期末試験⑤/陰

 牙が届く寸前、渚杜の体は真横から掻っ攫われた。標的を失った化け物が周囲を探す。


 「私たちの大事な家族に手を出したこと、絶対に許さない」


 静かな声が頭上から聞こえた、と化け物が上を見た刹那、音もなく刃に首を落とされた。何が起こったのか分からず、化け物はふらついて倒れた。傍には先ほどまでいなかった人が立っており、アイスシルバー色の髪を持ち、陰陽寮の制服を着ている少女が刀を鞘に収めているところだった。渚杜は何が起こったのか分からず、目をしばたたかせていた。

 自分がいた場所から少し離れたところに移動しており、傍には温もりを感じる。横抱きにされたまま顔を上げると、暗緑色の髪の少年。渚杜と同じく陰陽寮の制服を着ている。相手は渚杜の視線に気付くとニコリ、と眩しく笑った。初めて会うはずなのに、懐かしい気持ちになる。雪邑と出会った時と同じだ。


 「無事だな、渚杜」


 「え、あ、はい。ありがとうございます」


 「他人行儀だな。あ、俺たちのこと覚えていなんだっけ」


 礼を述べた渚杜に少年は少し寂しそうな顔をする。


 「渚杜、怪我、ない?」


 いつの間に近づいていたのか、白髪の少女が膝を折りながら怪我がないかを確かめてくる。白い指が渚杜の頬に触れ、輪郭を撫でる。


 「あの、えっと……、え?」


 困惑している渚杜にお構いなしに少女は輪郭に手を添えると額を合わせた。


 「良かった……。今度こそ間に合った」


 震える声で少女が言う。心底安堵したように言う少女に渚杜は同じことを少年も言っていたな、と思い出す。


 「会いたかった。おかえり」


 「あ……」


 少女の言葉がなぜか渚杜に刺さった。懐かしくて、泣きそうになるのは何故だろう。彼らと初めて会うはずなのに、会いたくてたまらなかったのは何故だろう。


 「智景」


 名を呼ばれた少女は「うん。分かってる。奏冴」と悲しそうな顔をして手を離した。


 「えっと、お二人は……?」


 「ん? ああ。俺は狐井 奏冴(きつねい そうご)。二年。で、こっちが」


 「狐井 智景(きつねい ちかげ)。同じく二年」


 二人の名は古弥煉から聞いていたのと同じだ。ふと、渚杜は疑問を口にする。


 「あの、お二人は雪邑先生とご兄弟なんですか?」


 「兄弟? ……まあ、そんなところだな」


 奏冴に同意するように智景が頷いた。三人の元へ同級生たちを安全そうなところへ移動させ、結界を張り終えた和貴が駆け寄る。和貴は奏冴と智景を見るなり「え!? 狐井先輩!?」と声を上げた。キョトンとしている渚杜に和貴が「だから、なんでそんなに疎いんだよ」と今度は呆れたように言う。


 「狐井兄妹は陰陽寮じゃ有名なんだよ。まあ、雪邑先生や柊乃先生と兄弟って噂だけど、それよりも優れた戦闘能力で負け知らず。一条先輩率いるチームの主戦力だよ! 任務が多くて滅多に姿を見ることが出来ないって言われるほどなんだからな!」


 「詳しいんだな、和貴」


 「スゲーな。聞いたか智景。俺たちよりも詳しいぞ」


 三人の反応に熱く語った和貴は急に羞恥心が込み上げてきて口を閉じた。智景の視線が刺さって痛い。もしかしなくても気持ち悪いって思われていたらどうしよう、と考え始めていた和貴に智景が近づく。ジッと顔を見つめてきた彼女はふっと、微笑むと優しく和貴の頭を撫でた。智景が渚杜以外に触れることは珍しい。奏冴は目を丸くした。


 同じく目を丸くしていた和貴は撫でられた手の感触にどこか覚えがある気がしていた。どこだったか、記憶を辿るも分からなかった。


 「主(様)!」


 意識を取り戻した黒緋と裏柳が渚杜の元へと駆け寄る。式神たちを見た奏冴と智景は互いに顔を見合わせた。人型の式神を召喚し、維持するのは難しいのだと悠真から聞いたことがある。渚杜は十五歳であり、いくら強くても式神を二人も召喚し維持し続けていることに驚きを隠せない。


 「……こんなチビ助がさっきまで戦ってたなんてな」


 ポツリと零した奏冴の言葉に反応したのは黒緋。

 「チビ助じゃないもん!」


 「いやいや、どう見てもチビ助だろ? 小学生くらいじゃん」


 「で、でも、主のことちゃんと護れてるもん! さっきは護れなかっ、た、けど……」


 途中で黒緋は気を失ったことで渚杜を護れなかったことを思い出し言葉を詰まらせた。もしも、奏冴と智景が駆けつけなかったら渚杜は死んでいたかもしれない。そう思うと、主を護る存在の自分たちの力不足で主を危険に晒してしまったことが悔しくて、情けなくなった。奏冴を見上げる黒緋の双眸には涙が溜まっていく。瞬き一つで零れそうな涙を黒緋は歯を食いしばって耐える。裏柳も泣きそうになり俯いた。


