狐憑き陰陽師

 通信の切れた後、一夏は息を吐きだしながら椅子に背を預けた。そんな彼女に一人の男性が声を掛ける。


 「おや。感傷に浸ってどうしました? 一夏さん」


 「明彦先輩……もしかして聞いてました?」


 「いえいえ。断片的にしか聞いていませんよ。渚杜くんは陰陽寮へ入学するんですか。寂しくなりますね~」


 ……全部聞いていたんじゃないか、とツッコミを入れそうになるのを一夏は堪えた。明彦は一夏よりも先に配属されていた先輩にあたる人物。彼の言動は捉えどころが無く、変わり者と職員たちから噂されている。


 「彼は狐憑きでありながら現代最強と謳われた陰陽師、卯月太秦(きさらぎ うずまさ)の弟子。未だに彼の事を疎んでいる者は多いですが、実績と実力によって誰も口を出せない。十五歳にして単独で任務をこなせるなんて。……本当に興味深い」


 口角を上げる明彦を横目で見ながら一夏が口を挟んだ。


 「先輩、少年に手を出したら犯罪ですからね?」


 「ふふっ、分かっていますよ。それにしても一夏さんは彼が狐憑きであるにも関わらず怯えないんですね?」


 明彦の問いに一夏は視線を落とした。机の上で手を組み、指をいじりながら当時の事へ想いを馳せる。一年前の彼と初めて出会った頃へと。



 中務省へ入職してから数日経った頃、仕事が長引き帰宅が遅くなった彼女は夜道を一人で帰っていた。頼りになるのは町灯のみ。出来るだけ足早に自宅へ向かっていた一夏は突然、悪寒を感じ立ち止まってしまった。中務省にいればその手の類の情報は耳に入る。彼女が通った道もまた情報にあった場所だ。


 『で、でも、陰陽師が調伏したって聞いたし、大丈夫だよね……』


 自分に言い聞かせながら一夏は鞄を持つ手に力を入れ、一歩踏み出した。


 ――アア、憎イィ……、キ、綺麗ナ、顔、イ、イイナァ。チョウダイ、チョウ、ダイ……


 声が聞こえた時には一夏の体は動かなくなっていた。焦燥感が募り、心臓がうるさいほど早鐘を打ち、早く逃げろと警鐘を鳴らす。けれど、金縛りに掛かったように体が動かず呼吸が浅くなる。


 (や、やだ。怖い……まだ死にたくない。誰か助けて)


 心の中で助けを求めた。そんな都合のいいことあるわけがないのに、と思いながらも誰かに助けを求めた。助けが来る気配もなく、顔のない怨霊が手を伸ばしてきた。体温の感じない感触が頬を撫で、背筋に冷汗が流れていく。


 (……あぁ、私死ぬんだ)


 覚悟した一夏の耳に少年の声が届いた。


 『オン・マリシエイ・ソワカ』


 唱えた直後、八咫烏が一夏と怨霊の間に滑り込んだ。腕を落とされた怨霊は悲鳴を上げ、距離を取る。


 ――痛イ、痛イ。腕、アア、私ノ腕ガ! ユ、許サナイ……オ、オノレ陰陽師ィ!


 一夏を護るように八咫烏が羽ばたき、その場から動かない。怨霊の吐き出す呪詛も八咫烏のおかげで彼女には届いていないようだ。


 『間に合った! お姉さん、無事ですか、無事ですね? その場から絶対に動かないでくださいね!』


 八咫烏が飛んできた所と同じ場所から少年が降ってきた。一夏は目を丸くしながら少年が降ってきた位置を見たが、飛び降りられそうな場所は高すぎて人間では無理なんじゃないかと思いめまいを覚えた。


 『やっと見つけた! お前、上手く逃げやがって。じいちゃんから取り逃したことめちゃくちゃ怒られたんだからな!』


 怨霊相手に少年は憤慨していた。


 (今そんな余裕あるの!?)


 一夏はツッコミを入れそうになった。先ほどまでの緊張は少年の雰囲気のおかげか幾分か解けていた。


 ――オ、オ前ハ、アノ時ノ陰陽師! 何故、ココニ居ル!? 貴様ハ……!


 『と、あんまりおしゃべりしてたらまた逃げちゃうから』


 少年はそう言うと「サラティ・サラティ・ソワカ。オン・マリシエイ・怨敵即滅・ソワカ」と咒文を唱えると、


 ――ア、ァアアアア! キ、消エル……! イヤ、イヤダ! ァアアアア!


 怨霊は叫びながらフラフラと少年の方へ向かってくる。少年は『消えたくない、か』と言いながら一回指を鳴らし、『でもさ、こんなところにいても君の願いは叶わない。分かってるでしょ?』そう言いながら二回目。怨霊の動きが止まる。怨霊を見据えた少年は優しい声音で『だからもう楽になっていいんだよ……』そう最後に零すと、三回目の弾指(たんじ)をした。指を弾く音がたしん、と響く。


