古弥煉様の現状

 翌日、柊乃に呼ばれた渚杜は放課後に医務室を訪れた。黒緋と裏柳は用事があると言い同行していない。


 「すみません渚くん。急にお呼びしてしまって。お時間大丈夫ですか?」


 「大丈夫……です」


 「ふふっ。敬語ではなく、昔のように気軽に話してください」


 「あ、ははは。いや、一応ここ学校だし、俺たち先生と生徒って認識されてるから」


 苦笑する渚杜に柊乃は「そうですね」と少し思案すると、ニコリ、と笑みを見せた。


 「では、他の生徒のいないときなどは親し気に、その他では先生と生徒として振舞うのはいかがでしょうか。もちろん、私だけではなく雪ちゃんたちみんなに対しても」


 「うーん、まあそれなら……」


 「せっかく記憶が戻ったのに昔のように話せないのは寂しいですから」


 寂しそうに言う柊乃に渚杜が「そうするから!」と慌てて声を上げると、柊乃は満面の笑みを浮かべた。相手のペースに乗せられた渚杜が言質を取られたと額を抑える。


 「ところで、柊乃。呼び出しの理由を聞いてもいい?」


 渚杜の切り出しに柊乃が「そうでした」と思い出したように言う。そして、渚杜に椅子に座って待つように告げると席を外した。少しして柊乃はお茶とお菓子を手に戻る。相手は渚杜の正面に腰かけると表情を真剣なものへと変えた。


 「古弥煉(コヤネ)様のことをお話しようかと。あの方の事はご存知ですか?」


 「うん。古弥煉様は俺が子供の頃からよくじいちゃんとこに来てた。空狐で、ここの土地神様でしょ? そうだ! こっちに来てから忙しくてまだ挨拶出来てないんだ。柊乃、古弥煉様にどうやったら会えるか分かる?」


 「そのことなのですが……」


 久しぶりに古弥煉に会えると瞳を輝かせる渚杜とは対照的に表情を曇らせる柊乃に渚杜は「柊乃?」と疑問符を浮かべる。何となく、嫌な予感が過る。


 「まずは古弥煉様の事を語らねばなりませんね」


 そう言って柊乃は自分が白藍から聞いた古弥煉の現状を話しはじめた。

 古弥煉は空狐として千年以上前からこの地を治めていた。けれど、その空狐は千年前の九尾狐誕生の折り、一人の人間の願いを聞くために神と取引をした。内容は人間の転生先を指定すること。叶える代わりに神は九尾狐の討伐を課し、さらに古弥煉自身を担保にした。故に古弥煉は千年前から眠りについている。空狐の代行者として白藍が選ばれ、この地を治めていた。


 「古弥煉様は眠ってる?」


 問いに柊乃が頷くが、渚杜は眉根を寄せながら首を傾けた。


 「眠っているはずの古弥煉様に俺何度か会ってるよ?」


 「それについて話しますね」


 空狐である古弥煉には白藍と同じで千里眼で未来を視ることが出来た。例え未来を垣間見ることが出来てもそれ通りに事が進むわけではない。それでも古弥煉はいくつもある未来の中から最も九尾狐を倒せる可能性の高い未来に賭けた。神と取引をする前に己の力を複数に分けて創り出した分身(わけみ)。


 それらは役割を果たせば古弥煉に戻る仕組みであり、古弥煉は分身に複数の役割と自我を与えていた。渚杜のところに来た古弥煉も分身の一体であり、渚杜と四狐たちのパイプ役だった。さらに言えば、渚杜が中務省の職員に連行された際、太秦に事情を伝え渚杜の処分を止めたのも、彼を引き取り陰陽師として育てるように頼んだのも古弥煉だ。


 「古弥煉様らしいというか何というか……」


 「ええ。そうですね。神と取引をする前から準備しているのですから」


 「でも、神様にはバレテそうだけど大丈夫なのかな?」


 「……おそらく、気付いてはいても九尾狐討伐を優先させたいのでしょうね」


 「ねえ、複数体いるってことは他の分身がいるんだよね? 柊乃は会ったことある?」


 渚杜の問いに柊乃は「ええ」と頷く。さらに彼女は「既に渚くんも会ってますよ」と付け加えた。目を丸くする渚杜に柊乃はふふっ、と笑う。


 「誰!? 俺、この学校以外にそんなに人と会ってないんだけど」


 出逢った人を思い浮かべながら古弥煉の分身に誰が該当するのか考えている渚杜を眺めていた柊乃が「そろそろ答え、伝えましょうか?」と言えば、渚杜が前のめりで頷いた。


 「鬼多見学長ですよ」


 「え!? あ、ああ……」


 一瞬、驚いたものの、一番しっくりときた人物に冷静になる。柊乃の話では、九尾狐に憑いている元凶である怨霊。それを祓える者が必要であると考えた古弥煉は長い年月をかけて陰陽師を育成する機関である陰陽寮を創設し、そこの学長に就いた。怪しまれないために姿と名前を変えて創立時から学長として陰陽寮にいるらしい。中務省の職員に捉えられていた柊乃たちの拘束を解いて陰陽寮の職員として誘ったのも鬼多見こと古弥煉だった。


 「古弥煉様……なんでそこまで」


 「私もそれ以上の詳しい情報は伝え聞いてはおりません。ですが、古弥煉様が自身を賭けてまで一人の人間の願いを叶えたというのは理由があるのでしょう。……薄々気付いているのではないですか、渚くん」


 「……昨日、記憶を見たんだ。その中で九尾狐が生まれ変わりだって言ってた。たぶん、古弥煉様が叶えた願いの人が前世の俺だよね」


 柊乃は答えない。ただ、微笑むだけ。けれど、渚杜の中で答えは出ていた。散り散りだった情報が一つに集まり、一本の線になる。すべて前世から続いているものだ。最初は九尾狐に掛けられた呪いを天狐が食い止めるためにその身を犠牲にしたと聞かされたことから始まった。それは記憶を封じられた渚杜が混乱しないための古弥煉なりの気遣いだったのだと今なら分かる。彼らの視た未来通りなのかは分からないが、渚杜は陰陽師の道を歩み、茅川町へ訪れた。


 「前世から続く因縁か……。柊乃、俺は絶対に九尾狐を倒すよ。前世の俺、白藍、古弥煉様……たくさんの人たちが繋いで託したものがあるから最後に受け取った俺が落とすわけないはいかない。……残された時間は少ないけど」


 「渚くん」


 柊乃が手を伸ばして渚杜の頬に触れる。両手で相手の頬を包むと柊乃が顔を寄せた。口付け出来そうな距離に戸惑いの色を見せる渚杜を余所に柊乃は顔を近づける。そのまま自分の額を渚杜の額に合わせて瞳を閉じた。


 「し、柊乃!?」


 「渚くん、前にも言いましたが、私たちは貴方の成長を見届けたい。もっと一緒に居たいのです。だから、必ず戻って来てください。これは御守りです」


 そう言って柊乃は白藍がやった時と同じように渚杜の額に口付けを落とした。触れるだけの口付けはすぐに離れる。両手を離した柊乃は人差し指を唇に近づけると「今のは他の人たちには内緒、ですよ」と悪戯っ子のように笑った。

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