狐井兄妹

 泣き疲れて眠っていた渚杜が再び目を開けると、幾分か気分が軽くなっていた。体を起こして周囲を見渡し、目当ての人を探す。


 「おはようございます、渚くん」


 「お、はようございます。えっと、柊乃先生」


 柊乃はあの後も傍に居たのだろう。気付くと作業の手を止めて近付いてきた。眠る前の記憶が蘇り、今更恥ずかしくなった。弱気になっていたとは言え、泣き顔を晒し、弱音を吐露し、挙句抱きしめられた。渚杜も一応思春期の男子高校生だ。熱が頬に集中して顔が熱くなる。口をパクパクと開閉している渚杜に近づいた柊乃が首を傾けた。


 「顔が赤いですが、熱でもありますか?」


 「あ、いえ! ちが、違います! 大丈夫です!」


 心配そうに手を伸ばしてくる柊乃に力いっぱい渚杜は首を横に振る。


 「そうですか。ふふっ、残念です」


 (残念とは?)


 手を引いた柊乃がクスクスと笑う。


 「もう大丈夫そうですね」


 「……はい。ありがとうございました」


 「弱音を吐きたくなった時。いえ、それ以外でも何かあれば私を頼ってくださいね。力になりますよ」


 そう言った柊乃に渚杜は気になっていたことを口にした。


 「あの柊乃先生、一つ気になることがあるんですけど」


 「なんでしょうか」


 「九尾狐の尾は通常九本ですよね?」


 「はい。九尾狐の尾は九本。故に九尾と呼ばれていますね。かつて封印されていたあれも九本の尾を持っていたと言われています」


 渚杜は眉を寄せた。九尾と対峙した時のことを思い起こす。あの場に現れた九尾の尾は五本しかなかった。本体ではなかったからなのか、今の九尾は何らかの理由があり四尾を失っているのか。黙り込んだ渚杜に柊乃が声を掛けた。


 「渚くん、どうしました?」


 「……この前現れた九尾狐なんですけど、尾が五本しかなかったんです。何か理由があるのかなって」


 「九尾の尾が五本に……?」


 (もしや天狐様との戦闘で負傷したことと関係が……? いずれにしても五尾と言う事は戦力が落ちている可能性がありますね……)


 渚杜に覗き込まれた柊乃は「失礼しました」と首を静かに振ると話を戻した。


 「もしかしたら天狐様と戦った時に削られたのかもしれません。その時に私たちは間に合いませんでしたが、血だまりもありましたし、激しい戦闘が行われていたようです。九尾が傷を癒すのに長期を費やすだけはあったのかもしれません」


 「天狐様、凄いんですね。俺は助けてくれたってことしか知らないので……」


 「……ええ。天狐様はとても強くて聡明で美しい方です。渚くん、仮に忘れていても記憶は魂に刻まれます。何かのきっかけで思い出すこともあるかもしれません。……いつか、私たちの事も思い出していただければ……」


 最後の言葉は小さく、渚杜へ届くことはなかった。悲しそうに笑う柊乃に渚杜が声を掛けようと口を開きかけたのと同時、柊乃が「あら、ふふっ」と笑う。疑問符を浮かべる渚杜に柊乃は「心配性の皆さんが来ますよ」と扉の方を見た。

 すぐに扉が開き、入ってきたのは黒緋、裏柳と和貴だ。


 「主ー!」

 「主様!」

 「卯月ー!」


 三人が同時に呼ぶ。式神たちは目に涙を浮かべたまま渚杜に向かい駆け寄った。泣き止んだばかりなのに再び泣き出した二人を「心配かけてごめん」と渚杜が抱きしめる。少し離れたところに立っていた和貴に気付いた渚杜が顔を上げると、目が合った。


 「あー、えっと……」


 言葉を探す和貴に渚杜が相手の名を呼んだ。視線を外しかけたのをやめて、渚杜を見る。


 「和貴、ありがとう。和貴がいなかったら篠宮たちを助けられなかったかもしれないし、それに、九尾が分身体だって教えてくれたおかげで俺はここにいる」


 真っ直ぐに見つめて渚杜は礼を述べた。


 (なんだろうな、この力のせいで嫌な思いばかりしてきたのに……。こんな力なければ良かったのにって思ってたはずなんだけどなぁ……)


