期末試験④/陰
「ノウマク・サンマンダ・ボダナン・オン・ボダロシャニ・ソワカ!」
聞き慣れた声の咒文が聞こえた。次いで化け物の躰が隣のビルへと勢いよくぶつかっていた。化け物が落ちてくるはずだった地点には一人の少年と黒の水干姿の少女が着地する。弱った裏柳が小さな声で「主様」と零した。和貴も信じられないと目を丸くしている。確かにほんの少しだけ願いはした。だが、本当に来るとは思ってはいなかったのだ。
渚杜は振り向いて膝を折ると、裏柳の頭を優しく撫でる。
「来るのが遅くなってごめんな。よく頑張ったね、裏柳。和貴のことも護ってくれてありがとう」
そう言った途端に裏柳の双眸から再び涙が溢れ、泣き出してしまった。今まで渚杜と長く離れてことはなく、一人で戦うこともなかった裏柳にとっては不安と緊張が大きかった。和貴を死なせてしまうかもしれない。取り込まれた人たちを救う事も出来ない。そんな思いが膨れていた。だから、渚杜に掛けられた言葉に感情が抑えきれず泣き出してしまった。
「うわぁーん。主様、ごめ、ごめんなさ、ちゃんとまもれ、なくて、ごめ、んなさ……」
「違うよ。裏柳に落ち度はない。俺の判断ミスだった。もう少しちゃんと対策を取っておけばよかったんだ……ほんと、ごめん」
「柳……。あたしももう少し早く柳の気配を辿れていれば……」
渚杜が裏柳を抱きしめ、背中を優しく叩く横で黒緋も裏柳の頭を撫でて慰める。そんな三人を見ていた和貴がようやく動けるようになり、渚杜たちの傍に来た。
「卯月……助かった。ありがとう」
礼を述べた和貴に渚杜の肩が揺れる。ゆっくりと顔を上げてハッと驚いたように目を丸くする。相手の反応に和貴が疑問符を浮かべていると、渚杜が裏柳から手を離して慌ただしく髪を触り、少しだけ変えた。
「……ゴホン! ヒトチガイダヨ!」
「いや! どう見てもお前、卯月だろう!」
何を言うのかと思えば、人違いだと言う渚杜に和貴がツッコミを入れた。
「チ、チガウヨ?」
「なんでカタコトなんだよ……。だいたい、裏柳ちゃんと黒緋ちゃんを式神として連れている時点で卯月しかいないだろう? しっかり裏柳ちゃんから主様って呼ばれてるから間違いないだろ?」
溜息混じりに言われた渚杜は諦めたように息を吐いた。
「主はあれで誤魔化せると思ったの?」
「ふふっ。主様は誤魔化すのが下手ですね」
泣き止んだ裏柳が小さく笑う。隣では黒緋が呆れたように疑問を投げかけていた。
「はぁ……。バレたらまた怒られるだろ……。まあ、和貴たちが無事で良かった」
「……って、ああ!」
安堵した渚杜に頷きかけた和貴が大声を出した。驚いた黒緋が「和貴、声大きい」と睨み付ける。しかし、それどころではない和貴が慌てた様子で隣のビルへ視線を移した。ビルに叩きつけられた化け物ではなく、喰われた亘たちの身が心配だった和貴は彼らの無事を確認すると息を吐いた。
「良かった。あいつら無事だ……」
「ん? あいつらって?」
「篠宮たち」
「篠宮た、ち……?」と繰り返して恐る恐る化け物の方を渚杜が見た。そしてもう一度和貴の方を見れば、相手はゆっくりを頷いた。
「そう。篠宮たち五人は生きたままあの化け物に喰われた。そして、視た限りだとまだ生きてる。でも、確実に弱ってきてるから早めに助けないと死ぬ」
「和貴には視えるのか?」
目を丸くする渚杜に和貴はしまった、と口を抑えた。他の人とは違うものが視えるなど信じてはもらえないのが当たり前だ。陰陽師は皆、一般人よりも霊感が高く悪霊や、怨霊などを視認出来る。だからか、それ以上の物が視えるなど信じる方が少ない。稀に鬼や特殊な式神が視える者も存在するが、彼らは稀少故、存在を隠されることも多いが、鬼たちにとっても脅威と成りうるため狙われやすく、殺されることが多い。故に彼らは視えることを隠して生きているのだ。和貴もその一人で、弥生家の人間ですらごく一部しか知らないことだ。それなのに和貴は口にしてしまった。
「す、すごい! ばあちゃんも見鬼の才があったんだけど、和貴はそれ以上ってことだろう? まあ、二人が普通に視えてるからすごい才能だなって思ってはいたんだけどさ」
瞳を輝かせる渚杜が勢いよく和貴に迫る。予想外の反応に和貴は目をしばたたかせた。世事でもなく、本音なのだろう。
『和貴のそれはすごい才能なんだよ。今はまだ怖いことが多いかもしれない。でもね、それらを克服したらきっと、誰かの助けになると兄ちゃんは思うんだ……』
