緊急任務②

 息を吐きだし、相手を見据え、頬を滑る汗を手の甲で拭う。いくつかの咒文を試したがどれも大して効果はなかった。焦燥感が募っていく。


 「くそ……!」


 悪態を吐く渚杜の手が不意にレッグポーチへと触れた。中に手を入れれば、指先に紙の質感。それを指で挟むと脳内に太秦の声が響いた。


 『渚杜よ、悪鬼、悪霊どもの中には並みの咒文が効かぬものも存在する。そうショックを受けるでない。はははっ! お前は本当に顔に出やすいな』


 太秦が笑いながら大きな手を渚杜の頭に乗せて撫でる。


 『では、どう倒すか。聞きたいという顔だなぁ。それじゃあ、まずは霊符を書写するとろからだ。って、こら! 露骨に嫌そうな顔をするな。逃げようとするんじゃない!』


 「……じいちゃん、ありがとう」


 太秦へ礼を述べるとポーチから霊符を取り出した。咒文のみで祓える場合もあるが、祓えない場合は強力な霊符を使う。霊符は願望成就などに使うことも多いが、陰陽師の中には咒文の威力向上に使う者もいる。太秦は後者であり、弟子である渚杜は彼の教えにより日頃から書写した霊符をレッグポーチにいくつか入れていた。


 五枚の霊符を目の前に突き出し、息を深く吸って吐きだす。


 「一心奉送上所請(いっしんぶそうじょうしょしょう)、一切尊神(いっさいそんしん)、一切霊等、各々本宮に還り給え、向後(きょうこう)請じ奉らば、即ち慈悲を捨てず、急(すみやか)に須らく光降(こうごう)を垂れ給え」


 霊符が仄かに光り、熱を帯びる。霊符を握る手に力を込めて「黒緋、裏柳!」と二人の名を呼ぶ。二人はすぐに反応して化け物へ斬撃を見舞い、地面を蹴って一気に主の傍まで戻った。


 「オン・バンバク・タアタ・ウン・シツチ・アキネイ・ウンウン・ソワカ」


 渚杜は霊符を化け物へ放った。五枚の霊符は化け物の身体に張り付く。相手は霊符を剥そうと藻掻く。その間に渚杜は咒文を唱えた。


 「ナウマク・サンマンダ・バサラタン・カン、オン・マカキャラヤ・ソワカ、ナウマク・サンマンダ・ボダナン・バラマネ・ソワカ」


 化け物に張り付いた霊符が輝きを増し、化け物は悲鳴を上げる。効果ありと確信した渚杜は息を吐きだし、「四縦五横、吾、今、出てゆく。禹王(うおう)、道まもり、蚩尤(しゆう)、兵をしりぞく。盗賊起こらず、虎狼行かず、故郷に還帰せん。吾に当たる者は死し、吾に背く者は亡ぶ(ほろぶ)。急々如律令!」と唱える。


 唱え終わると化け物は悲鳴上げながら体が消滅していった。敵の消失を確認した渚杜はゆっくりと息を吐きだした。


 「はぁー、あっぶなかった! え? ここの陰陽師たちにとってあれが雑魚レベルなのか!? こ、これが田舎と都会の違いってやつか……!」


 「あれが雑魚とは思えないけど」


 「ねえ、主様。あれを見て」


 裏柳が渚杜の袖を引く。少女が指す方向へ視線を移すと、憑りつかれる前の男が立っていた。男は力なく地面に座り込んだまま空を見つめ何かを呟いている。


 「俺は、俺、は、あいつらを許、許さない。呪、呪って……呪って、必ず殺してや、る!」


 「強い恨み、か……」


 死人である男は未だに恨みが晴れず、その強い想いから再び何かを呼び寄せようとしている。その前に祓わねばもう一度先ほどの化け物と戦うことになるだろう。


 「今、楽にするから」


 咒文を唱えようと口を開きかけた渚杜の背後に少女の声が届いた。


 「やっとたどり着いた! 何なのよ! 結界なんて張り巡らせて!」


 憤慨している少女は先ほどまで誰も居なかった空間から出てきた。さすがに驚いた渚杜が目を丸くして少女を見る。二人の式神も唖然としていた。少女の言葉に渚杜は高槻が張った秘咒の他にいくつもの結界が張られていたことに気付く。渚杜が気付いたタイミングでそれらは解除されていき、今は高槻の秘咒のみが残っている。結界を張るにもそれなりの訓練が必要であり誰でも出来るわけではない。ましてや複数の結界を同時に展開するには相当な力が必要である。高槻以外に誰が結界を張ったのか、今は考えても仕方がない。それ以前に目の前の少女は誰なのだろう、と渚杜は相手をジッと見つめた。


 「……なに? さっきから人のことをジロジロと見て。失礼じゃない? って、なに貴方、変な面なんか付けて」


 「ん? ああ、気分を害したなら謝るよ。だって何もない空間から急に姿を現したら誰だって驚くだろ?」


 「……それもそうね。ところで、あれは貴方が祓ったの?」


 あれ、と少女が指したのは先ほどから呟い続けている男。渚杜は一度だけ頷いた。


 「そう……。貴方なかなか強いのね。陰陽師としてはかなり上位じゃない? でも、おかしいわね。貴方くらいの陰陽師なら私が知らないはずないんだけど。久坂にも秘密にされていた人がいたのかしら」


 肩を竦めながら少女は男に近づく。渚杜も彼女の後に続いた。


 「ああ、あああ。まだだ、まだ。俺は、呪、呪って……憎い、憎い憎い憎い!」


 「もうほとんどの理性が喰われているのね。あのままちゃんと死んでおけばこんなことにはならなかったのに……。ううん、違うわ。私たちがちゃんと最後まで見ていなかったからよね」


 「どういうこと?」


 問う渚杜に少女は「貴方、本当に何も知らないのね。どこの田舎から来たのよ」と溜息を吐いた。


 「その前にこの死人を楽にするのが先よ。放っておけばこの人は呪いを集めてしまうわ」


 少女が祓うのかな、と見ていた渚杜は相手から睨まれて背筋を伸ばした。睨んだ少女は「貴方が祓うのよ」と言う。思わず「俺が!?」と目を丸くしたが、相手には渚杜の表情が見えない。渚杜は溜息を一つ吐いた。


 「漸漸修学(ぜんぜんしゅうがく)、悉当成仏(しつとうじょうぶつ)、願以此功徳(がんいしくどく)、普以於一切(ふぎゆうおいっさい)、我等与衆生(がとうよしゅじょう)、皆共成仏道(かいぐじょうぶつどう)、毎自作是念(まいじさぜねん)、以何令衆生(いがりょうしゅじょう)、得入無上道(とくにゅうむじょうどう)、速成就仏身(そくじょうじゅぶつしん)」


 唱え終わると、男の体は薄くなり、消えていった。最後に男は渚杜を見て「あり、ありがとう……。これで、俺はか、家族の元へ……」と涙を流した。

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