 今は自分の能力が少しだけ誇らしい。泣きそうになるのを堪えて和貴は口を開いた。


 「俺も……その、助けに来てくれてありがとうな。……渚杜」


 「……和貴が主様の名前を呼んだ」


 「呼んだね。って、主嬉しそうだね?」


 「え? あ、うん。友達に名前で呼んでもらうの初めてだから」


 頬を緩ませる渚杜に恥ずかしくなった和貴が「わー! なんか今さら感半端ないからやっぱ聞かなかったこ……」と大声を出すが、それを掻き消すように廊下から声が聞こえた。


 「なぎとぉーーーー!」


 大声で渚杜の名を呼びながら勢いよく入ってきたのは奏冴。その後ろから智景が静かに入ってくる。


 「あら、奏ちゃんに智景ちゃん」


 「柊乃。さっきまで幻術使ってた?」


 「何のことでしょうか?」


 とぼける柊乃に息を吐いて智景が渚杜の傍に寄った。既にベッドの隣に来ていた奏冴と並んで膝を折る。


 「渚杜、おはよう。目を覚ましてくれて良かった」


 「心配したんだからなぁー!」


 「先輩たちが運んでくれたと聞きました。ありがとうございます。あと、戦闘中もお二人がいて心強かったです」


 「~~~っ! 聞いたか、柊乃!?」


 「ええ、はい。奏ちゃん、嬉しそうですね。羨ましいです」


 嬉しさが溢れているような顔で柊乃を見る奏冴に柊乃が笑顔で返す。けれど、どこか言葉に棘があるように感じるが、奏冴だけ気付いていない。


 (奏冴先輩、尻尾を勢いよく振っているように見えるのは俺の幻覚なのだろうか……)


 渚杜と和貴が同時に感想を抱き、互いに顔を合わせた。そして、数回瞬きを繰り返し、再び奏冴を見れば、咳払いをして落ち着きを取り戻していた。


 「こほん。と、ともかく! 渚杜が無事に目を覚ましてくれて良かった!」


 「うん。渚杜、頑張った」


 満面の笑みで渚杜の頭を撫でる二人は兄や姉が弟にするのと似ている。それを微笑ましく見ていた柊乃はふと、扉を見た。


 「奏冴、智景? 任務さぼるなんていい度胸だな?」


 地を這うような声がして奏冴と智景の肩が揺れた。二人以外が声の主へと視線を送る。そこには長身、茶色で短髪の少年が頬を引きつらせていた。


 「げっ、悠真!」


 「……悠真」


 「まあまあ、一条くん。任務をさぼったのは悪いですが、この子たちをあまり怒らないでください。久しぶりに大事な家族と再会出来たんです。少しだけ大目に見ていただけませんか?」


 悠真の肩に手を置いた柊乃が困ったように眉を下げながら言う。


 「狐井先生……」


 少し冷静になった悠真が奏冴と智景、さらに渚杜へ視線を移した。卯月渚杜のことは聞いていた。九尾の陰を祓い、それに喰われた生徒たち全員を助けた一年生。あの奏冴と智景が血相を変えて彼の元へ向かったのは悠真にとって驚くべきことであった。任務として人を助けることはあるが、二人の焦った表情を見たのは初めてであった。二人の助力があったにせよ、現役の陰陽師が数名死亡するほどの化け物相手に勝つほどの実力者。悠真は渚杜の近くまで来ると目線を合わせ、ジッと見つめた。