渚杜の言葉をきっかけに忘れていた兄の言葉を思い出す。
(誰かの助けに……。今がその時なのかな、兄ちゃん)
問うても返事は当然ない。
「和貴」
名を呼ばれて俯きかけていた顔を上げれば、真っ直ぐ渚杜が見つめてくる。
「頼む。嫌じゃなければ篠宮たちを助けるために力を貸してくれ。和貴の力が必要なんだ。俺たちじゃ篠宮たちまで攻撃しかねない」
頭を下げた渚杜に和貴が戸惑う。
『弥生家の恥じ。お前のような臆病者が出来ることは一つだろ。早く死ぬことだ』
そう言われ続けて数年。当たり前のように受け入れてきた。けれど、今渚杜が力を貸してほしいと頭を下げている。臆病者の自分とは違い、実力もあり危険だと分かっていて駆けつける勇気も持っている彼がだ。和貴は胸が詰まった。初めて頼られたことがこんなに嬉しいことだとは知らなかった。
(そっか、俺役に立てるんだ……。だったらやることは決まってる)
和貴は拳を固く握り、化け物と再び対峙することを選んだ。
「分かった! けど、俺は視ることしか出来ないからな! 霊符も残り二枚しかないから、期待するなよ!」
震える声でなんとか、誤魔化せるように声を張り上げる。和貴の返答に表情を輝かせた渚杜は「大丈夫。和貴も、篠宮たちも俺たちが皆助けるから」と力強く言った。
「黒緋、裏柳。行くぞ。ここからは俺たちの領分だ!」
叩きつけられたダメージから回復した化け物が体勢を立て直し渚杜たちの方へ飛び移ろうと狙いを定めている。和貴を後方へ下がらせ、前方に黒緋と裏柳、その後ろに渚杜が立った。以前戦った化け物と比べると桁違いの強さだと放たれる邪気から推測できる。
ふと、和貴の言葉を思い出した。喰われた人数は五人。前回の化け物は周りから陰の気は吸収していたが、実際取り込んでいたのは一人だった。つまり、取り込んだ分の強さを得ていると考えられる。しかも、今回はまだ生きている。化け物から亘たちを助けることが出来れば弱体化を狙えるかもしれない。
「問題はどうやって助けるか、だよな……」
咒文をいくつか唱えてみるか、二人の斬撃で離せるか。考えている間に化け物がビルから跳躍し、渚杜たちの方へと向かって来た。圧し潰す気でいるのか、巨躯が上空から近づき影が大きくなる。潰される前に渚杜たちが飛び退りながら咒言(じゅげん)を唱えた。
「奇一奇一(きいつ)たちまち雲霞(うんか)を結ぶ、宇内八方(うだいはっぽう)ごほうちょうなん、たちまちきゅうせんを貫き、玄都(げんと)に達し、太一真君(たいいつしんくん)に感ず、奇一奇一たちまち感通、如律令」
唱えた瞬間、邪気が一掃された。化け物の黒い躰を吹き飛ばし、中に取り込まれた人たちが露わになる。引っ張り出せるかもしれないと駆け寄ろうとしたが、それは一瞬のことですぐに陰が集まり取り込んでしまう。再生能力の高さに頬を引きつらせた渚杜に和貴が声を張り上げた。
「卯月! 取り込まれたやつらは化け物の体内で移動させられた! 四人はそれぞれ四肢に、篠宮が中央に配置されてる!」
「うわぁ……、四肢とかに移動出来るんだ。っと、危なっ!」
回復した化け物が叫びながら腕を振り下ろす。それを避けながら渚杜は金縛印を結び、化け物を金色の鎖で拘束した。
「主、どうする?」
「自由に移動できるなら攻撃しようとしたら篠宮たちを人質にされそうだな……」
「厄介です。和貴、視えているなら目印とか付けられないですか?」
裏柳の提案に「それだ!」と渚杜と和貴が顔を合わせた。
「でも、俺は霊符二枚しか残ってないぞ?」
「俺のを使ってくれ」
そう言って渚杜が霊符を何枚か手渡した。
「目印だよな。任せろ!」と受け取った和貴が印を結び、霊符を放った。全部で五枚の霊符はそれぞれ化け物の四肢と胸部へと張り付いた。化け物が霊符を剥そうと暴れ、鎖ごと引きちぎった。渚杜の合図で和貴が走り出し化け物から距離を取る。
「これで中の人間を斬らずに済むね」
「はい。遠慮なく斬れます……」
「裏柳……怒ってる?」
「そんなことはありません。……ありません」
二回言った、と二人は内心ツッコミを入れたが、口には出さなかった。感情を表に出している裏柳は既に柄へと手を掛け戦闘態勢に入っている。黒緋も倣い、柄へと手を掛けた。
「アア、ァアアアア!」
