篠宮 亘(しのみや わたる)

 二日後、入学当日。寮で朝食を和貴と摂り、新しい制服に袖を通す。黒のパンツに白のシャツ、黒のネクタイ。ブレザーには陰陽寮の校章が入っている。指定の鞄の他に霊符が入ったレッグポーチを装着して渚杜は式神二人に向き直った。


 「なあ、二人とも。どう? 変じゃない?」


 「大丈夫。カッコイイよ」


 「寝癖が付いてます。直しますので、しゃがんでください」


 裏柳に指摘されて渚杜は膝を曲げた。主の寝癖を直すのはいつも裏柳の仕事。黒緋はその間に持ち物と制服に乱れがないかをチェックする。自分よりもしっかりしている二人に男子高校生として一歩踏み出す身としていかがなものかと渚杜が悩み始めたタイミングで扉をノックする音が聞こえた。


 「おーい、卯月。準備出来たか? そろそろ行くぞー」


 和貴に返事して渚杜は立ち上がる。二人の式神は頷き合うと隠形し、主に付き従う。渚杜は扉を開け、和貴と共に校舎へと足を向けた。

 一般の学校とは異なり陰陽寮は生徒数が少ない。一クラス分、約三十人程度のみが入学する。入学式も簡素なもので、学長である鬼多見 重蔵(きたみ じゅうぞう)は学生へ向け式辞を述べた。


 「生徒諸君、入学おめでとう。君たちは他の学生とは違う。陰陽師としての術を学び、多くの悪鬼、悪霊を祓い、そして大勢の人々を助け、苦しむ霊を鎮めるがこの陰陽寮へ入学した君たちのなすべきことである。生きて卒業できた者たちへは中務省への入省を約束しよう。……以上」


 学長の言葉に生徒たちがざわついた。互いの顔を見合わせて今耳にした言葉が聞き違いであることを確かめようとする。”生きて卒業できた者”とは言葉通り、在学中に死人が出る可能性があるという事だ。動揺する生徒たちの中でもここがどういう場所かをあらかじめ知っていた者たちは平然としていた。和貴もその一人で、当然のように受け入れていた。問題は渚杜だ、と隣の少年に視線を向けると、相手は視線に気付いて和貴を見た。


 「お、お前は今の聞いて大丈夫なのかよ」


 聞かなくてもいい事がつい、口から零れる。


 「大丈夫って何が? ああ、死ぬかもしれないってこと? 陰陽師として第一線で活躍するなら死は付きものだろ」


 何を当たり前の事を言っているんだ、と言わんばかりの顔を向けられた和貴は口を開けたまま言葉を詰まらせた。寮で最初に出会った時はへらへらと笑っていた時とは違い、同じ年でありながら既に死を覚悟している瞳に寒気がした。


 「そっか。お前は強いんだな」


 俺と違って、と続く言葉は飲み込む。それを聞いた渚杜は目をしばたたかせる。


 「強くはないよ。……俺は、助けてもらってばかりだから」


 小さく零した言葉に和貴が反応する前に周りが慌ただしくなる。生徒たちが教室へ向けて移動を開始したのだ。渚杜たちもその流れに乗り教室へ向かった。


 座席はランダムに振り分けられたのか、渚杜と和貴の席は近かった。自分の机に鞄を置いて席に着くと、既にグループが形成されており一人のリーダーらしき少年の周りには取り巻きが数人いた。


 「もうあんなに友達を作るとか凄いな」


 感心している渚杜に和貴が溜息を吐いた。どこをどう見たら友達に見えるんだ。リーダーにこびへつらう取り巻きたちにしか見えないだろう、とツッコミを入れたくなる。


 「はああ……。あのな、卯月。あれは友達同士の集まりじゃないと思うぞ。それにしても篠宮は相変わらずだな……」


 「そうなのか? 和貴はあのグループについて何か知ってるのか?」


 「ん? ああ、まあ。別に知り合いってわけじゃないけど、篠宮の事は知ってるし、あのグループの中心にいるやつの事も知ってる」


 へー、と渚杜が輪の中心にいる男子生徒へと視線を送った。


 「あいつは篠宮 亘(しのみや わたる)。陰陽師を代表する名家の一つ、篠宮家の嫡男。で、あいつが篠宮家って分かってて引っ付いているのが数名いるってわけで、別にお友達の集団じゃないの。分かった?」


 「篠宮家?」


 真剣な表情で繰り返した渚杜に和貴が疑問符を浮かべる。弥生の苗字に反応を示さなかった彼が篠宮には反応を示した。何か引っかかることでもあるのだろうかと和貴は渚杜の次の言葉を待った。


 「……篠宮家って有名なのか?」


 「…………」


 待って損した、と和貴は額を抑える。そうだよな、陰陽師を代表する名家である弥生家の事も知らないやつが篠宮家を知っているとは思えないよな! と一人で納得する。そして脱力した。