 「君が卯月渚杜か」


 「はい。あの……」


 「すまない。俺は一条 悠真(いちじょう ゆうま)。二年だ」


 「一応、エース」


 「そそ。俺たちのチームリーダー。強いぞ」


 名乗った悠真に奏冴と智景が簡単な説明を付け足す。


 「え!? あ、初めまして! 一条先輩はなんで俺のこと知って……」


 渚杜の疑問に悠真は「ああ」と奏冴と智景の頭に手を乗せながら「こいつらが話していたからな」と言う。


 「ま、入学初日から篠宮と力比べをする血気盛んなやつってイメージが強いけどな!」


 そう言って笑う悠真に渚杜は「あ……」と入学初日のことを思い出した。あれを見られていたらしい。


 「って、俺までここで時間を費やしたらダメだろ! ほら、家族との再会は果たしたんだからさっさとミーティングに戻るぞ!」


 「断る! 俺はもう少し渚杜と一緒にいる!」


 奏冴がはっきりと言う。その横で智景が頷いた。二人の反応に悠真がニコリと笑みを見せる。察した柊乃が椅子を片付けてそっと離れた。


 「そうか。分かった」


 静かに告げた悠真の表情はにこやかだ。が、額には青筋が見える。背を向けている奏冴と智景は気付いていないが、見上げている渚杜は悠真の怒りに気付いて慌てた。


 「あ、あの……先輩」


 渚杜が悠真のことを伝えるよりも前に悠真の手が伸びた。素早い動きで奏冴の頭上に拳が落ちるが、届く前に奏冴が避けた。舌打ちする悠真に振り向いた奏冴が得意げに笑う。


 「そう何度もやられるかよ!」


 舌を出して挑発する奏冴に悠真は表情を変えず後ろ手で印を結んだ。先に気付いた智景が降参と両手を上げる。気付いていない奏冴は智景の行動に疑問符を浮かべている間に悠真が印を結び終えた。


 「縛」


 静かにそう告げると奏冴の体に金色の鎖が巻きつく。


 「なっ!? おいこら悠真! 何すんだよ!」


 奏冴が抵抗するが、鎖はびくともしない。悠真は鎖の端を持つとそのまま歩き出した。相手の抗議はすべてスルーするあたり慣れているのだろう。拘束から免れた智景は諦めたように息を吐くと悠真の後を追う。扉の前で一度立ち止まった悠真が渚杜へ振り向いた。


 「邪魔したな卯月。また今度会おう。ほら、行くぞ」


 「行くぞ。じゃねー! 引っ張んな! 俺は渚杜と話すことが! 悠真! クソゴ……」


 悠真に引っ張られながら退場する奏冴の悪態は途中で鈍い音と共に途絶えた。智景も振り向き渚杜へ微笑みを向ける。


 「渚杜、またね」


 そう言って智景も出て行った。


 「あ、嵐みたいだったな……」


 終始ポカンとしながら様子を見ていた和貴がようやく口を開いた。


 「ふふっ、ええ。そうですね。普段はもう少し大人しいのですが、どうもあの子たちは渚くんと再会出来てはしゃいでいるようで。あともう一人来ますよ、うるさいのが」


 柊乃がそう言って扉へ視線を送ると、廊下から声が聞こえてきた。


 「なぎとぉーーーー!」


 勢いよく入ってきたのは雪邑。またか、と涙の引っ込んだ式神たちが相手を見上げる。


 「無事でよかった! ほんと、加勢に行きたかったのに邪魔が入って……思い出しただけでも腹立つな」


 「雪邑先生!?」


 雪邑の登場に生徒の見舞いに担任が来るとは思っていなかった渚杜は目を丸くする。和貴も目をしばたたかせて相手を見ていた。


 (いや、狐井兄妹全員登場とかどうなってんだ? 普通滅多に会えない人たちばかりだぞ!? 渚杜と全員関係があるってこと……なのか? それにしては本人は知らないみたいだけど……)


 疑問を浮かべている間に雪邑たちは話を進めていた。彼の話では陰の出現を受けて生徒たちを陰陽寮まで避難させ、渚杜の元へ向かったが、そこには綾音だけがいた。彼女から渚杜が異変を感じてそこへ向かったことを聞き、綾音に離脱を命じた後に雪邑は渚杜の加勢へ向かおうとした。けれど、そこに二匹の鬼が立ちはだかった。二匹の鬼は双鬼(そうき)。全体的に白っぽく、鬼の象徴たる角はそれぞれ一本ずつ額の左右に生えていた。彼らの目的は魂狩りと狐狩りだったという。


