられた。この光圀が使えぬという道理はありますまい」

 光圀の顔は笑っていたが、目が笑っていない。


 ヨングが少したじろいだ。

『そう――ですな。……他ならぬミツクニコウのご希望とあれば、考えざるを得ませんな』

 値踏みするような目つきになった。


 金になると踏んだ途端に欲が出たのだろう。下種げすな男だ。助三郎はヨングの顔を見つめた。


『少々お高くつくものになりますが――構いませんか』

「言い値で結構じゃよ」

 光圀がぴしゃりと言った。


 それまで部屋の隅で置物のようになっていた中年の同心二人がそわそわとし始めた。

 こそこそと耳打ちし始める。

 警護役の検使は廊下にいるので室内の話は聞いていない。


「あ、あの――」と腰を浮かせて一人がおずおずと手を上げた。

 長崎屋が歩み寄って小腰をかがめた。

「何かございますか?」

「いや――何かじゃなくて……今の話は人を売り買いする、ということではないのか。つ、通常と異なる取引は……その……困るのだが……」

 同心の一人がちらちらと光圀の方を見る。


「控えおろう! 徳川光圀公の御前であるぞ! 仰せに異議を挟むとは分をわきまえよ!」


 格之進が一歩踏み出してよく通る声で一喝した。

 へへえっ、と同心は一瞬にして小さくなってひれ伏した。

 もう一人がおどおどしながら首を上げ下げする。


「いえ……決してそのような……ただあの、通常でないことがあるときは……その、大目付様にお伺いをお立てしないと……私どもの、その、落ち度に」

「ならばその大目付をここに連れて参れ!」


 格之進が被せると同心がひええっと言ってこちらもひれ伏した。

 縮こまって震えだす。


 天下の光圀公の前で大目付に恥をかかせたとなれば良くて降格、悪くて切腹ものである。

 同心が蒼くなるのも無理はなかった。


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