 「お前はどこの田舎出身だよ……。知らなすぎるだろぉ……。いろいろと心配になるわ!」


 「え? もしかして常識だったのか!?」


 目を丸くする渚杜に和貴は頭を掻いた。そんな二人のやり取りに気付いた亘が近づく。


 「おや、さっきからうるさ……、失礼。賑やかな声が聞こえると思ったら弥生家の。名前はえーと、ごめん。何だっけ?」


 「和貴。いいよ、別に覚えてもらわなくても」


 「そうそう。弥生和貴! 君も来てたんだ。……臆病者の和貴くん。弥生家の恥じ……」


 「っ!」


 亘の言葉に反応したのは渚杜だった。立ち上がった渚杜を和貴が「やめろ」と止める。何でだ、と言いたげな相手に和貴は首を左右に振る。


 「……君は?」


 突然立ち上がり睨んでくる渚杜を睨み返し亘が問う。


 「俺は卯月渚杜。和貴の友達だ」


 「卯月? おいおい、名家でもなんでもないやつが威勢よく睨んでんじゃねーよ。弁えろ三下」


 渚杜の片眉が上がり、口を開いた時だ。少女の声が割って入った。


 「さっきからうるさいのはあなたも同じよ、篠宮。それに、そういう台詞は弱い者の台詞だから気を付けた方がいいんじゃない?」


 「なんだと? って、誰かと思えば久坂じゃねーか。久坂綾音だっけ? お前もいんのかよ。……裏切り者と同じ空気を吸うだけで穢れそうだな」


 「……」


 渚杜は少女を見て目を丸くする。彼女は先日出会った子だ。いつかは再開するだろうと思っていたが、同級生として再会するとは予想外だった。相手は渚杜のことに気付いていないようだ。だが、それ以前に渚杜は亘の言葉が引っかかっていた。


 ”臆病者の和貴”と”裏切り者の久坂”二人のことはまだあまり知らないが、二人の事を悪く言われることは何故か腹立たしい。渚杜は拳をきつく握り息を吐きだした。


 「……二人の事を悪く言わないでくれるか?」


 怒りを抑え、絞り出すような声音で渚杜は言った。けれど、亘は鼻で笑う。


 「はっ! 本当の事を言って何が悪い。こいつらは家名汚し。それに比べて俺は篠宮の正当な後継者であり、実力もある。俺が陰陽師たちを率いる筆頭となる」


 「そうなのかもしれないが、だからと言って二人の事を悪く言っていいことにはならない。それに俺は家名なんかどうでもいいし、偉いとも思わない」


 「お、おい卯月。もうそれくらいに……」


 和貴が止めようと渚杜の腕を引いたが、遅かった。亘の額には青筋が浮かんでいた。


 「そう言うお前は卯月っつたか、一般人のくせに篠宮家である俺にたてつくとはいい度胸だな。どうせお前も他のやつらと同じで厄介払いでここに送られただけの無能力者だろ」


 「……厄介払いって何のことだ。俺は自分の意思でここを選んだ。陰陽師としての力の有無はお前には関係ない」


 「なんだと! じゃあ、力比べでもするか?」


 「あー、お前ら席に着け……って、何だこの状況」


 教室に入ってきた雪邑が睨み合っている渚杜と亘、額を抑えている和貴、腕を組んでいる綾音、そして遠巻きに見ている生徒たちを見渡して頬を引きつらせた。入学式の直後から問題発生とか勘弁してくれよ、と正直思いながらも一応担任としてこの場を治めなければならない。


 「で、何があったわけ?」


 雪邑の問いに生徒の一人が簡単に説明する。状況を理解した雪邑は手っ取り早く力比べでもさせて互いの力量を理解させようと考え、生徒たちをグラウンドへ集めた。入学早々生徒たちは困惑の色を覗かせながらも各々グラウンドへ向かう。その中で和貴が渚杜に話しかけた。


 「お前さ、何であんなこと言ったんだよ。黙っていればあのまま平穏に終わっていたかもしれないのに」


 「そうよ。篠宮の言うことなんて聞き流せば良かったのに。なんで貴方はあんなに怒りを露わにしたのよ。私たち初対面でしょう? 貴方が怒る理由が理解できないわ」


 綾音も加わり渚杜へと言葉を投げかける。


 「いや、だってさ。俺は二人の事はまだそんなに知らないけど、悪口を言われているってとこは分かったからなんかムカついて……。ごめん、和貴は止めてくれたのに」


 「……。まあ、お前が俺たちの事で怒ってくれたことは正直嬉しかったからそんなに肩を落とすなよ」


 「私も言われ慣れているから今さらあんな悪口に落ち込んだりはしないけれど、怒ってくれる人には初めて会ったから。その……、ありがとう」


 「……へえ、久坂って礼言えたんだな」


 和貴の零した言葉に反応した綾音が睨み付ける。瞬時に背筋を伸ばした和貴は口を閉じ、首を左右に振った。


 「二人とも、ありがとう。で、力比べって何をするんだろうな?」


 首を傾けた渚杜に和貴と綾音は顔を見合わせた。何も考えないで亘に啖呵切ったのか、と言いそうになり呑み込む。陰陽師界で力比べと言えば一つしかないのだが、それすら知らないらしい。


 「ほんと、どこの田舎から来たんだよお前……」


 呆れた声で和貴が苦笑を見せた。

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