 「あー、その。悪い。そういうつもりじゃなくて、小さな身体でよく頑張ったな、って言いたかったんだよ」


 頭を掻いた奏冴が黒緋と目線を合わせるようにしゃがむと、小さな頭に手を乗せて荒く撫でた。「わわっ!」と戸惑いの声を上げながら黒緋は受け入れた。アスファルトに落ちた涙に気付きながらも奏冴が撫で続ける。裏柳の頭は智景が優しく撫で、奏冴と同じく「頑張った」と声を掛ける。


 「……こういうのを尊いって言うんだろうなぁ」


 「なんか、兄妹みたいだな」


 その光景を見ていた渚杜と和貴が頬を緩ませたのも束の間。首を斬り落とされた化け物は祓われたわけではない。首を繋げて再生するまでに時間を要していただけだ。ようやく動けるようになった化け物に気付いた奏冴と智景が渚杜の前に立つ。


 「智景、お前あいつの首斬ったよな?」


 「うん。ついでに再生出来ないように悠真から貰った霊符貼り付けた」


 「じゃあ、あれはどういうことかな?」


 「知らない。見たまま。それが事実」


 「そうだよなぁ!」


 奏冴は盛大に溜息を吐くと、刀を抜いた。智景の同じく柄へと手を掛けて構える。渚杜も霊符を構え、黒緋と裏柳も戦闘能力に入り、察した和貴は邪魔になるだろうと判断して距離を取った。


 「あの、先輩。俺に考えがあるんですが、協力してもらえますか?」


 「任せろ!」


 間髪入れずに了承する二人に渚杜は「ええ、あ、ありがとうございます」と感謝と困惑が織り交ざったような返しになった。


 (いや、いくら何でも即答が早すぎるんだけど!? って、今は考えている場合じゃない。今度こそあいつを倒して篠宮を助ける)


 渚杜は深呼吸すると化け物を見据えた。和貴が付けた印はまだ働いている。二人に化け物が生徒一人を取り込んでいる事を簡潔に説明した上で、彼を助けたい旨を伝えた。奏冴と智景は渚杜を一度だけ見ると「そういう所はあの方とそっくりだよなぁ」と微笑んだ。


 化け物が渚杜目がけて向かってくる。四足歩行で突進してくる化け物は奏冴と智景を警戒したのか、咆哮と共に背中から無数の分身を浴びせてきた。頭上から降る黒い塊を剣技で薙ぎ払う奏冴と智景。斬られたそれらは塵となり再び化け物へと吸収される。舌打ちした奏冴は再び振ってくる黒い塊に「これならどうだ!」と上空に火の玉をいくつか出現させると黒い塊にぶつけた。智景も同じように火の玉をぶつける。煙で視界が悪くなる中が、動いたのは奏冴。彼は化け物と距離を詰めて刀を振り下ろした。それを避けたところに待ち構えていた智景の刀身が化け物の躰を貫く。そのまま斜めに斬るが、化け物の再生スピードが上がっているのかすぐに再生した。バックステップで距離を取った二人に反撃をするのかと思えば、化け物は彼らではなく渚杜を探していた。


 「キキキ、キサ、ラギ。キサラギィ……! アアアアア!」


 「おいおい。渚杜に御執心ってわけか」


 「こっちには、興味、ない?」


 「みたいだな。方向転換しやがった」


 化け物は渚杜を見つけるとそちらへ駆け出す。化け物の後を奏冴と智景は追った。


 「主、化け物がこっちに来た!」


 「分かってる。ここまで時間を稼いでくれた先輩たちには感謝しないとだね」


 「はい。やはり白狐と玄狐。強さは桁違いです」


 渚杜は奏冴たちが化け物と戦っている間に地上へ降り、北西に向かって走っていた。背後からねっとりとした空気が迫ってきており、先ほどの化け物が近づいていることが分かる。四足歩行で移動する相手のスピードではすぐに追いつくだろう。渚杜は一定の場所まで行くと急停止した。二人の式神は驚いて「わわっ!」と止まる。


 「主様?」


 見上げた裏柳に渚杜はニコリと微笑むと「篠宮! こっちだ!」と声を張り上げた。渚杜に執着している化け物はスピードを上げ、渚杜へと向かい、進行方向を塞ぐように数メートル先に着地した。


 「そろそろ決着を付けるぞ!」


 (……ちょっと弱気になったけど)


 「アア、アアアアア! キサラギィ、キサラギィ!」


 渚杜は霊符を構え、黒緋と裏柳も柄へと手を掛けて攻撃に備えた。化け物が低く唸ると地面から人型の陰が複数湧いた。それらは言葉にならない声を発し、渚杜へと一目散に向かって行く。二人の式神と追いついた奏冴と智景も加勢し、陰たちを斬っていく。その中を渚杜が走り化け物へと向かう。化け物はニタリを嗤い、掴もうと腕を伸ばすが、智景が腕を斬り落とす。陰たちに力を割いていたせいか、再生が間に合わず渚杜が間合いに入った。霊符を突き出した渚杜の肩に化け物の牙が突き刺さる。痛みで顔を顰めながらも渚杜は「篠宮!」と声を上げた。