 「狐狩り……?」


 疑問を口にした渚杜へ雪邑は頷いた。


 「そうだ。奴らは確かにそう言っていた。おそらく、双鬼は九尾の配下。九尾は完全復活のために霊狐を取り込もうとしているらしい。ま、そう簡単にはやられないけどな!」


 「でも、苦戦したんですよね?」


 間髪入れずに指摘する柊乃に雪邑は言葉を詰まらせた。恨みがましく柊乃を見る。


 「あのなぁ、俺たちは能力低下中! それでも双鬼相手に一人で戦ったんだからそれだけでもすげーだろ!?」


 「じいちゃんから聞いたことがあります。鬼は悪鬼の数倍強い存在で、鬼にも種類があって中でも魂や人を喰らう鬼は最も危険だって」


 「ほらな! 渚杜はいつだって俺の味方だなぁ……」


 「いえ、そういうわけではないです」


 否定した渚杜に雪邑はショックを受けたように床に座り込んだ。


 (……雪邑先生のキャラが崩壊している)


 和貴は抱いた感想を口に出さず己の胸の内へ仕舞った。そもそも、今の会話を聞いてよかったのだろうかとさえ思っていた。


 「雪ちゃん。落ち込んでいるところ悪いですが、キャラクターが崩壊していることに気付いています? 素を見せすぎて渚くんたちが困惑していますよ?」


 (言っちゃった! 柊乃先生遠慮なく言うんだな……)


 笑顔で言った柊乃を見上げた雪邑は渚杜、式神たち、そして和貴を見て沈黙した。部屋の中に微妙な空気が流れる中、雪邑が立ち上がり咳払いをする。


 「渚杜、無事で良かった」


 「雪ちゃん、今更取り繕っても遅いですよ」


 一連のやり取りをなかったことにしてやり直そうとする雪邑に追い打ちをかけるように笑顔で柊乃がツッコミを入れた。狐井兄妹の順位を渚杜たちは認識し、柊乃が一番強いのだと悟った。


 「……。ま、まあ、双鬼は途中で撤退。俺が向かった時には化け物は祓われて、渚杜と弥生、篠宮たちが倒れていたわけだ。すぐに高槻たちを呼んで生徒全員をここに運んだ」


 「そうですね。雪ちゃんの素早い行動のおかげでもあります。そこは褒めましょう」


 「あんま嬉しくないな……」


 「何か?」


 「いいえ」


 二人のやり取りを見ていた渚杜が声を殺して笑い始めた。奏冴と智景、柊乃と雪邑たちのやり取りは初めて見るはずなのにどこか懐かしい。昔、よく見ていた気がすると思ってしまう。気付いた二人が笑う渚杜を見て目をしばたたかせる。同時に顔を見合わせてそして、ふっ、と笑い合った。ようやく止まっていた時が動き出した気がした。





 奏冴を引っ張っていた悠真はふと、足を止めた。


 「悠真、どうかした?」


 智景の問いに悠真が振り返る。足元には捕縛されている奏冴と、後ろを付いてきていた智景。二人は人間ではない。白狐と玄狐。この土地を護る四狐である。彼らは隠しているが、悠真たち一条家は知っている。そして、二人がさらに護ろうとしている存在―卯月渚杜についても知っていた。だが、本人に会うまでは伝承程度にしか思っていなかった。


 「なんだ悠真。難しい顔して。珍しいな」


 「気が付いたなら自分で歩けよ」


 「その前に捕縛を解け」


 溜息混じりに悠真が捕縛を解いた。自由になった奏冴が立ち上がり伸びをする。


 「で、どうした?」


 奏冴の問いに悠真が口を開く。


 「奏冴、智景。お前たちは卯月渚杜が大事か?」


 「なんだ急に。そんなの当たり前だろ? 何年待ったと思ってるんだ?」


 「当然。私の一番大切な子」


 何を言っているんだ、と言わんばかりの顔で返された悠真は「そうか……」と返して再び歩き出す。相手の問いの意味が分からないまま奏冴と智景は後を追う。


 (……狐に護られし者か。ついに現れたんだな……。爺様に報告をしなければ。だが、その前に任務が先だ)


 悠真たちは新たな任務である先日の化け物退治の事後処理および調査へと向かった。

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