浅葱(あさぎ)

 夏季休暇が明け、陰陽寮にも生徒たちが戻り、教室が賑やかになる。亘たちは意識を取り戻し、現在はリハビリを受けているところだ。新学期が始まってすぐ、十一月には鬼気祭が行われる。夏季休暇中に準備は進められていたが、舞いや祭殿の準備などに追われる。それは通常の授業や実習、任務の合間に行われるため、忙しくなる。

 準備は主に任務の少ない一、二年で行われる。渚杜は一年代表として舞いを披露することになっていた。授業や鬼気祭の準備の合間を縫って渚杜は記憶の中で聞いた加賀見皇延という陰陽師について調べていた。けれど、彼に関する記述はほとんど残っておらず、平安時代に官人陰陽師として官職陰陽属を与えられていたことしか分からなかった。そんな中、渚杜たちの教室に悠真が顔を出した。


 「卯月、今日の夕方時間はあるか? 弥生と久坂も」


 俺も!? と驚きを隠せない和貴と対照的に綾音は静かに聞いているだけだ。


 「大丈夫です。何かあるんですか?」


 「爺様、いや。一条家当主がお前を連れて来いと言っていてな。放課後、この前のファミレスで待っていてくれ。迎えの車を寄越す」


 「分かりました」


 了承した渚杜に安堵の表情を見せた悠真は「じゃあ、また後で」と残すと去っていく。


 「何で俺たちまで行くことになってんだろう」


 「さあ。一条家当主直々の呼び出しなら従った方が身の為よ」


 「今日って半日で終了だよな? 鬼気祭の準備を少し早めに切り上げさせてもらってファミレスに向かおう」


 意気込んでいる渚杜に押されるように和貴と綾音は「わかった」と頷いた。



 準備を早めに切り上げてファミレスへと向かっていた渚杜はバスを降りてすぐ、足を止めた。つられて和貴と綾音、式神二人も足を止めて彼が見ている方へと視線を向ける。


 「どうした渚杜? 知り合いでもいるのか?」


 「主?」

 「主様?」


 声を掛けられた渚杜が「あ、うん……」と歯切れの悪い返事をする。


 「あー、私喉が渇いたから先にファミレスに行ってるわ。ほら、弥生と式神ズも行くわよ。弥生がアイス奢ってくれるって」


 「は!? 俺!?」


 綾音の発言に目を丸くしている和貴を黒緋と裏柳が見上げる。「アイス!」と表情を輝かせる二人を見れば断れない。和貴は「わかったよ! 奢ればいいんだろ!?」とやけくそ気味に言いながらファミレスに足を向けて歩き出した。


 「渚杜、用事が終わったら必ず来いよな」


 「うん。ありがとう、みんな」


 そう言って和貴たちと反対方向へ駆け出す渚杜を綾音は少し寂しそうに見ていた。綾音のスカートを引く手に視線を落とせば、式神二人が心配そうに見上げていた。


 「綾音、主のために気を遣ってくれた」

 「ありがとうございます」


 「何のこと? 私は喉が渇いただけよ」


 素直になれない綾音は素っ気なく言うと先に行ってしまう。


 「黒緋ちゃん、裏柳ちゃん早くおいで」


 和貴に手招きされた二人は手を繋いで相手を見た。本当は主の傍に居たいが、彼が視ていたのは先日の少女。なんとなく邪魔してはいけないと思ってしまったのだ。不安を二人で紛らわすように繋いだ手にキュッと力を込めて和貴の元へ駆けた。


 四人がファミレスに入ったのと同時刻、渚杜は先ほど見かけた人物を追いかけた。逃げるつもりがなかったのか、少女は途中で立ち止まり振り向いた。


 「熱烈な視線がすると思えば、渚杜か。何の用だ?」


 「え? あ、え……と」


 無策だったことに気付いて渚杜が言葉に詰まる。少し恥ずかしくなって渚杜の頬に熱が集中した。少女に何かを言いたかったわけではない。そもそも、少女と簡単に再会出来るとは微塵も思っていなかったのだ。何か言わないと、と考えている渚杜の耳が笑い声を拾う。声の主は少女で、渚杜の姿を見て笑いを堪えているところだった。


 「ふっ、ははっ。そんなに私に会いたかったのか?」


 「あ、ははは。そうかもしれない。また君に会いたかったんだ」


 「……あまりストレートすぎるのもどうかと思うぞ?」


 直球で来る渚杜に冗談で言ったつもりの少女は返り討ちにあった気分になる。少し頬を膨らませて視線を逸らした。


 「え!? ちょっと、何で不機嫌になるんだよ」


 「別に不機嫌ではない。お前はいつもそうやって誰かを誑し込んで……」


 顔を背けてしまった少女に渚杜はどうやって機嫌を直してもらおうかと考え込む。うーん、と両腕を組んで唸り声を上げる渚杜の耳に女性の声が届いた。腕を解いてそちらを見るとチラシ配りをしている女性が声を掛けていた。