 「しっかりしろ! お前は陰陽師たちを率いる筆頭となるんだろ!?」


 意識を失っている亘は返事をしない。その間にも牙が食い込み、血が制服を染めていく。


 「篠宮!」


 もう一度呼んだ渚杜の声に亘の眉が微かに動いた。


 (……声が聞こえる。必死で呼ぶ声が。俺のことなんか構うな。どうせ俺は……)


 『亘、お前は篠宮家の代表として陰陽師たちを率いるんだ。いいな?』『ははっ! 久坂家が失脚しただと!? 弥生家も正当な後継者がいない。そうか、ははは! では、この篠宮家が陰陽界のトップに!』『ああ、ダメだな。亘は力不足だ。あいつには無理だ。次を見つけなければ』


 亘は幼い頃から父に後継者だ、陰陽師たちを率いる存在になれ、と散々言われて育てられた。最初は期待されていたが、久坂家の失態と共に権力に目が眩んだ父は豹変した。父の期待に応えられない亘を父は見放した。それでも、強くなれば、実力をもっと付けて実績を上げれば認めてもらえると思い亘は努力した。

 しかし、実らなかった。次第に虚勢を張るようになり、そのまま陰陽寮に入学した。久坂と弥生の名を聞いて突っかかったのもただの八つ当たり。一般人のくせに陰陽師を目指す渚杜が癪に障った。幼い頃から陰陽師になるべく育てられた亘は絶対に一般人に負けないと自負していたが、負けた。その後も実力差を見せつけられ、いつしか今まで努力してきた自分が惨めに思えた。……どうして俺は力がないんだろう、どうして父の期待に応えられないんだろう、と暗い陰が落ちる。


 「篠宮! ……亘! 戻ってこい!」


 苗字ではなく、名前を呼ばれた亘の指先が動いた。父から見放されて以来、呼ばれることのなかった名だ。微かに残る意識の中、薄っすら目を開けると渚杜が血を流しながら必死に呼んでいる。渚杜が伸ばす手に握られた霊符が光りを帯びていた。


 (卯月、何やってんだよ……。このままだとお前が死ぬんだぞ?)


 自分には守られる資格はない。卯月が自分と一緒に化け物を祓ってくれればいい、と思い意識を閉ざそうとする亘に渚杜は続けた。


 「俺はまだお前と友達になってないし、あと、和貴たちに謝ってもらってない!」


 予想外の言葉に亘は「なんだよ、それ」と泣きそうな顔で笑う。謝罪が出来るチャンスくらいは掴みたいと、靄に拘束された体に力を入れた。びくともしない靄に抵抗するように体を動かせば、渚杜の伸ばしていた霊符に体が触れた。


 「よしっ!」


 そう言った瞬間、化け物が渚杜の肩に牙を喰い込ませたまま勢いよく頭を振った。牙を離された渚杜の体は勢いよく飛ぶ。地面にぶつかる前に受け身を取ったが、肩からの出血が酷く、ふらついた。助けに入ろうにも四人は陰たちに阻まれていた。


 「大丈夫だから! これで勝ちは確定した! 行くぞ、化け物!」


 渚杜の眼差しが化け物を射抜く。


「ノウマク・サラバ・タタギャテイビャク・サラバ・ボッケイビャク・サラバダ・タラタ・センダ・マカロシャダ・ケン・ギャキギャキ・サラバ・ビキンナン・ウンタラタ・カンマン!」


 唱えた瞬間、建物に張り巡らされた霊符が光り、化け物を囲んだ。炎が化け物を焼き尽くさんと燃え上がる。化け物は悲鳴を上げながら藻掻くが、業火は化け物を離さない。化け物が燃えるのに合わせて陰たちは灰となり消えていく。


 化け物の悲鳴が消え灰となり崩れていく中、残ったのは亘。地面に倒れる亘に駆け寄った渚杜は意識は失っているが、微かに聞こえる呼吸音に安堵した。先ほど渡した霊符から結界を亘に施していたため、彼は炎に焼かれても無事だった。


 「勝った、のか……?」


 「勝った!」


 「勝ちました!」


 奏冴に続いて式神たちが両手を上げて喜びを露わにする。


 「でも、渚杜。あの霊符はいつから仕込んでいたの? 走りながら貼るのは無理がある」


 智景の指摘に渚杜は夢のことと、夢の内容を受けて事前に高槻に協力してもらい霊符を至る所に仕込んでいたのだと話した。話し終えた渚杜は目を見開いたまま固まった。渚杜の様子に全員が同じ方向へ視線を向けた。化け物がいたところに一人の女が立っていた。

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