加賀見 皇延(かがみ こうえん)
全員の表情が一気に引き締まる。
平安時代。今よりも陰陽師が多く活動していた時代、陰陽師は官人陰陽師と法師陰陽師とに分かれていた。官人陰陽師は役人、法師陰陽師は陰陽術を扱う法師たちを指している。官人陰陽師はエリート集団ではあるが、当然数が少ない。対して法師陰陽師は多く存在していた。貴族による権力争いは後を絶たず、血を流すことを嫌悪していた貴族にとって敵対者を蹴落とす方法に呪詛を用いた。それを用意するのが法師陰陽師であった。
官人陰陽師は役職に応じてそれぞれ業務を行っていたが、その中で呪詛返しを行う者たちがいた。加賀見皇延もその一人であった。官人陰陽師の中には安倍家、賀茂家と名家の他に一条、如月、弥生、四宮、久坂など数字を関する苗字を持つ者たち十二家が在籍しており、加賀見皇延は彼らに引けを取らない実力者だった。けれど、皇延のことをよく思わない者たちは自分たちの仕事である呪詛返しを皇延に押し付けた。皇延は押し付けられていると知りつつも、罪のない者たちが権力争いの為に呪詛で殺されることを良しとせず、その者たちの為に呪詛返しを行った。
呪詛返しをするという事は、呪詛が失敗した場合、実行した貴族に呪詛は返り、最悪死を迎える。呪詛返しで死んだ貴族の霊が皇延に集まり、それらが次第に膨れていく。集まった霊は怨霊と成り皇延に復讐しようとするが、皇延は強い精神力で跳ねのけていた。それでも日に日に怨霊は増え、皇延に疲労の色が見えていた。
しかし、押し付けた陰陽師たちは見て見ぬふり。そんな中で皇延が唯一心の支えにしていたのが妻―葵だった。どんなに疲れていても葵が笑顔で迎えてくれれば皇延は耐えられた。ある日、皇延が呪詛返しを行い帰宅すると、いつも出迎えてくれる葵の姿が見えず、屋敷内は家人のほとんどが殺害されたあとであり、血の匂いが充満していた。嫌な予感に、焦りで顔色を変えた皇延がようやく探し出した妻の姿は無残なものであった。皇延の屋敷は葵を怨霊から護るため結界を張っている為怨霊の仕業とは考えられない。葵の遺体には刀傷。血に濡れた葵を抱き皇延は声にならない叫び声を上げた。仕掛けたのは呪詛返しにあった貴族。彼らは野盗の仕業に見せかけ、葵や家人たちを殺害したのだ。
皇延は反魂の術で葵を蘇らそうと試みたが、怨霊たちに邪魔され失敗。嘆き悲しむ彼の心に闇が生まれ、それに怨霊たちは付け入った。怨霊に憑りつかれた皇延が自我を失った途端、彼の屋敷から邪気が溢れ、それに当てられた妖たちが狂暴化し、次々と人を襲った。事態を重く見た陰陽寮の者たちが駆け付けると、怨霊に憑りつかれた皇延が佇んでいた。危険視した陰陽師たちが彼を祓おうと咒文を唱えるも、複数の怨霊を宿した皇延は祓えなかった。それどころか皇延は陰陽師たちを次々と殺害し、魂を取り込んだ。
国澄が一旦区切ったところで全員が重く息を吐いた。
「怨霊に憑りつかれていても加賀見皇延には陰陽術を相殺することも容易かった。一番敵に回してはならない者を我々は敵にしてしまったんだ」
そう言って国澄は続きを話しはじめた。
下級陰陽師では対処できないと判断し、上級陰陽師である安倍家、賀茂家が駆り出され皇延を祓おうしたが、いくつもの怨霊や魂を取り込んだ皇延を倒すことは出来なかった。仕方なく彼らは皇延を屋敷ごと封じることにした。何人もの陰陽師を投入し、大規模術式を展開し、巨大な結界を張った。そこは人の目から見つからないように異界とし、皇延の肉体が滅んだ後、霊体と化せば祓えるだろうと考えた結果である。