 すると、怨霊は消えていった。消えた先を見つめていた一夏は少年へと視線を移せば、彼は腕で額の汗を拭う仕草をしていた。


 『……ふぅ! これで任務完了。じいちゃんに怒られないで済む~』


 肩の力を抜いた少年は一夏へと振り返った。どんな顔をしているのか、と緊張と期待が入り混じる。


 『え……?』


 間の抜けた声が一夏の口から零れる。そこに想像していた顔はなく、その代わり、少年は狐の面を被っていた。


 『狐の……面?』


 思わず言葉にしていた。少年はそのまま距離を詰め、一夏を見上げる。


 『お姉さん、怪我はないですか? ぱっと見た感じ怪我はしてなさそうだけど』


 『え、あ、うん。大丈夫。助けてくれてありがとう。ところで、なんで狐の面を?』


 『ああ、これ? 素顔を見せないためですよ。……俺は嫌われ者なので。お姉さん、中務省の人でしょ。なら聞いたことないですか? 嫌われ者の狐憑き陰陽師の話』


 狐憑きの陰陽師と聞いて一夏の表情が一瞬、強張った。中務省にいる者なら誰もが一度は耳にする噂の一つ。九尾狐に呪いを掛けられ狐憑きとなりながら処刑を免れ、陰陽師として生きている者がいる。狐憑きであるが故、周りから疎まれ、恐れられ、嫌われている。だが、彼は現代最強と謳われた陰陽師―卯月 太秦(きさらぎ うずまさ)に引き取られ、弟子として育てられた。実力を身につけ中務省の上層部を騙させた。それでも中務省には正式に所属させず、日々任務を与えていると言う。狐憑きの素性は伏せられており、知るのは中務省の上層部のみだ。


 『えっと、ほ、本当に? 君が、狐憑き?』

 『あれ? 言っちゃまずかったんだっけ?』


 一夏の反応に少年が独り言を呟いた。うーん、と首を傾けている少年の袖が僅かに引かれ、少年が視線をそちらへ落とす。


 『やっぱダメだったか。ごめんって。そんなに怒るなよ、黒緋』


 黒緋というのは名前だろうか、疑問に思いながらも一夏には視認出来ない。ただ、少年の傍に何かがいると分かる程度だ。


 『ど、どどうしよう! 俺、喋っちゃった! じいちゃんに怒られる? 怒られるよな!? ……裏柳? そんなにジッと見つめないでよ。視線が痛い……』


 頭を抱えて蹲る狐憑きの少年に一夏は声を掛けようか迷っていた。少年の反応から聞いてはいけなかった情報なのだろう。本来なら関わらない存在。一夏はあの、と声を出した。


 『わ、私は何も見てないし、聞いてない! って、ダメかな?』


 蹲っていた少年が勢いよく立ち上がると、一夏へ詰め寄った。


 『いいの? お姉さん、中務省の人なのにいい人だね。ありがとう! はぁ~、じいちゃんに怒られないで済む!』


 表情は見えないのに、声音だけで喜んでいるのが分かる。一夏は少年の反応にホッ、と息を吐いた。


 『って、黒緋どうしたの? ああ、そろそろ帰らないとじいちゃんに小言言われるよな。お姉さん、じゃあ俺帰るね。そうだ、家に帰るまでは八咫烏が護ってくれるから安心して』


 じゃあね! と少年は一夏へ手を振りながら去っていった。一人残された一夏はポカンと少年が去った方向を見つめていた。


 『……あれが狐憑き? ふっ、あはは! 噂なんて当てにならないんだなぁ。あんな子が呪われて、殺されかけて、それでも誰かを助けるためにこんな時間まで一人で活動してるなんて。……まだ幼いのに』


 八咫烏が一夏の周りを飛び、早く帰ろうと急かす。


 『ああ、うん。ごめんなさい。送ってくれてありがとう』


 一夏は八咫烏を連れて家へと足を向けた。


 『私も何か役に立ちたいなぁ……』


 その一件後、何の因果か一夏は狐憑きの少年の補佐に任命された。



 

 「一夏さん?」

 「はっ、すみません! 渚杜くんに出会った時のことを思い出していて。そうですね、出会う前なら噂を信じていたのかもしれません。でも、彼のことを知れば怯える必要はないですから」


 一夏は笑みを見せた。


 「なるほど。確かに渚くん可愛いですもんね」

 「違います! そうじゃないです! いや、可愛いのは事実なんですけど、そうじゃなくて、渚くんの性格がいいから怖くないんです! その顔やめてください! その顔、やめろー!」


 ニヤけている明彦の腹部に一発拳を打ち込んだ一夏はそのまま出て行った。思いの外、ダメージを受けた明彦は腹を抑えながら笑っていた。そんな彼の脳内に声が届く。


 ――貴様、いつまでそこで遊んでいる。目的を果たしたのであれば早々に帰ってこい


 「ああ、我が主。ようやく、ようやくです。この明彦、貴方様の元へすぐに戻ります」


 ――誰が主だ。貴様の主になった覚えはないと何度言えば……。まあ、良い


 「貴方様は僕の主ですよ。あの時から」

 そう零したが、既に相手の気配は消えていた。明彦は口の端を吊り上げ「また、会いましょう。渚杜くん」と残して姿を消した。



 家へと帰る道すがら渚杜は溜息を吐いた。両隣を歩く黒緋と裏柳が彼を見上げて「どうしたの?」と問う。


 「いや、俺も早くじいちゃんみたいに咒文省略出来るようになりたいなって。咒文唱えている間はどうしても無防備になるじゃん? 二人に護られないと祓えないからさ……」


 「そんなこと思ってたの? 黒たちはそのためにいるんだから気にしないで」


 「黒の言う通り。私たちは主様を護るために在るのでもっと頼ってください」


 「むしろ、主が咒文省略で祓えるようになったら黒たち要らなくなる!」


 「それは嫌。私たちの存在意義無くなるのは嫌です……」


 やだやだ、と抱きつく二人に渚杜は苦笑した。黒緋と裏柳は渚杜が初めて呼び出した式神だ。黒髪を結っている黒緋、肩までの白髪を持つ裏柳。二人は幼子の様な姿を取っており、腰に刀を佩いている。


 「それもそうだね。二人がいればどんな相手でも戦えるし」


 「うん! 任せて!」「主様は私たちが必ず護ります」


 「ありがとう。これからもよろしく」


 黒緋と裏柳の頭を撫でると二人は満足そうに笑い、渚杜の手を握ると三人は横に並んで家へと歩き出した。


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