陰陽師 卯月渚杜
九尾の狐が現れ、陰陽師の活躍により封印されてから約千年以上が経った。平安時代にあった陰陽道、天文道、暦道、漏刻を統括していた
裏の仕事とは、人の陰の気や恨み辛みから発生した悪鬼・悪霊、時にはそれらがさらに力を付けた化け物を夜な夜な祓う事である。また、中には陰陽師として呪詛返しを行う者たちも存在する。中務省の上層部はほとんどが陰陽師の家系から形成されており、その子供や弟子たちが裏の仕事に就いているが、裏の仕事をするには危険が伴うため、死亡率は高い。上の席が空くまで生き残れば将来安泰という部署である。裏の仕事は世間的には認知されておらず、今では霊感を持つ者も少ないため、陰陽師を見た者はほとんどいない。
陰陽師を育成する機関も少なからず存在しており、そこに通うほとんどは陰陽師の家系か、身寄りのない者ばかりである。
夜の帳が降りる頃、一人の少年が廃墟に足を踏み入れた。肝試しにしては怯えた様子もなく、堂々としている。人が住まなくなり長い時間が経過した室内は埃と朽ちた家具。そんな中、人ではない気配が動いた。少年は目線だけで気配を追う。
「情報通り。ここで間違いないな」
さて、やりますか。と零すと少年は咒文を唱え始めた。
「知らせばや成せばや何にとも成りにけり心の神の身を守るとは」
続いて印を結びながら少年は人差し指と中指を立て、口元へ寄せた。
「
「オン・キリキリ・ウン・ハッタ」
印を
「残念、今唱えたのは結界なんだ。これでお前は逃げられない。ってことで、このまま大人しく調伏されてくれ」
言うなり、少年は「日光月光・愛宕・摩利支天・不動明王・守護せしめたまえ」と金縛印を結ぶ。すると、悪霊に金色の鎖が巻きついた。悲鳴を上げて地面でのたうち回る悪霊に少年は畳みかける。
「オン・カラカラビシバク・ソワカ」轉法輪印を左右に二遍「ウン・ジャクバンジャクギャカーシカーン」小転法輪印を左右に二遍唱え、続けて
「
抵抗する悪霊は自分の分身体を出すと、少年へと向かわせた。悪霊の牙が少年に届く寸前、線が走った。悪霊は何が起こったのか分からず、床に落ちた分身体と少年を交互に見る。分身体は首を落とされておりもがいていた。悪霊は咆哮を上げながら分身体を霧散させ、再び形を構築した。今度は数が二体の分身体が少年へと襲い掛かる。
少年はその場から動くことなく、目線だけを分身体へ向け、金剛合掌しながら咒文を唱えた。醜悪な顔を歪ませ少年が喰われる姿を想像した悪霊はニタリと嗤う。
「これだから下級の悪霊は……」
「……考えが浅はか」
カラン、と下駄の音が床を打ち、白と黒の袖が靡いた。二つの影が少年と分身体の間に割り込み、腰に佩いている刀を抜いた。一瞬で分身体を真っ二つにした二つの影は幼い少女たち。水干を着た二人は着地すると刀を分身体の頭へと突き刺した。悲鳴を上げる悪霊を冷めた目で見降ろした二人は「主の邪魔はさせない」と声を揃えた。
「オン・ソンバニソンバ・ウン・ギャリカンダギャリカンダ・ウン・ギャリカンダハヤ・ウン・アナウヤコクバギャバン・バザラウンハッタ。つなぎ留めたる津まかいの綱、行者解かずんば、とくべからず」
少年が言い終わるのと同時に少女たちが悪霊から距離を取る。
「臨・兵・闘・者・皆・陣・列・在・前」
そう唱え九字を切った瞬間、悪霊は悲鳴を上げて消えた。息を吐きだした少年の傍に近づいた少女たちが相手を見上げる。
「主様、悪霊の気配はないよ」
「お疲れ様でした、主様」
「
主と呼ばれた少年―
「黒たちは主様の式神」
「御護りするのは当然です」
キリッとする二人に少年は微笑んだ。任務を終え、和んでいる少年の元にインカムから音声が聞こえてきた。
「渚く~ん! おっ疲れさま~!」
「
「うん。こっちでも確認取れてる。しっかし、相変わらず渚杜くんの唱える咒文はカッコいいね! 私が悪霊だったら最初の一節で祓われちゃうよ」
そう言って笑うのは
「一夏さん、ちょっと怖いです」
「……一夏の考えって怖い」
「柳に同感……。一夏、怖い」
ドン引きしている少女たちは小刻みに震えながら渚杜にしがみついた。
「っとまあ、冗談はここまでにして。今日の任務はこれで全部だから休んでね」
「はい。ありがとうございます。失礼します」
通信を切ろうとした渚杜に一夏が待ったをかける。インカムに手を伸ばしかけた渚杜は手を止めて続きを待つ。
「陰陽寮への入学、おめでとう。しばらくはこの地を離れるんだよね? 最後かもしれないから一言言わせて。……あの時、助けてくれてありがとう。帰省したら顔出してね」
渚杜は四月から茅川町にある陰陽師を育成する機関―陰陽寮への入学が決まっていた。今日で任務を最後に引っ越しをする予定だ。
「こちらこそ。……狐憑きである俺に他の人と変わらず接してくれて、ありがとうございました。俺も一夏さんに救われていましたよ」
「……うん、うん。またね」
泣きそうな声音に「はい」とだけ答えて渚杜は通信を切った。
「帰ろうか。じいちゃんたちが待ってる」
「うん。帰ろー」
元気よく手を挙げた黒緋に対して裏柳はこくり、と一度だけ頷いて歩き出した。
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