第31話【三十一】アフリカ人、逆襲する


 夜。


 霞のような薄雲が空に切れ切れにかかっていたが、月は明るい。

 じいじい、ちりちりという虫の声が時折する。


 虫が鳴き止むと再び静寂が山を包む。


 砦の北側の山、頂から一人、また一人と人影が下りてくる。

 やがて五人の影が一本の松の木の根元に集まった。

 全員弓を背負っている。


 木の幹に巻いた縄を輪にして両手で掴み、松の木をするすると登っていく。

 上にたどり着くとそこには砦まで渡された縄がある。

 腰の縄を輪にしてかけ、体重を移動させながら縄を伝っていく。


 五人が次々に縄を伝って砦に到着した。


 入り口の際まで音を殺して走る。

 柵の切れ目に達して左右に分かれた。

 全員が弓に矢をつがえる。


 二人が弓を構えたまま同時に飛び込んだ。

 後に三人も続く。


 広場には人影はない。


 中央の焚火はまだ燃えていた。

 男たちの緊張した顔が炎に照らされる。


 展開した三人のうち二人が小屋の戸口の脇に背中をつけた。

 一人がさっと戸をめくって、もう一人が弓を構えて部屋の中を向く。


 小屋の中には誰もいない。


「――なにっ!?」


 もう一人が別の小屋の戸をめくる。

 こちらももぬけの殻だ。


 広場の端に向かった一人が走って戻る。

「おい、黒人どももいないぞ」

「なんだと!? そんな馬鹿な!」


 もう一人が駆け寄る。

「あっちの小屋も誰もいないぞ。どういうことだ」

 左右を見回す。

 五人が広場の中央に集まった。


「奴らが確かに砦に入ったのを俺は見てた、間違いない」

「じゃあなんで誰もいないんだ」


 蓑を羽織った一人が首を捻る。


 その首にぶつっと矢が刺さった。

 首を押さえて男がくずおれる。

 え、と言って振り向いたもう一人の胸元にも矢が突き立った。


 残った三人が顔を上げ、矢が砦の上から飛んできた事に気づいた瞬間、外柵に立てかけられた板の列の裏側から、五人のアイヌたちが一斉に彼らに襲い掛かった。


「ぎゃっ」「ぐわあ!」

 イクルイの剣が一人の喉を水平に断ち切る。

 後の二人も左右から剣ごと体当たりしてきたアイヌに脇を抉られ、おめきながら倒れた。


 広場が再び静かになった。


 アイヌたちが集まってむくろを取り囲む。

 板の陰からデンババたちがのっそりと姿を現した。

 女性たちははあらかじめ砦から逃がしてあったのだった。


「驚いたな――本当に襲ってくるとは。メノコの言ったとおりだ」

 弓を下げたアイヌの一人が信じられない、といった顔で呟く。

「むう……」

 イクルイがひゅん、と剣を一振りして鞘に納めると渋々、という風情で頷いた。


 エマリヤがそんなイクルイの顔を下からのぞき込む。

「これで信用してくれる気になったかしら?」

 イクルイはばつの悪そうな顔になって視線を逸らせた。

「べ、別に信用したわけではない、が。ま、万一を考えただけだ」

 あらそう、とエマリヤが白い目になった。


 カンガが倒れている男たちの顔を改めている。

「こいつとこいつはこないだの夜もいた奴だな。後は見ない顔だ。あの時足腰立たないようにしとけばよかったかな」

「新手を呼んだか。――しかしそう頭数は揃わないんじゃないか。内地からそんなに多くのメンツを集められるとも思えん」

 デンババが言うとイリカも頷いた。

「大勢が動いたら目立つものね」


 しかし、とイクルイがデンババの顔を見る。

「まだよくわからんのだが、そのサマイカチとやらは長老トノを狙ってどうするつもりなんだ? 自分がトノに成り代われるとでも思っているのか?」


 思ってるみたいね、とエマリヤが言う。

「ここで砦の人全員とあたしたちを始末して、北見へ乗り込んで『チャシの人は黒人に殺されたが俺が仇を討った』と吹聴する。北見の人たちは警戒を解いて油断するわ。そして長老をばっさり」

 剣を振り下ろす真似をした。


「そこまではさっきも聞いたが――それをやって誰のせいにするんだ」

「もちろん、黒人の仲間がまだいた、と言えばいいのよ。で、その場で誰か適当な人を血祭りにあげて、家に火を放てば『下手人は俺が始末した』という話の出来上がりよ」

「し、しかし――それでは、惣大将カルヘカが黙っていないと思うが……」


 そうよね、と言ってエマリヤが指を一本立てた。

「でもそこで『こんな事態になったのは黒人を見逃したカルヘカのせいだ』と数人が騒ぎ立てたらどうなるかしら」

 イクルイの目を見る。

「――人のいいアイヌの人たちが騙されなければいいんだけど」


 イクルイの顔がみるみる蒼ざめた。

「――大変だ」


「そう。もしも北見の人たちが口車に乗せられてしまったら、下手をすると石狩アイヌは分裂するわよ。内紛になるかも。サマイカチをかしらにしよう、なんて声が出てきたら、あいつの思う壺なんじゃないかしら」


 聞いていた他のアイヌたちが顔を見合わせる。

 イクルイが落ち着きなく周囲を見る。

「今から追いかけて間に合うのか……」


 エマリヤが少しの間考えていた。

「おそらく……まだ間に合う、と思うわ。サマイカチはあたしたちがここへ入るのを自分で見届けていたんじゃないかしら。それがなければすべては始まらないから。

あたしたちがここへ入らなければ計画は見直ししなければならなくなるもの」


「かかって一日、ぐらいかしら」

 イリカもデンババを見る。

「走らないと駄目かもしれんな」


「儂らの舟を使おう」

 アイヌの一人が言った。「走るよりは速い」

「それしかないな。――よし、時間が惜しい。ルウケシ、お前が付いて来い。後の者は砦を守れ」

 イクルイが指示する。


 

 砦から川べりまでは約半里である。


 月明かりを頼りに、四人とイクルイ、ルウケシと呼ばれた若い男の二人は石狩川にたどり着いた。



 丸木をくりぬいた二艘の舟に分乗して、男手二人ずつで竿をさし、急いで河を遡り始めた。





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