第12話【十二】アフリカ人、水戸から船に乗る(後編)
「――儂からの命はそれだけじゃ、なにか訊いておきたいことがあれば申すがよい」
光圀が言葉を切って二人を穏やかな顔で見つめた。
デンババとカンガがちらりと視線を合わせた。
デンババはしばらく考え、やがて塑像のような顔のまま口を開いた。
「北の者、アイヌ、殿様やミナガタサンたちとは違う部族、なのですか」
光圀も少し黙った。
「部族、か。お主ららしいの。そうじゃな。多少の差はあるかもしれん。だが同じこの国の民じゃ」
この国、と言ってデンババは少し間を置いた。
「私たちの国、違う部族、品物交換したりするつきあい、あります。でも、多くは違う部族、争う。水出る池、獲物多い森、どっちの場所、決められない、争い起こる。血を流す戦いなる。ここ同じ国の民、違う部族、争い、起こらない、ですか」
「戦国の世ではないので国同士の戦いは今はない。国の中での諍いはないではなかろうが、――何が言いたい?」
デンババの顔は微動だにしない。
「私たち、違う国の人。私たち行く、争い、起こらないか、わからない。争い、起こる。私たち、戦う。それで良い、ですか」
ふむ、と光圀が眉を寄せた。
「あくまで、我々は商い取引に行くのじゃ。戦いは極力避けねばならん。だが人と人との間の話じゃ。争いごとが起こる可能性はいつでもあるじゃろうの」
少し言葉を切った。
「争いが起こった時、戦う、戦わぬはお主たちの判断に任せる。ただし、いかなる場面になったとしても、相手を殺してはならん。殺せば遺恨が残る。遺恨は早々に消すことはできぬ傷となる。傷を負わせた者が忘れても、負わされた者は忘れることはない。それは商いをする者にとって決してよい結果をもたらさぬ。もう一度申しておく。――殺してはならぬ。よいか?」
「たとえば、相手、私たち殺そうとする、それでも、殺さない、ですか」
光圀が頷く。
「そうじゃ」
デンババとカンガが顔を見合わせた。
おそらく同じ思いなのだろう、とデンババは思った。
カンガが口を開く。
「白い人たち、私たちを黒豚、と呼んだ。船の中で、私たち、扱い、ケモノと同じ。死んだ者、いっぱい。皆、ゴミのように海に捨てられた。私たちは、人、ではなかった。人と人、殿様言う。私たち、人、なのか、人と呼ばれて良いのか。私、今も時々、わからない、なる」
光圀が頷いて腕を組んだ。小さく息をつく。
「無理もなかろうな。突然捕らえられて見知らぬ国へ連れてこられて売り買いされたのではな。だが、ここではお主たちをそう見る者はおらん。少なくとも儂は、な。儂はお主たちを金で買ったのではない。お主たちの力が欲しいから、仕事をしてもらうために雇ったつもりじゃ。だからこそ禄も払っておる。――お主たちは立派な水戸藩の人間じゃよ」
カンガが少し視線を逸らせた。
「あの時、力があったら、白い服、殺していた。私たち、豚扱いした白い人、今も憎い、です。殿様、違う。でも北の国の人、私たちを人と見ない、かもしれない。それでも、殺さない、ですか」
光圀が頷く。
「人が人を捕らえ、獣のように扱い、あまつさえ売り買いするなどということは、あってはならない。儂はそう思う。故事に『一木一草みな理あり』と言う、と言ってもわからんか……。天の
カンガが首を捻った。光圀がはっはっは、と笑う。
「わからぬの。それは仕方がない。今はそれでよい。ただ儂が命じた。だから守る。それだけでよいのじゃよ」
少し間を置いた。
「これだけは覚えておきなさい。今のお主たちは、もう奴隷ではない。儂が雇った、儂の部下じゃ。水戸藩の人間として行動をせよ。相手に対した時は、おのれが水戸藩主、儂の代わりにそこに立っているということを忘れないようにするのじゃ」
はっ、とカンガが頭を下げる。
今度はデンババが口を開いた。
「もう一つ、知りたいです。――なぜ、私たち、なのですか。ササキ様、アツミ様、他にもすぐれた人、たくさんおられる。なぜ、私たち、その役目、しますか」
光圀が鷹揚に頷いた。
「家臣たちからも同じことを訊かれておるよ。万一失敗に終わっても、家の傷が浅くて済むから、と彼らにはそう答えておる。まあ、冷たい男だと思われておるかも知れぬがの」
「違う、のですか」
首を振った。
「先も申したようにお主たちはもう奴隷でも、道具でもない。儂の部下じゃ。大事な部下を使い捨てなどにしたりはせぬ」
「では、なぜ?」
「好むと好まざるとに関わらず、お主たちは『外の国の人間』じゃ。儂は松前とやり取りしていて以前から思っておった。もしかしたら、蝦夷の人間たちは、自分たちの事を『この国の者』だとは思っておらんのではないか、とな。
もしも儂の考えが当たっていればだが、今回の交渉には『外の国』の目を持つ者が必要なのではないか、と思ったのだ。――それがお主たちを選んだ理由じゃよ」
「外の国の、目……」デンババがぼんやりと繰り返した。
光圀が頷く。
「お主たちにとってこの国がどう見えたか、思い出してみよ。蝦夷の人々が、我々の国をそう見ているかもしれぬ、という事じゃよ」
デンババはふ、と考えを巡らせた。
この国。
環境、風土。気候。
自分たちの生まれた国とは、あまりにも違う。
同じ国でありながら、違う国の目を持っている、という事なのか。
ならば、俺たちにもできることがある、はずだ。
光圀の言わんとする事をぼんやりと理解した。
わかりました、とデンババは答えた。頭を下げる。
「ご下命、いかにても果たします。――命に代えましても」
光圀がほう、と唸ってにやりと笑った。
「――誰に習った?」
デンババが顔を上げた。
「ササキ様に。何か命じられて困ったら殿には、こう申し上げろ、と」
光圀がわっはっはっは、と高笑いした。
※
翌年、貞享五年(元禄元年)二月(1688年3月)某日、晴天の元、微風の中を巨大な帆を張った快風丸は、一路蝦夷地を目指して三度目の航海に赴くべく、那珂湊を出港した。
全長三十七間(約53メートル)、幅九間(約18メートル)、帆柱長さ十八間(約33メートル)の威容を誇る、現況では日本最大の船である。
船長崎山市内以下船員六十五名。
港で大勢の人々が見送る中、船員たちが手を振って見送りに応えていた。
その中に、石像のように動かないデンババとカンガの姿もあった。
かくて、ここにアフリカ人が史上初めて、蝦夷の地を踏むこととなったのである。
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