狐憑き

 「卯月渚杜、だと? 貴様はあの、卯月渚杜か?」


 「そうですけど、何か?」


 渚杜の名を聞いて心当たりがあったのか、今度は慎二の顔色が悪くなる。疑問符を浮かべている渚杜と和貴は顔を見合わせた。


 「なぜ貴様がここにいる! 九尾に呪われた呪い子、忌まわしい狐憑き。お前は処刑されるべき存在だ! ああ! 触れてしまったではないか! 穢れる! くそ、くそ! 狐憑きはとっとと呪いに侵食されて死んでしまえ! そうだ、義父様に報告してすぐに処刑を……。いつまでそこに立っているつもりだ! 目の前から失せろ! 汚らわしい!」


 取り乱しながら吐き出される慎二の暴言に渚杜は硬直した。今まで渚杜に関わってきた人たちは狐憑きだと知りながらも普通に接してくれていたから忘れていた。本来、狐憑きとは陰陽師にとっては祓わねばならない存在のはずで、慎二の反応が普通だ。


 (そうだ。じいちゃんもばあちゃんも普通に接してくれていたから忘れてた。中務省の人たちの俺を見る目と同じ。恐怖や軽蔑。これが普通の反応、なんだよな。和貴にも聞かれてしまった。せっかく友達になれたのに……きっと嫌われる。なんでだろう、悲しいな)


 渚杜の表情に影が差す。


 黙り込んでしまった渚杜の肩に優しく手が添えられる。そちらを見れば、重蔵が柔らかく微笑むと渚杜と慎二の間に割り込んだ。


 「いくら弥生家の方といえど、我が生徒を侮辱することは到底許されることではありません。先ほどの発言諸々は弥生家へと報告させていただきます故、ご了承ください」


 「たかが、学長風情が何を」


 「ここは陰陽寮。いつまでも己が影響力があると思わぬことです。そうそう、たかが学長の身ではありますが、弥生家現当主殿とはそれなりに古い付き合いがありますので、そのことを踏まえて発言した方がよろしいかと。まあ、手遅れでしょうがね」


 皺を深くしながら言う重蔵に慎二の頬が引きつる。


 「……っ!」


 渚杜に浴びせられた暴言に耐え切れず部屋の外で待機していた黒緋と裏柳が慎二の方へ向かおうとするが、それは柊乃によって阻まれた。二人が柊乃を見上げて抗議する。


 「なんで止めるの!?」


 「柊乃様は主様があんな風に言われてなんで怒らないのですか?」


 悔しさと怒りがごちゃ混ぜになり、涙目の二人の頭を柊乃は優しく撫でた。


 「もちろん、怒っていますよ。でも、今あのクソ野郎になにかすれば渚くんの立場をさらに悪くしてしまいます。それこそ、狐憑きの呪いのせいだとか言われかねません」


 「……じゃあ、どうすればいいの?」


 「見ているだけですか? 何も出来ないなんて……」


 「ふふっ。そこは私に任せてください。私は幻術が得意なんですよ?」


 柊乃は式神二人に悪戯っ子のように笑ったところで慎二が怒りを露わにしながら部屋から出てきた。彼は柊乃と綾音には気付いたが式神二人には気付いていない。気配すら感じられない器なのだと察した柊乃が慎二へ笑みを向けた。その笑みの意味を知らない慎二は柊乃を睨み付けると足早に去っていった。


 「あらあら、そんな態度ばかり取っては敵を作るだけですよ」


 そう零すと柊乃は指を鳴らし、慎二へ幻術を掛けた。


 「ところで、久坂さんはどうして付いてきたのですか?」


 問いに綾音は「あ、えっと……」と言葉を詰まらせる。慎二に呼び出された二人が気になり付いてきたはいいが、聞いてはいけないことを聞いてしまった事への罪悪感が胸を占めていた。九尾の呪いを受けていた渚杜が狐憑きと噂される当人とは気付かなかった。そもそも久坂の失態で九尾の封印が解け、それに呪われた渚杜は被害者と言っていい。少なくとも綾音はそう思っていた。


 「二人が心配だったんです、けど……聞いてはいけないことを聞いてしまいました。私たち久坂家のせいで……」


 「久坂さん。顔を上げてください。今、貴女が出来ることは渚くんと今まで通りに接することです。あのクソ野郎の心無い言葉に傷付いていると思いますので」


 ね? と微笑む柊乃に背中を押されたように綾音は渚杜たちの元へ一歩踏み出した。

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