咆哮と共に化け物が向かってくる。四足歩行で加速してくる化け物から視線を外さず、黒緋と裏柳は同時に刀を抜いた。間合いに入ったところで二人が地面を蹴り、自ら化け物との距離を詰め、そのまま腕を斬り落とす。両腕を失った化け物が悲鳴を上げながら支えを失い前のめりに倒れる。すぐさま二人は後方に回り込み、後ろ脚を切断した。さらに悲鳴を上げる化け物。切断された個所から無数の陰が伸びて斬られた四肢を繋げようとする。そうはさせまいと二人の式神が刃を振るう。その姿は刀こそ握ってはいるが、水干姿も相まって舞う踊り子のようだ。二人の見ていた和貴が「すごい……」と思わず感嘆の声を上げる。黒緋と裏柳が再生を妨害している間に渚杜は咒文を唱えていた。
「付くも不肖、付かるるも不肖、一時の夢ぞかし。生は難の池水つもりて淵となる。鬼神に横道なし。人間に疑いなし。教化に付かざるに依りて時を切ってすゆるなり」
唱え終わると、斬り落とされた四肢から陰が抜け取り込まれた人たちが残った。倒れている生徒たちの微かなうめき声にまだ生きている事を確認した渚杜が安堵の息を吐いたのも束の間、亘はまだ胴体に取り込まれたままだ。化け物が咆哮を上げると、四肢が生えた。体躯は先ほどの半分以下になり、身軽になった化け物が跳躍して距離を取る。
「卯月! 化け物と篠宮の繋がりは深いものになった! たぶん、原因は前にお前が指摘した霊符を使用したせいだと思う!」
和貴には化け物の体内にある黒い靄が亘にきつく巻きついているのがはっきりと視えていた。渚杜が目を凝らしても靄は視認できない。改めて彼の力はすごいのだと思う。
「キ、キキ……キサ、キサラ、ラギ……キサラギ! アアア! キサラギィ!」
突然、化け物が言葉を発しだす。今までは言葉にならない声を発するだけだった化け物。和貴が言うように亘との繋がりが強くなったためなのだろう。一刻も早く亘を解放しなければ亘は助からない。
渚杜がどうすべきか思案している間に身軽になった化け物が攻撃を仕掛けてきた。反応した黒緋と裏柳が刀身で防ぎ、攻撃に転じる。二人の剣技に素早く反応する化け物に押され始める式神たち。考えている時間はない、と判断した渚杜が再び咒文を紡ぐ。
「東海の神、名は阿明(あめい)、西海の神、名は祝良(しゅくりょう)、南海の神、名は巨乗(きょじょう)、北海の神、名は禺強、四海の大伸、百鬼を避け(しりぞけ)、凶災を蕩う(はらう)。急々如律令」
咒文唱え終わる前に二人が離れる。化け物の躰は光りに包まれた。悲鳴を上げながらのたうち回るが、形を保っている。
「これでもダメか……。出来るなら篠宮を解放しておきたいんだけど……」
焦燥感が募っていく。このまま亘を助けられなかったら? 化け物を倒せなかったら? この場にいる全員が化け物に喰われる未来を想像して渚杜は唇をきつく噛んだ。
(どうする、どうする? 次の手は……!)
「主! 危ない!」
化け物への注意が疎かになった渚杜に黒緋が叫んだ。気付いた時には化け物が瞬時に距離を詰めてきており、咒文が間に合わない。ニタリ、と化け物が嗤う。
(やばっ……!)
大きく開いた口が、牙が渚杜に迫る。
ああ、ダメかも……と、絶望的な状況に諦めそうになる自分がいる。
『渚杜。私の可愛い子。どうか、生きて……そして、あの子を助けてね……』
一瞬、誰かの声が聞こえた気がする。記憶の片隅にある優しい声音と白銀の長髪に狐の耳の女性が脳裏に浮かんですぐに消えた。
(そうだ。俺は九尾を倒さないといけない。こんなところで死んでたまるか!)
渚杜は後退しても化け物の牙からは逃れられないと咄嗟に判断し、片足に力を入れると斜め前に飛び込む。辛うじて化け物の攻撃を躱して受け身を取った渚杜は反撃しようと霊符を構えるが、スピードは相手の方が早い。躱した拍子に制服の裾を噛みちぎった化け物が布を吐き出して向かって来た。
(これじゃ反撃出来ない!)
今の渚杜は避けるのが精一杯だ。式神たちも何度か攻撃しようと斬りかかるも、化け物の力に圧倒されてふっ飛ばされている。小さな身体は柵に激突し、二人は背中を強打した。コンクリートの上に気を失った二人が倒れた。
向かって来た化け物は牙を剥き出しにしながら、今度は手を伸ばしてきた。鋭い爪が確実に渚杜の首を捉える。今度こそ避けられない。
(くそ……、くそ! まだ諦めたくないのに……! 天狐様……ごめん)
「今度こそ間に合った。渚杜」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます