力比べ
「この界隈で力比べと言えば、怨霊や小鬼などをどちらが早く祓えるかになるわね。昔は他に呪詛の掛け合いが行われてどちらが先に死ぬかを競った、というのも聞いたことはあるけれど、今は禁止されているから」
「二人は力比べとかしたことあるのか?」
綾音の説明を聞いた渚杜が問いを口にした。二人は互いに顔を見合わせる。綾音が和貴へ先に言うように促すと「俺!?」と目を丸くする和貴に綾音は肯定するように頷いた。「……なんであんなに威圧的なんだよ」と小さく零しながら和貴は渚杜の方を見る。
「弥生家のしきたりの一環で何度か。でも、俺は弱いから初戦敗退がいいとこだよ」
そう言って和貴は笑う。それを横で見ていた綾音が溜息を吐きながら「私はこういう性格と、久坂家というだけで絡まれることが多いからその度にってところね」と話した。
「そっか。やっぱここは陰陽師が多いだけあって力比べとか経験してる人多いんだな。俺はいつも一人で怨霊とか妖退治のバイトしてたから力比べしたことないなぁ。ちょっとワクワクする」
緩く笑う渚杜を信じられない者を見る目で二人は見た。力比べにいい思い出などない二人からすれば渚杜が口にした感想は理解出来ない。けれど、楽しみだな、と言いながら進む渚杜を見て笑うと後を追った。グラウンドでは亘が腕を組んで待っていた。
「卯月くんよ。お前が負けてもそれは仕方のないことだからあまり気を落とすんじゃねーぞ。俺が勝つのは確定しているんだから、土下座の一つでもすれば手加減してやってもいいけど?」
「ん? ああ、そういうの要らないから。先に祓った方の勝ちでいいんだよな。俺が勝ったら二人に謝罪を。それだけ」
断った渚杜に亘の頬が引きつった。自分の提案を受け入れず、更には勝つ前提で話をしていることが気に食わない。絶対に負かしてやる、と拳をきつく握った。
「おー。待たせて悪かったな。ちょっと、準備に時間が掛かった」
雪邑が戻り、グラウンドに簡易結界が敷かれる。その中に封じてあった悪鬼をそれぞれ設置する。指定された簡易結界の前に渚杜と亘が立ち、一歩足を踏み込めば中の悪鬼が目を覚ます仕掛けになっている。一歩踏み出す合図は雪邑が行う。
「二人とも、準備はいいか? それじゃあ、始め!」
両手を叩くと、二人は簡易結界の中に足を入れた。すぐに悪鬼が目を覚まし、入ってきた人間へ視線を送る。自分よりも弱そうだと判断すれば餌になるため、長い舌を出して舌なめずりをする悪鬼。悪鬼に喰われそうになればすぐに雪邑が助けられる位置にいる。生徒たちは二人の勝負の行方を黙って見守っている。だが、生徒の大半が篠宮家の方が勝つと思い、亘の方を見ていた。
「おぉ! これが力比べ。それで、祓う相手が君だよな?」
渚杜が真剣な眼差しで問うた。悪鬼は渚杜の力量に怯えたのか、結界の隅へ移動すると土下座をして命乞いを始めた。予想外の反応に外から見ていた和貴が「は?」と間の抜けた声を上げる。式神二人が背後に控えているから怯えたのかと思ったが、黒緋と裏柳は和貴の前にいた。
「うわっ! びっくりした。二人ともなんでこっちにいるわけ?」
「これは主の勝負だから」
「私たちが手を出すのはフェアじゃない」
「……って主(様)が言ってた」と不服そうに二人は頬を膨らませながら言う。渚杜に言われて二人は簡易結界の外に出ており、主の戦いを見ていた。
「えっと、二人は心配じゃないの? 君たちの主が一人で悪鬼と対峙するの」
和貴の問いに黒緋と裏柳は同時に見上げる。口を開いたのは裏柳。
「心配はしていません。主様は私たちがいなくても十分に強いので。あの程度であれば容易に祓えます」
「そ、そうなんだ……」
渚杜の方へ視線を向けた和貴は土下座をしている悪鬼の足に鎖が付いていないことに気が付き、目を丸くした。一般の力比べでは悪鬼や妖に枷は付けないが、学生は経験が浅いことから力比べをする際は悪鬼に枷を付けることになっているはずだ。その証拠に亘の方の悪鬼は半径一メートル内しか動けない。悪鬼は牙を剥き亘に襲い掛かろうとしては鎖に引っ張られ、亘には牙も爪も届かない。一方、渚杜の方の悪鬼は土下座をしているが、枷はない。悪鬼の中には知能が優れた個体も存在し、相手を油断させて隙を見せた途端に襲い掛かるという。渚杜と対峙している悪鬼は油断するのを待っているのだろう。
「ちょっと、狐井先生!? 卯月の方、枷がないんですけど!」
慌てた和貴が雪邑に伝えた。
「わー。なんてことだ。枷が外れているだとー。大変だー」
「いや、そんな棒読みで言われても! 先生、そんなに大事だって思ってないだろ!?」
「ん? まあ、そうだな。あいつの実力なら問題ないだろ。うん」
「先生がそんなんでいいのかよ……」
雪邑の反応に和貴は肩を落とした。渚杜の実力はもちろん知らないが、悪鬼の方は見れば亘の方よりか強力なのは分かる。相手を油断させようと知恵が回る時点で枷なしではもしもの場合、怪我だけでは済まないかもしれない。だが、雪邑は心配している素振りは全く見せない。渚杜も恐怖の色はなく、平然としており、和貴は心配しているのは俺だけかよと溜息を吐いた。
「卯月と対峙している悪鬼は間違いなく中級以上よ。弥生には視えているでしょ?」
隣で綾音が言う。肩を落としていた和貴が綾音を見て「まあ、な」と返せば、少女は渚杜を見て続ける。
「狐井先生はあの悪鬼に枷を付けなかった。対して篠宮の方は初級の悪鬼。しかも枷付き。その時点で卯月の方が陰陽師としての実力は遥かに上。最初から勝負になってないわ」
「そうだけどさ、万が一ってこともあるだろう!?」
「主様はあれ以上に強いヤツを毎日祓っていたので」
「あの程度に主が負けるってことは絶対にない」
「え、あ、うん……。なんか、ごめんね。だからそんな目で見ないでよ」
そう言いながら見上げてくる二人の気迫に負けた和貴は謝罪を口にしてこれ以上は何も言うまいと大人しく見学に集中することにした。
土下座をしている悪鬼を見下ろしながら今なら太秦がやっていたように「ウン」だけで祓う練習が出来るのではないだろうかと渚杜は考えていた。幸いほとんどの生徒たちが亘を見ている。それに簡易結界内では悪鬼の移動範囲は限定されるため、取り逃がしはない。こんなチャンスは滅多にないぞ、と口角を上げる。
「あ。主が笑ってる」
「ねえ、黒。主様はあれを試したいのかな?」
「そうかも。主の事だから今がチャンスとか考えてると思う」
黒緋と裏柳が小声で話すのを聞いていた和貴は疑問符を浮かべる。綾音は渚杜がどう祓うのか興味があるのか、腕を組みながら渚杜を見ていた。
「よし。悪鬼、今祓うから。顔を上げてくれ」
悪鬼はそう言われても顔を上げず、渚杜に隙が出来るのを待っている。陰陽師が印を結び、咒文を唱える瞬間が一番隙が出来やすい。微かな衣擦れの音を感知すればすぐさま襲い掛かれるように僅かに体制を変える。
「分かった。じゃあ、始めるぞ」
渚杜の声の中に微かな衣擦れの音を感知した悪鬼は口角を上げ、キヒヒと嗤い声を上げると地面を蹴り、瞬時に少年との間合いを詰めた。まずは爪で喉を切り裂いて、と飛び散る鮮血を想像して舌なめずりをした悪鬼は瞬時に表情を凍らせた。自分を見上げる少年は顔色一つ変えず、印すら結んでいない。衣擦れの音は指を二本立てた時に出た音だ。
「ウン!」
そう唱えたが、悪鬼の体に変化はなかった。
「……ダメかー」
溜息を吐いた渚杜に外から「いや、ダメかーじゃねーよ!」と和貴がツッコミを入れた。祓われると覚悟した悪鬼はキョトンとして一応自分の体に異常がないか触れて確かめる。何ともない事を確認した悪鬼は脅かしやがって! と言わんばかりに牙を剥き再び渚杜目がけて飛びかかる。
「はあ……。やっぱじいちゃんみたいには出来ないか。もっと精進しないとダメだな。サラティ・サラティ・ソワカ。オン・マリシエイ・怨敵即滅・ソワカ」
肩を落としながら渚杜は咒文を唱え弾指(たんじ)した。すると、宙にいた悪鬼は何が起こったのか一瞬理解出来ず、一拍遅れて自分の体が消えかかっていることに気付いた。しかし、気付いた時には祓われた後。悲鳴を上げながら悪鬼は消えていった。
「ふぅー。やっぱまだまだだな」
悪鬼が祓われたことにより簡易結界が解ける。渚杜の簡易結界が解き終わる頃に亘の簡易結界が解けた。息を切らせて顎を伝う汗を拭った亘と目が合う。
「勝負あり! 勝者、卯月渚杜!」
雪邑の判定に不満の色を見せたのは亘。
「お言葉ですが先生、彼にハンデを与えませんでしたか?」
「は……?」「え……?」と雪邑と渚杜、綾音の声が重なった。
(チッ、渚杜の方に中級クラスの悪鬼を仕込んだのがバレたのか!?)
(あの篠宮が気付いた? そんなはずないわ……)
(ハンデってなんのことだ?)
心情がバレないように真剣な表情をしている雪邑と綾音の隣で渚杜は首を傾けた。
「卯月に初級、俺には中級クラスの悪鬼を宛がった。だから、祓い終わったタイミングが同じだった。違いますか?」
「え? あ、ああ……、ははは」
「そうなんですか!?」
顔を引きつらせる雪邑を勢いよく渚杜が見上げた。亘の発言に取り巻きが顔を見合わせ、彼の意見が正しいのだと声を上げる。その声に和貴は内心でツッコミを入れていた。
(いや! 逆だ逆! お前の方がハンデ与えられてたんだよ! これ以上発言すんな! 聞いてるこっちが恥ずかしいわ! てか、卯月は何でなんも言わねーんだ? あいつくらいの力があればすぐ力量なんか分かりそうなんだけど……)
和貴が渚杜を盗み見ると、渚杜は驚いた様子で「マジか……!」と零した。
(マジか、はこっちの台詞だよ!)
「はあ? そんなわけ……もが!」
代わりに反論しようとした綾音の口をすかさず雪邑が塞ぐ。何をするんだ、と言わんばかりに相手を睨みつけた綾音は雪邑の表情を見て察したらしく口を閉じた。
「あー、悪い。手違いでお前と卯月の悪鬼に違いがあった……のかもしれない」
「いえいえ。いいんですよ、これで納得しました。篠宮家が一般家庭出の奴に後れを取るはずがありませんから」
(……実力差を目の当たりにしてると篠宮が可哀想な奴に見えてくるな)
「……自分の弱さを自覚しないやつ程厄介なものはない」
「どう見ても主の方が強いのに! あいつ嫌い! 私たちすら認識出来ないくせに!」
そう言うと式神二人は頬を膨らませた。二人の小さな頭に渚杜が手を乗せて優しく撫でれば、二人は主を見上げた。
「という事は引き分けか?」
「どう考えてもハンデありなのだから俺の勝ちだろう? 馬鹿なのか君は」
(その理屈なら篠宮の完敗だけどな! お前はもう喋るな!)
「そうか。じゃあ、次に俺が勝ったら二人に謝罪してもらう」
「まあ、そんな未来は来ないだろうけど精々頑張れよ、三下君」
自分の勝利だという事に満足したのか、亘は上機嫌で取り巻きを引き連れて去っていった。雪邑が生徒たちに声を掛けて教室へ戻るように促す。他の生徒たちと同じく教室へ向かおうとした渚杜に雪邑が声を掛ける。
「渚杜。実力は完全にお前の方が上だから気にするなよ。あー、まあ久坂と弥生は分かってるみたいだから俺が言うことでもなかったな」
雪邑はどこか嬉しそうに微笑むと渚杜の頭を軽く撫でて先に教室へ向かった。
「……ごめん。篠宮に謝罪させることが出来なかった」
「別に謝罪なんて頼んでないわ」
「久坂! そんな言い方ないだろう!」
「……篠宮がそう簡単に謝罪をするなんて思わないし、自分の負けを潔く認めるようなヤツじゃないから謝罪なんて期待していなかったってこと」
「そうか。うん。二人ともありがとう。次は勝つから。絶対に謝罪させる!」
「卯月は……うん、まあ。お前はそのままでいてくれ」
「主は真っ直ぐなので」
「そこが主様のいいところです」
一人意気込んでいる渚杜と自分の主に胸を張る黒緋と裏柳に和貴は額を抑えた。
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