「だが、今でも屋敷の結界は維持。意味は分かるな?」
国澄に渚杜たちはごくり、と喉を鳴らした。九尾狐が誕生したきっかけが怨霊―皇延である時点で過去の陰陽師たちは祓えなかったことになる。
「皇延の肉体が滅んだ頃合いを見て数名の陰陽師が彼の屋敷へ足を踏み入れた。が、誰一人として戻った者はおらん」
「そんな……」
「乗り込んだ陰陽師の魂を取り込んだ皇延は結界の構造を把握し、解くのではなく霊体のみ結界の外へ出ることに成功した」
「じゃあ、異界にあるのが皇延の体。……彼の本体、という事ですか?」
「ああ。そう考えている。が、もう千年近くあの場には誰も足を踏み入れていない」
「何故分かる?」
奏冴の問いに国澄は瞳を伏せ、ゆっくりと言葉を発した。
「私たち一条家が結界の管理を任されているからですよ」
「え!?」
驚いたのは渚杜だけではなかった。綾音、和貴も初耳であったため驚きを隠せない。彼らの反応は想定内だったのか、国澄は続けた。
皇延の件で陰陽師たちには罰が与えられた。その中でも彼に呪詛返しを押し付けていた十二家への罰則は重く、何家かは左遷されている。一条家への罰は皇延が怨霊へと至った経緯の継承と結界の維持、久坂家、弥生家と篠宮家は降格だったが、弥生家の一人に皇延は強い恨みを持っていたためか、跡継ぎが出来ない呪いを掛けたとされている。
沈黙が客間に降りる中、国澄は渚杜に声を掛けた。
「卯月渚杜、太秦と靜殿は君にとってどんな人たちか?」
「え? あの、じいちゃんたちのことをご存知なのですか?」
目をしばたたかせる渚杜に国澄は目元を和らげて頷いた。彼と太秦は陰陽寮での同期であることを聞かされた渚杜は目を見開いた。
「俺にとって二人は育ての親であり、師でもあります。本来なら処刑されていたはずの俺を助けてくれてここまで育ててくれました。……とても厳しくて、でも、すごく優しい。俺の自慢の家族です」
国澄はそれを聞いて「そうか」と短く答えた彼の表情は満足そうに見える。
「君のいた那栖村(なすむら)は深山幽谷に集まる人の念の集まり、物の怪の集合体が多く発生する地だ。かつて如月家いや、今は卯月か、が左遷された地だ。太秦はそこで多くの物の怪を祓っている。君も太秦の後継として修業を積んだのだろう?」
「はい」
「……って、えぇ!? ちょ、渚杜!? お前の出身って那栖村なのかよ!?」
思わず和貴が声を上げた。式神二人にうるさい、と睨まれたが、突っ込まずにはいられなかった。綾音も声を上げないだけで同じ感想を抱いているようだ。那栖村の噂は陰陽師であれば誰もが聞いたことのある地名だ。そこで修業していたのであれば渚杜の強さも、経験値の多さも納得である。
「言ってなかったっけ?」
「初耳だ、初耳!」
あれ? と首を傾ける渚杜に呆れたように和貴と綾音は息を吐く。その様子を微笑ましく見ていた国澄は「もう少しだけ老人の話を聞いてくれないか」と渚杜たちへ言う。すぐに姿勢を正した渚杜たちに頷いた国澄は懐から封筒を取り出し渚杜へ差し出した。俺宛? と疑問符を浮かべる渚杜に相手は肯定するように頷く。
「これはかつての如月家が残した手紙だ。狐に護られし者、再びこの地に戻りし時、この手紙を託さん。そう伝えられてきた物だ。君は天つ狐と四狐に護られている者。この手紙を受け取るべき相手であると私は確信している」
そう言って国澄は奏冴と智景を見た。二人は黙って聞いていた。
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