 「クレープの移動販売行ってまーす! 是非、お立ち寄りください」


 渚杜が近寄ると、女性が笑顔でチラシを渡してきた。それを持って少女の元に戻る。


 「ねえ、クレープ食べない?」


 「くれーぷとは何だ?」


 (おっ! こっち見た)


 聞き慣れない単語に反応した少女が見上げてくる。渚杜は貰ったチラシを少女へ見せながらクレープについて簡単に説明すれば、興味を持った少女は「ま、まあ。食べてやってもいいぞ」と言う。心なしか、少女の背後で尻尾が揺れているように見える。


 (可愛い……)


 素直な感想を抱いたが、口にしてしまうと再び機嫌を損ねてしまいそうで渚杜はグッと堪えると少女を連れてクレープの移動販売車まで移動した。


 「お待たせしました。ご注文、どうぞ」


 列に並んでいる間に少女は悩みに悩んだ結果、ラズベリーとブルーベリーパフェを選び、渚杜は抹茶白玉あずきクリームを注文した。


 「ふふっ、仲良し兄妹ですね。はい、どうぞ」


 出来上がったクレープを渡しながら店員の女性が温かな眼差しを向ける。渚杜はくすぐったいような気持になりながら受け取った。クレープを片手に座る場所を探して近くのベンチへと腰を下ろした。


 「こ、これがくれーぷと言うやつか!」


 少女は興味深そうに眺めていたが、アイスが溶けそうになり慌てて口に入れた。生クリーム、ラズベリーとブルーベリー、苺アイス、シガレットラングドシャの上からベリー系のソースがトッピングされたクレープに少女は表情を輝かせた。

 口の中でベリーの甘酸っぱさとアイスの冷たさと甘さが広がり、美味しかったようで次から次へと口に運んだ。それを見て目元を和らげた渚杜も自分の頼んだクレープを口にした。彼のは生クリームとあずき、抹茶アイス、白玉がトッピングされている。あずきの甘さと甘さ控えめの生クリーム、ほろ苦い抹茶アイスが丁度良かった。今度、みんなで食べに来ようと密かに誓う。


 「美味しい?」


 クレープを頬張っている少女に問えば、相手は夢中で食べていたことに気付いて勢いよく渚杜を見上げた。口元にクリームが付いている。渚杜はいつもの癖で少女の口元に付いているクリームを親指の腹で拭い、そのまま舐めた。


 「な、な……! おまっ、何をする!」


 渚杜にとっては式神二人にやっていることで深い意味はなかったが、少女は激しく動揺していた。少女の反応を見てようやく自分の行動に気付いた渚杜が「ご、ごめん」と謝罪する。顔を真っ赤にした少女は口を何度も開閉して「そういうところだぞ!」と言ってクレープを一気食いした。


 クレープを食べ終わったところで渚杜が少女へ声を掛けた。


 「……あのさ、この前はありがとう。君のおかげで記憶が戻った」


 「礼はこの前聞いた」


 「俺が言いたかったんだ。……ねえ、今の君の名前は?」


 問いに少女が「無い」と素っ気なく答えた。白藍がこの姿を形成してから少女はずっと名無しだった。少女にとってはあの時に付けてもらった名が特別であり、呼んでくれる存在がいない今、必要のないものになっていた。


 「そっか。でも、不便じゃない? 俺も何て呼んでいいか分からないから」


 「不便を感じていないから今まで名がなかったんだが?」


 「俺が付けていい? 付けるね?」


 「人の話を聞け! まったく、お前は昔から人の話を聞かな……」


 渚杜がどんな名前にしようか、と考えている隣で少女はふと、昔を思い出した。


 (そうだ……前もこんな風にお前は勝手に私の懐に入って。……名をくれたな)


 遠い昔、陰陽師によって祠に封じられた善狐の前に突然現れた少年。身の丈七尺、尾まで入れて一丈五尺にもなる狐に普通の人間は恐怖の感情を向けるが、少年は臆さず近づきあろうことか身を寄せた。


 『お前、私が怖くないのか?』


 『全然。だって君は優しい狐でしょ』


 『はっ! 人間たちは私を畏れこんなところに封じたんだぞ!? 貴様、喰われたくなかったら早々に去れ』


 脅したつもりだが、少年はキョトンとしていた。少しして、笑い出す。何が可笑しい、と睨みつければ、少年は『もう封印は解けているのに自分から出ようとしない君が、僕を食べるとか。はははっ!』と腹を抱えて笑った。図星を突かれた狐は拗ねたように前脚に顎を乗せる。その様子に少年は『ごめんって』と謝りながら狐に触れる。


 『君は独りぼっち?』


 答えない狐に少年は寄り添いながら『僕もなんだぁ……』と金色の毛に顔を埋めた。泣いているのか、と言いかけた狐は声に出さず自分の尾で少年を包んだ。


 『ほら、やっぱり優しい……』


 『ふん。たまたま私が尾を寄せたところにお前がいただけだ。勘違いするなよ』


 そうは言いながらも狐は少年を慰めるように尾で撫でた。


 『ねえ、君の名前は?』


 『無い。私たち狐に名があるとでも?』


 鼻で笑う狐に少年は『そっか……』と寂しそうに零す。


 『名前が無いと不便じゃない? ほら、狐じゃ他の狐と混合するでしょ』


 『いや、不便を感じたことはないが? そもそもお前まだここに通う気か?』


 『うん』


 うん、じゃない。と狐は言いかけてやめた。人間の言う言葉を信じるわけではないが、少年にはまた会いたいと期待している自分がいることに驚く。拒否して少年が来なくなったら寂しいと絶対に口にはしたくない狐は『好きにしろ』とだけ言う。それを聞いた少年が嬉しそうに笑ったのを今でも覚えている。


 『そうだ! 君の名前、……はどうかな?』


 会話も、彼の笑顔も覚えているのに、名前だけがどうしても思い出せない。少女は視線を地面へと落とした。一番大切なものなのに、と奥歯を噛み締めたところに渚杜が「決めた!」と声を上げる。それにつられるように少女は顔を上げた。


 「浅葱(あさぎ)。君の名前は浅葱。どうかな?」


 笑みを向けてくる渚杜に少女は泣きそうになる。再び名を与えられるとは夢にも思っていなかった。胸の中がじわりと温かくなる。浅葱は自分の胸に手を当てて服の上からキュッと握った。涙が溢れそうになり俯いた浅葱を心配した渚杜が声を掛ける。名を呼ばれる度に堪えきれない涙が一つ、一つと零れてスカートに染みを作っていく。


 (もう、呼ばれることなんてないと思っていたんだがなぁ……。そうだ、あの時もこんな気持ちだった。温かくて、優しくて……。共に過ごすうち、いつの間にか私はお前に恋をしていたんだ。だから、お前が死んだことを受け入れられなかった。悲しかったんだ)


 「だ、大丈夫!? そんなに嫌だった? どうしよう……泣かせるつもりじゃ」


 泣き出してしまった浅葱に動揺する渚杜がオロオロとする。浅葱は感情のコントロールが出来ず止まらない涙を腕で何度も拭っていた。


 「えっと、ごめん!」


 隣で渚杜がそう言ったと思えば、浅葱は渚杜の腕の中にいた。目を丸くする浅葱は突然の事に驚き、涙が引っ込んだ。抵抗されると思っていた渚杜は自分の腕の中で大人しくしている浅葱に安堵しながら相手の頭を優しく撫でた。


 (……昔と逆ではないか。元服前の子供だったお前は私からすれば小さく、寄り添ってくるお前を私が尾で撫でていたのに。……そうか、あの子の年齢を超えていたんだな)


 「名前が気に入らなかったら他の名前を考えるからさ。……泣かないでよ。君の泣く顔を見ると苦しくなるんだ」


 「嫌では……ない」


 ポツリと零す浅葱に渚杜が目をしばたたかせる。「ほんと?」と問うてくる相手に浅葱は小さく頷くと、頭上から「よかったぁ」と声が降ってくる。つられて見上げると渚杜が満面の笑みを向けていた。


 「……、」


 彼の笑顔がかつての少年と重なる。浅葱は頭を渚杜の胸に預けて双眸を閉じた。


 (ああ……、そうだ。私はまだお前を好いているのだな……)


 「浅葱……か、いい名だ」


 顔を上げて微笑んだ浅葱に渚杜が「よかった」とまた笑う。新たな名を与えられても、元の名を取り戻さなければ怨霊から切り離すことは出来ない。浅葱は体を離して渚杜を見据えた。真剣な表情に渚杜が「浅葱?」と疑問符を浮かべる。


 「渚杜、お前九尾狐に呪詛を掛けられた日がいつか分かるか?」


 「十月二十九日?」


 そうだ、と浅葱は頷いた。十月二十九日。九尾狐の封印が解かれ、渚杜に呪詛が掛けれた日だ。その日から十年の歳月が経とうとしている。今年の同じ日に呪詛は完成し、同時に渚杜は死に魂は消滅する。呪詛の完成までに残り一月を切っており、記憶が戻ってから渚杜は白藍が言っていた陰陽師―加賀見皇延について調べていた。しかし、進展はほとんどなく正直渚杜は焦っていた。


 「……その日を迎えると俺は死ぬ、んだよね……」


 「……ああ。だが、絶対にお前は死なせない。もう二度あんな思いはごめんだからな」


 「俺も。君を取り戻して、白藍を解放する」


 拳をきつく握りしめて決意を口にする渚杜の瞳は真っ直ぐ浅葱を見つめた。渚杜の決意に浅葱は「そうか」と零す。


 「渚杜、今から言うことを金狐に伝えてくれないか。金狐なら伝わるだろう」


 そう言った浅葱に渚杜は頷いた。

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